第27話 クスリ
史季、夏凛、斑鳩の三人が七〇人超の第一陣を蹴散らし、続けてけしかけた、先と同数の第二陣を相手にする中、入山は感心混じりに言う。
「なるほど、こいつは予想以上だ。お前が見誤るのも無理もねえなぁ、松尾」
傍に控えていた、地下闘技場の運営を任される程度には入山の信任を得ている幹部――松尾は、恐縮混じりに答えた。
「それでも、見誤ったという事実に変わりはありませんから。それより入山さん……差し出口を承知で言わせていただきますが、このままだと最悪、こちらが喰われる可能性がありますよ」
「かもな」
余裕たっぷりに応じながら、入山は大立ち回りを繰り広げる史季たちを注視する。
〝世紀末の女帝〟は、あらゆる意味で噂以上だった。
単純な強さを勿論のこと、鉄扇を使った戦法は、不良のケンカとは明らかに一線を画していた。
こちらが本気で潰しにかかったとしても、この女ならば一人で一〇〇人以上は平気で道連れにする――そんな確信を抱かされるほどに。
斑鳩獅音に関しては、地下格闘技場での戦いぶりを録画で見ていたため、強さ自体は知っていた……つもりだった。
どうやら地下格闘技場で斑鳩に敗れた連中は、奴の強さをろくに引き出せていなかったらしい。
今、入山の視界内で、次々と構成員を蹴り倒していく斑鳩は、録画で見た時よりも目に見えて強かった。
最後に折節史季については、先の言葉どおり、松尾が見誤るのも無理もないと入山は思う。
不良に見えないどころか、その不良にいじめられている方がしっくりくるような外見をしているくせに、攻撃力という一点においては〝女帝〟と斑鳩を凌駕している。
さすがにこの二人ほどケンカ慣れはしておらず、事実、集団戦には慣れていない様子だったが、時間が経てば経つほどに、傍目から見てもわかるほど明確に、ゴチャマンに適応し始めている。
潜在能力次第では、〝女帝〟と斑鳩に引けを取らない脅威に育つ恐れもあり得る――そう思えるほどの成長速度だった。
(こりゃ確かに松尾の言うとおり、オンラインサロン用の撮れ高気にして舐めプかましてたら、こっちが喰われるかもしれねえなぁ)
幸い、〝女帝〟が上玉であることに加えて、ケンカと呼ぶにはあまりにも見栄えの良い戦いぶりを披露してくれたおかげで、撮れ高は充分に確保できている。
開戦からすでに一〇分が過ぎているため、動画としての尺も充分に確保できている。
潰すにはいい頃合いかもしれない――そう思った入山は、松尾に訊ねた。
「松尾ぉ。お前なら、どういうやり口で連中を潰す?」
「そうですね……オンラインサロンに配信することを考慮すると、全戦力を投入したり、凶器持ちを投入したりするのはNGですね。我々が必死になって連中を潰す様を映すのは最早見世物とは言えませんし、そんなものを見せられても客が白けるだけです」
大凡同意見だった入山は、満足げな笑みを浮かべながら、結論を言うよう松尾を促す。
「今、《アウルム》の間で流行ってるクスリがありますよね? そいつを常習してる奴らを集めて、ドーピングになりそうなクスリとブレンドさせた上でキメさせて、第三陣として投入するのはどうでしょう?」
松尾の提案に、入山は満足げだった笑みを深めた。
「悪くねぇなぁ。そいつでいこう」
松尾は首肯を返すと、入山に言われるまでもなくすぐさま手配にかかるために、その場を後にする。
その背中を見送った後、入山は思い出したように独りごちた。
「待てよ……松尾の案、あっちの切札としても使えるなぁ」
今は目の前の見世物に集中したいという思いもあってか、入山はその言葉どおりにあっちに連絡するために、懐からスマホを取り出した。
◇ ◇ ◇
「ぐぁぁあぁ……」
