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ウマ娘世界史の小話「車のエンブレムに使われるウマ娘の理由」

作者: creya

前書き


車と言うのはウマ娘の歴史において、ある意味でライバル的な関係にある。

と言うのも運送や郵便、交通に関わるウマ娘が歴史的に多くおり、時に「自動車の打ち壊し運動」にまで発展した時代もあった為、良く思われていないと言う部分が少なからずあったからだ。


しかし、一方我々人はと言うと...ウマ娘の持つ利権を奪ってやろうとか、ウマ娘を陥れたいという、そう言った意味など一切無く、社会を便利にしたいと言う意思と...ウマ娘達だけが持っていたスピードへの大きな大きな憧れが具現化した結果、現代のモータリゼーションがあると言われている。


実際、車の有名メーカーにはウマ娘のエンブレムを掲げている会社や車名が幾つか存在する。

今回はその中でも特に有名なポルシェ、フェラーリ、そしてフォードのマスタングの話を紹介しようと思う。


ーーーー


ポルシェのマークにウマ娘が使用されているのは創業者のフェリー・ポルシェ、並びにポルシェ一族がシュツットガルトに住んでいた事が由来しています。


シュツットガルトは古来よりウマ娘が多い地域であり、名前もドイツ語で「ウマ(娘)の園」と言う意味を持つくらい、ウマ娘と関わりが深い地域でした。現在でもウマ娘をあしらった盾が市の紋章として描かれるのは有名な話ですね。


生まれはオーストリア・ハンガリーであったポルシェ家はそんなシュツットガルトへ移住。

工場を建て、経営して行くことになります。

そこで父親のフェルディナント・ポルシェの事業に若くして参加していたのが、ポルシェの創業者フェリー・ポルシェ。

ベンツや父親も関わっていたフォルクスワーゲンにテストドライバーとして参加しており、その時に多くの工場で働くウマ娘達と交流し、彼女たちの勤勉さと優しさに大いに感銘を受けたと言われています。


その後、ドイツは第二次世界大戦と言う大きな大戦の中、どうにか生き残り、戦争裁判も退けたポルシェは、第二の故郷と呼べるシュツットガルトにて新しく自分の家名を名付けた事業を行います。

それが現在に至る「ポルシェ」の始まりです。


そのエンブレムはポルシェ家のエンブレムの真ん中にシュツットガルトのエンブレムであるウマ娘の盾をあしらった物でした。


エンブレムにウマ娘をあしらった理由については

「シュツットガルトの発展に対する願い、そしてウマ娘のように早く、そして広く愛される存在になって欲しい」

と言われています。


その後のポルシェは多くのモータースポーツで記録や記憶に残る名車を送り出し、世界中の車ファンから大きく愛され、そしてシュツットガルト、ひいてはドイツを代表する企業として多くの人に知られる存在となりました。


彼の込めた願いはしっかりとシュツットガルトにて果たされています。



ーーー


話は遡る事、第一次世界大戦。

人もウマ娘も巻き込んで、多くの犠牲者を出した新しい戦争の中に、貴族出身でありながら、ウマ娘のマークを機体に描き、大空を掛けたエースパイロットがいました。

その名もフランチェスコ・バラッカ。


彼が機体のマークをウマ娘にした理由は諸説あると言われており、第二次世界大戦で撃墜したシュツットガルト出身者の航空部隊がつけていたマークを気に入ったから...と一般的に言われていますが、

実際の所、彼は空軍所属になる前にウマ娘の部隊を率いる士官トレーナーだったと言われています。しかし新しく登場した飛行機の速さに魅了され、空軍入り。

だが彼はウマ娘を愛していたが故にマークにウマ娘を象り、お守りがわりにしていたと言われています。


そんな彼からマークを貰ったのがフェラーリの創業者であり、第一世界大戦で工兵を勤めていたエンツォ・フェラーリ。

エンツォは過酷な戦場で肋膜炎を患い、病院で入院していた際に知り合ったのがバラッカだったと言われています。


そして彼との出会いが、彼をスピードの世界へと夢中にさせるのです。


その後のエンツォはアルファロメオのドライバーを経由してワークスチームを設立。彼自身も有能なドライバーでしたが、持病などから思った以上の成績を上げれず、ドライバーでは無くチーム経営者として運営。

そしてその資金捻出の手段として作られた会社が「フェラーリ」でした。


そんな彼がバラッカのマークを使った理由の一つに「レースを行うウマ娘達のように世界一早いレースチームにしたい」と言う願いがあったと言われています。


そしてその願いは後に叶い、F1界では知らない人はいない名門としての地位を築き、そして車好きからも多くの名車で評価を集める超一流企業として、名声を得ることになりました。


バラックの意思は受け継がれ、そして今や世界的に愛される物になったのです。



ーーーー


フォードの歴史はある意味で「車の歴史」と言い換えても間違いないでしょう。


そんなアメリカを代表する大企業「フォード」が、チャレンジャーとして挑んだのが、ル・マン24時間耐久レースです。


彼らの敵は圧倒的な王者フェラーリ。

そしてそれを追い落とすために作られた名車がフォードGT40でした。

結果はル・マン四連覇と言う偉業を成し遂げ、レース界にその名を深く刻んだのです。


そんな時に生まれた車こそフォードマスタングでした。

そしてそのマークに採用されたのはフェラーリと同じウマ娘をモチーフとしたエンブレムだったのです。


しかし、そのエンブレムは同じモチーフと言うだけで全く別の意味が込められていると言われています。


まず、マスタングのエンブレムのモデルはネイティブ・アメリカンのウマ娘だと言われています。


彼女達は自然と言う厳しい環境下で生きる逞しさを持っているというのが認識として持っている人が多く、そんな彼女達の逞しさ、力強さにあやかろうとして、そうなったと言われています。

またレースもオールアメリカンなチームで挑んだ為、そう言った所で大衆の支持を集める戦略だったとも言われています。


そして何より、アメリカらしいウマ娘を選んだ理由に「レースでイタリアのウマ娘なんかには絶っっっっっっっっ対に負けたくない」と言う意思の表れだったとも言われています。


アメリカは現代でもウマ娘のレースは人気が高く、そして多くのアメリカ国民が「自分たちのウマ娘が世界一強い」と言う意識を持っています。


そう言った「多くのプライド」を賭けて挑んだからこそ、歴史的な快挙を成し遂げることが出来たのかもしれないですね。



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