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期末試験二日目。
さらさらと回答欄を埋めていく美羽を教室に残して、俺は校内を自由に動きまわった。
ちょうど清水も期末試験の最中で、お互いの試験が終わるまでは会わないと約束していた。さすがの美羽も清水の成績を下げることは避けたいようだ。
霊体ならば校長室も出入り自由だ。スポーツ中継に夢中になっている校長の横を通り抜け、キャビネットの前に立つ。キャビネットの中には明日の試験用紙が入っている。
そう、あの日はここまで辿りつけなかったのだ。校長室の窓から覗き見ただけ。庇の縁で足を滑らせて、体勢を立て直そうと両腕を回転させたが叶わず、背中から樹木に落下した。
教員室の窓が次々と開いて、いくつもの顔が俺を見下ろしていた。
終わった、犯行がバレた。そのまま死んでしまいたいと願った。
だが真実の代わりに拡がったのは、成績の悪い高村という生徒が期末試験を気に病んでついに飛び降りた、というガセだった。
俺の成績を知っている教師が言い出したのかもしれないが、いまになっては感謝しかない。余計な詮索をされなくてすんだからだ。
校長室の壁には額入りの写真が十枚ほど飾ってある。歴代校長の真面目くさった顔面を並べることで学校の歴史を物語る仕組みなのだろう。最初のほうはモノクロだ。
写真はほかにもある。校長の机には家族写真が飾ってあった。気取りのないスナップ写真。写真の中の校長はどこにでもいる普通のお父さんだ。
美羽本人ははっきりと否定していたが、美羽の家族が保険金殺人を目論んでいた可能性を俺は捨て切れていない。
真相を明らかにすることが必ずしも正しいことではないと思う。
美羽自身も消極的だ。
美羽が望まないなら暴かないでもいいかと俺も思っていた。
結果として美羽を悲しませることになるかもしれないからだ。
だが清水の名探偵ぶりを見て俄然と興味がわいた。
俺が勝手に調べるのはかまわないんじゃないか。
真相を美羽に伝えるかどうかは後で考えればいい。
ともかく、美羽に身体を貸している間、ヒマでしょうがない。
徒歩で三十分、バスを利用すれば十分弱、俺の住む地域でちょっとした買い物をするにはショッピングモールまで出向くのが定番だ。食料品から衣料品、美容院、ペットショップ、家電量販店、大型書店、ゲームセンター、カラオケ、映画館。家族連れの憩いの場になっているだけでなく学生カップルの人気デートスポットでもある。
つまり土日祝日は混雑の極み。
平日の午前中のいまは穴場だろう。
だが目的先はモールではない。モールの手前の歩道橋で足を止めた。
美羽が死んだ場所。
いや、息を引き取ったのは病院だから、正確には事故現場か。
階段の裏側にしおれた花や缶ジュースが所在なげにひとかたまりになっている。女子高生が転落死した事故の名残があきらかだ。
美羽が転落したのは6月11日、日曜日の夕方五時頃だったという。歩道橋はバス通りに架かっている。階段下でぐったりとなっていた美羽をみかけた通行人が救急車を呼び、病院に運ばれたのは転落から約一時間後。
発見が遅れたのはなぜだろうか。少なくとも一時間も人が通らないほど過疎る時間帯ではないはずだ。
美羽はモールの書店で買い物を終え、帰宅するためにモールの遊歩道を進み、反対側車線のバスに乗るためにこの歩道橋を渡った。本を抱えてうきうきしながら歩く美羽の姿が脳裏に浮かぶ。
美羽の自宅の位置から推測して、徒歩で帰るにしてもバス停に向かうにしても、この歩道橋を利用するのは順当だ。とくにおかしなところはない。
モールができた十年ほど前は歩道橋はぴかぴかだった。いまは塗装の一部がはげて錆が浮いているし、階段の滑り止めもすり減っている。
美羽が足を滑らせたのもうなずける。
その日その頃、俺はなにをしていただろう。
デートでもしていたら記憶に残るだろうが、たいていは友人と遊ぶか、家でゴロゴロしている。
「あ、神田におごってもらったのは大雨の夜だったな……」
相談があるという神田に呼び出されてファストフード店にのこのこ出向いたら、ハンバーガーセットひとつで図々しいお願いを聞かされた日だ。
「梓ちゃんを紹介してくれ」と言われた。検討すると言って平らげたあとに「検討した結果、残念だが……」と断った日が事故の日だと思い出し、愕然とした。
バカ友と三時間近く店でじゃれ合っていた間に、美羽は死んだのか。
長時間、店に滞在していたのは理由がある。雨宿りをしていたのだ。
記憶のベールがめくれていく。
にわかにかき曇る空を店内から見ていた。面倒くさがって傘を持ってこなかったのを悔いた。白く煙る土砂降りをぽかんと眺め、どっちにしろ傘は役に立たなかったなと神田と笑いあった。
美羽は濡れた階段で足を滑らせたに違いない。激しい雨のせいで人通りが絶えた。冷たい雨が容赦なく美羽の身体を冷やす。
目頭がじわりと熱くなった。