史季のローキックをまともにくらった《アウルム》の構成員が、苦悶を吐き出しながら膝を突く。
動けなくなった構成員にわざわざとどめを刺すような真似はせず、横合いから襲いかかってきた構成員のパンチをかわすと、先と同じようにローキックを叩き込んで一撃で無力化させた。
戦況が進むにつれて、史季はハイキックを繰り出す回数は減っていき、それに反比例するようにローキックを繰り出す回数が激増していた。
異常なまでに蹴り足が速い斑鳩という例外を除き、ゴチャマン中、大味なハイキックはそうそう打てるものではない。
そのことを身をもって実感したという理由もあるが、それとは別に、史季は一つの気づきを得ていた。
ゴチャマン中は必ずしも敵を倒す必要がないという気づきを。
ローキックで相手の足を潰して立てなくすれば、ハイキックで相手を倒すのと同じように敵の戦力を減らすことができる。
幸いなことに、自分にはローキック一発で相手の足を潰せるキック力があるおかげで、わざわざ隙の大きいハイキックに頼らなくても、敵を無力化することができる。
その気づきを契機に、史季は加速度的にゴチャマンに適応し始めていた。
「ほんと面白えな、折節! ゴチャマンは初めてだってのに、もうだいぶ板についてきてんぞ!」
楽しげな声を上げながら、斑鳩は目の前の構成員の顎を蹴り上げる。
「おもしれーかどうかはともかく、一〇分やそこらでもうあんまフォローする必要がなくなったのは、実際たいしたもんだけどな!」
応じながら、夏凛は構成員たちの間を縫うようにして駆け、すれ違い様に、顎を、側頭部を、延髄を鉄扇で殴打して次々と昏倒させていく。
依然として数の上では圧倒的劣勢だが、戦況自体はこちらが優勢と言っても差し支えがないほどに押していた。
(でも、いつまでもこの調子でいけるなんてことはあり得ない)
ゴチャマンに適応するにつれて、練度が上がってきたパンチで構成員の顎を打ち抜きながら、史季は思案する。
目算で第一陣と同数――七〇人超いた第二陣も、もうだいぶ数を減らすことができた。
倒したはずの敵が起き上がって再び襲いかかってくることもあって、正確な数はわからないが、それでも自分たちは一〇〇人以上の構成員を撃退しているはず。
その数字は、敵にとっても決して軽いものではない。
だからこそ、仕掛けてくるならそろそろかもしれない――そんな確信にも似た予感を抱いたその時だった。
敵の〝仕掛け〟が、史季を襲ったのは。
「どけどけぇッ! そいつは俺がやるぅぅううぅッ!!」
不自然なまでにテンションの高い構成員が、味方を押しのけながら史季に突っ込んでくる。
その様があまりにも隙だらけだったので、殴りかかられる前に構成員の太股に容赦なくローキックを叩き込むも、
「!?」
微塵も怯むことなく殴り返され、史季は目を白黒させてしまう。
ローキックをまともにくらって足の踏ん張りが利かないため、左頬を襲った痛みはそれほどでもなかったが、その事実が返って史季を混乱させた。
荒井のように耐久力に物を言わせてローキックに耐えたのならともかく、足の踏ん張りが利かなくなるくらいのダメージを受けていながら、構成員が平然と殴り返してきたことが、史季には理解できなかった。
できなかったから、ほんの数瞬、思考に空白が生じてしまった。
そしてその数瞬は、少数対多数の状況においては度し難いとしか言いようがないほどに大きな隙だった。
ここぞとばかりに、横合いから攻めてきた構成員に左太股を蹴られ、その反対側から別の構成員に右頬を殴られ、史季の体がよろめく。
「史季っ!」
悲鳴じみた夏凛の声が耳朶を打ったのも束の間、正気というものを感じさせない目をした構成員が、真っ正面からこちらに向かって飛び蹴りを放ってくる。
