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初めは不満ばかりで、日々の生活に悲鳴を上げていたオーランドも、山での生活が三週間近くになった頃には、すっかりこの環境に馴染んでいるように見えた。
以前は小石一つでも躓きそうになっていた足取りは軽くなり、森の中を歩く際も、どこか自信が感じられるようになった。彼は虫嫌いを克服するため、私の隣で焚き火を眺め、静かに自然の音に耳を傾けるようになった。
もちろん、近くに虫が来れば「うっ」と小さく声を上げてビクッと肩を震わせていたが、それでも以前のように悲鳴を上げて飛び退くことはなくなった。小さな進歩だが、私にとっては大きな変化だった。私は、そんな彼の意外な一面を知り、幼い頃から知っているはずの彼が、全く別の、人間らしい魅力を持った存在だと気づき始めていた。
ある夜、空は雲一つなく晴れ渡り、満点の星空が広がっていた。小屋の前に焚き火を囲んで、私たちは静かに座っていた。パチパチと燃える薪の音だけが、静寂を破る。澄んだ夜空には、数え切れないほどの星が瞬き、まるで私たち二人だけのために、きらめいているようだった。
小さなひよこは、すっかりオーランドに懐いて、彼の膝の上で気持ちよさそうに眠っていた。彼はひよこをそっと撫でながら、満足そうに微笑んでいる。その横顔は、とても穏やかで、都会にいた頃の神経質なオーランドとはまるで別人のようだった。
「エミリア……」
オーランドが、不意に私の名を呼んだ。彼の声は、焚き火の炎のように、静かに、しかし熱を帯びていた。その声には、今まで聞いたことのない、真剣な響きが含まれている。
「この三週間、本当にありがとう。お前がいなければ、俺はとっくに音を上げてた。いや、多分、この山で餓死してたかもしれない……。まさか、自分がこんなに無力だなんて、思ってもみなかった」
彼は苦笑いを浮かべた。その表情は、魔法学園のエリートからは想像もできないほど、純粋で、無防備だった。彼の言葉には、心からの感謝と、この経験を通して得たであろう謙虚さが滲み出ていた。星の光が、彼の横顔を優しく照らしている。
「そんなことないわ。オーランドだって、少しずつできるようになったじゃない。ほら、もう虫を見ても、悲鳴を上げなくなったし、ひよこの世話までしてる。最初はどうなることかと思ったけど、結構やるじゃない」
私が優しく言うと、彼はひよこを愛おしそうに撫でながら、ゆっくりと首を横に振った。
「いや、違う。俺ができたのは、お前が教えてくれたからだ。お前がいなければ、俺は本当に何もできなかった。火の起こし方、水の手に入れ方、食料の獲り方、それに……こんなに小さな命が、どれほど温かいものか、お前がいなければ知ることもなかった。俺は、お前がいてくれて、本当に良かったと思ってる。こんなに、誰かを必要だと感じたのは、生まれて初めてだ」
彼の言葉に、私の心臓が小さく、しかし確かに跳ねた。顔が熱くなるのを感じ、慌てて視線を星空へと向けた。
満点の星が、まるで宝石を散りばめたように輝いている。その中で、隣にいるオーランドの存在が、ひときわ大きく、そして温かく感じられた。彼の言葉は、私の心を直接揺さぶった。
「エミリア……」
再び、彼の声がした。その声は、さらに近く、甘く響いた。そして、私の手が、そっと彼の手に触れた。
ひんやりとした夜風とは対照的に、彼の掌は驚くほど温かかった。指が絡み合い、そのまま、彼の指が私の手を優しく包み込んだ。彼の指先からは、微かな魔力の温もりが伝わってくるようだった。
それは、かつて感じた彼の魔力とは違い、もっと穏やかで、温かい光のように感じられた。その瞬間、夜空の星が、一瞬だけ強く瞬いたように見えた。
私の心は、彼の温かい手に包まれるように、満たされていった。
この山での時間は、私たち二人の間に、目には見えないけれど、確かに存在する何かを育んでいた。それは、もしかしたら、魔法よりもずっと、強く、そして尊いものなのかもしれない。