待っていたのはMMでした!
ついにこの日がやって来た。マジック・マスターズ最新拡張パック「過去と未来の邂逅」の発売日が。
マジック・マスターズ。それは架空の異世界「アルノシア」が舞台の、クリーチャー達の壮大な物語をモチーフにしたカードゲーム。
半世紀の歴史の中から、選び抜かれた精鋭達が収録される。
今日がその発売日ということもあり、行きつけのカードショップには朝から行列ができている。
「おっす、おはよー!今日はめっちゃ早く来てんじゃん!」
慣れ親しんだ声で俺に話しかけきたのは、一緒に写真部で活動しているカズヤの姿。
公園で、俺の家で、はたまた放課後の教室で。
幾千も勝負を繰り広げたそいつは、ライバルであり戦友だ。
「興奮しすぎて早く着いちゃった。誰よりも早くパック剥きたいし」
眠気が瞼を落としにかかるのを、指でこすりながら答えた。
「わかる!俺も楽しみ過ぎて寝れなかったわ…早くショップ開けてくれないかな」
「開店時間はまだ先だよ。気持ちはわかるけどさ」
いてもたっても居られない、カズヤの手綱を握る。
「そうだけどさ〜。こんだけ注目集まってるんだよ?たまには違った対応してくれてもいいのにな……こんな時でも、カメラを持ち歩くのはいつものシオンのままだな」
カズヤが俺の胸元に視線を落とす。そこには肩から下げた、カメラが一台。
「これを持ってると、なぜだか落ち着くんだ。それに、撮りたいと思った瞬間って脈絡なく訪れることが多いし」
「それが、シオンの写真が大会で結果を残せる理由かもな」
「だけど今日は、カメラを手にしてても気持ちがソワソワするんだ。そのぐらい、今日が楽しみで仕方なかった」
「そりゃ当然だろ。俺らが生まれる前から活躍してきたカードが目白押しだもん。早くデッキに入れて使いてえ〜」
辛抱たまらんという口調だ。当然だろう。再録されず高騰し、高校生の俺らには手の届かなかったカードが手に入るチャンス。デッキに1枚でもいい。使いたい。
振り返り視線を向けると、開店待ちの列が動き出していた―
――貯めに貯めたお金は、あっという間に底をついた。お互いに欲しいカードを分かち合う。「賢者の慧眼」「磔刑と断罪の決意」「高官マールトンの裏帳簿」…目当てのカードは概ね最低限の枚数揃えることができた。ただ、俺にとって1番目当てのカードが出ないまま。
「ボルフェリオス・シュナイザー・ドラゴンだろ?何日か経ったらショップに並んでるさ。俺の方がバイトの金入るの早いから、先に買っておくことも出来るし」
落胆した姿に見えたのだろう。カズヤの助け舟に甘えたい気持ちもあったが、少なくとも今日はそんな気持ちになれなかった。
「うーん、考えとく。最悪それでも良いんだけどね。あのカードは出来れば、いやどうしても自引きしたい…」
「そっか。逆に悪かったな。…カードの融通も終わったし、そろそろ帰るか。余ったカード売るには時間がかかりすぎるし、この弾のカードは明日になっても値下がりしない」
「だな。あとは新しいカード入れて遊ぶか!そういえば手持ちのデッキで強化入ったのある?」
「ガルフェリオンワンショットのルーター候補に…」
その日は夜になるまでカズヤとMMを遊び尽くした。けれど心にかかったモヤモヤは、取れないままだった。
自宅に戻ると売りたいカードの仕分け作業だ。手持ちのカードはこの日だけで1800枚増えた。
カードによっては数日下取りが遅れただけで価値がつかなくなるカードがままある。底をついた軍資金を少しでも回復させるため、今日中にその作業を終わらせる必要があった。
あと少しで日付を跨ぎそうな頃、一息入れようと鞄からMM最新弾の1パックを取り出した。帰りがけに立ち寄ったコンビニで売れ残っていて、明日の昼食代を我慢すれば手に入ると頭によぎった次の瞬間には、レジの会計を済ませていた。
ボルフェリオスに会えるかもしれない、ワンチャン、もしかしたら…未開封のたった1パックで、ここまで心躍り、浮き足つことは今までなかった。
レアカードが入ってるとしたら、5枚のうち3枚目。ボルフェリオスのカードの色は赤。1枚目が包装から顔を出す。1枚目を下方向にずらしながら2枚目を確認して、いよいよ3枚目…違う、あいつの属性の色じゃない…
ボルフェリオスが手に入らなかった落胆を味わうまもなく、3枚目に現れたカードに強烈な違和感を覚え、首を傾げた。
「『アルノシアへの誘い』…なんじゃこりゃ?こんなカード、公開リストにあったっけ?」独り言が口をついて出た。テキストも意味不明だ。
すぐさまカズヤにメッセージを飛ばす。
【アルノシアへの誘いなんてカード、カードリストに載ってないよな?】目を皿にして公開リストを見ても、そんなカードは掲載されていない。探してるうちに、カズヤから返信が来た。
【いや、出てないはずだけど…念のためリスト載ったサイトのURL貼っとくね】
【カードの写真も送ってくれない?】
それもそうかと早速、「アルノシアへの誘い」と一緒に出たカードを併せて写真に収め、カズヤに送った。だが、返ってきたメッセージは目を疑うものだった。
【そのカードどこに写ってる?写してるカード全部、カードリストで公開済みのものだけど】
【え?いやパックから出たカードと併せて送ったけど?】
意味が分からない。目の前に実在しているし、触れる。俺の写真データにも、確かに写ってる。
【写真はともかく、もしかしたら公開されてないカードかもしれない。とんでもないプレ値つくんじゃない?明日持ってきて見せて!】
このメッセージの直後、メッセージアプリの通話機能が起動した。
「シオン、凄いカード当てたんじゃね!?大金持ちになれんじゃん!なんて書いてあるの?」
カズヤの興奮とは裏腹に、心に困惑が根を下ろし始めていた。
「え、えーと、使用コストは…かすれて読めない…カード名はアルノシアへの誘い。テキストは『▪︎このスペルを唱えるコストを、アルノシアで支払ってもよい。』『▪︎あなたはあなたの世界とアルノシアを繋ぐ奇跡、奇蹟。クリーチャーの意思を、姿を示す伝導者となりその使命を全うせよ。』って書いてる…あれ?テキスト欄が…」
余白にテキストが浮かび上がっていく。見たことのない文字が一瞬出たかと思えば、即座に日本語が表示されていく。その文章は、ますます理解を置いてけぼりにしていった。
▪︎真上のスペルテキストを唱えた時、あなたをグラファーとしてアルノシアに召喚する。
思考が完全に停止した。実は俺は夢を見てるんじゃないのか?あまりにも突拍子がなさすぎる。でなきゃただのカードが俺の手を離れて中空に浮いただけでなく、天井を覆うほどに巨大化なんてするはずが…
「おーい、シオン、聞こえてるか?読み上げた文章、よ…聞こ…?お…シオ…」
つい先程までカードだったものが、部屋の明かりを日傘のように遮っている。困惑の芽が育ち、恐怖という花を心に咲かせた。瞼を閉じることもできないまま、その物体の変化を見届ける他なかった。
イラストが描かれていた箇所がどうも変だ。ただ黒に塗りつぶされただけでなく、気味が悪いくらい奥行きを感じる。モゾモゾ蠢く何かが見えた次の瞬間、複数の手?触手?とも判別つかない何かが俺の身体を捉えた。
強烈な重力を感じたかと思うと、一瞬で辺りは真っ暗になった。