ギリギリのところで反応した史季は、両腕を交差させて防御するも、飛び蹴りの圧力が尋常ではなかったことに加えて、よろめいたところを狙われたせいで足の踏ん張りが利かず、尻餅をついてしまう。
そうして生じるは、先とは比べものにならないほどに致命的な隙。
当然のようにその隙を見逃さなかった構成員たちが、史季を踏みつけようと揃いも揃って足を上げた瞬間、
どこからともなく突っ込んできた斑鳩が、史季を押し倒す形で覆い被さった。
「斑鳩先輩ッ!?」
先とは別の意味で目を白黒させる史季の代わりに、構成員たちの踏みつけを背中で受け止めながら斑鳩は叫ぶ。
「小日向ちゃんッ!」
「わーってるっ!!」
叫び返しながらも、夏凛は目の前にいた構成員の鼻っ柱に右の飛び膝蹴りを叩き込むと同時に、跳躍の勢いをそのままに倒れゆく構成員の肩に左足を乗せ、それを足場にさらに跳躍。
アクション映画じみた身のこなしに、ゴチャマン中であることも忘れて構成員たちが目を奪われる中、夏凛は前宙を打った勢いを利用して、史季を蹴り倒した構成員の脳天目がけて踵を叩き込んだ。
正気というものが感じられなかった目を白くさせた構成員が大の字になって仰臥する中、夏凛は史季と斑鳩の傍に着地する。
転瞬、閃いた鉄扇が、周囲にいた構成員たちの急所を次々と打ち据え、瞬く間に昏倒させた。
現実味すら欠ける〝女帝〟の強さを前に、構成員たちがたじろぐ。
その隙に、斑鳩は史季の手を引きながら揃って立ち上がった。
「す、すみません斑鳩先輩」
「謝る必要はねえし、礼を言う必要もねえぞ。小日向ちゃんが言ってたとおり、ゴチャマン中は仲間同士でフォローし合うのが当然だからな」
そうは言っても、親しいと呼べるほどの間柄ではない相手を身を挺して庇うのは、なかなかできることではない。
にもかかわらず、斑鳩は微塵の躊躇もなくそれをやってのけた。
不良とか、そういうレッテルとは関係なしに凄い人だと史季は思う。
「借りができちまったな、斑鳩センパイ」
「いや小日向ちゃん、今オレが小日向ちゃんの言葉使ってカッコつけてたばかりなのに、それはなくねえか?」
「しょうがねーだろ。史季の危ねーとこ助けてもらったんだから」
こんな状況にあってなお、照れくささのあまりちょっとだけ頬を赤くする夏凛に、斑鳩は苦笑を浮かべる。
「小日向ちゃんのそういうとこ嫌いじゃねえけど、貸し借りに関しちゃほんと気にしなくていいからな」
そう言って斑鳩は、たじろいでいる構成員たちの後方――動き始めた敵の第三陣を睨みつける。
「ここから先は、マジで助け合わねえとやばそうだからな」
揃いも揃って正気をどこかに忘れてきたような面構えをした、構成員たちを。
イっているとしか形容しようがない構成員たちの表情を見て、史季は、ローキックが利いていたにも殴り返してきたり、尋常ではない脚力で自分を蹴り倒した相手のことを思い出しながら、脳裏に浮かんだ最悪の結論を疑問符付きで口にする。
「あそこにいる人たち……もしかして全員、何かのクスリを?」
斑鳩は確信をもって首肯を返し、断定する。
「さすがに薬のことなんざ詳しくねえけど、先走って折節に絡んできた奴らの様子を見た限りじゃ、気分がハイになる感じのやつと、痛みを感じなくなるやつ、ドーピング代わりに使えるやつ……三種類なのか、それとも一種類でそれだけの効果が出るのかは知らねえが、まあ、バカみてえにキメてやがるのだけは確かだな」
警察にマークされるような半グレ組織を相手取っている時点で、クスリ――所謂危険ドラッグを扱っている可能性があることくらいは史季も想定していた。
けれど、実際に取り扱っている様を見せつけられ、あまつさえその危険ドラッグをケンカに利用する様を見せつけられた衝撃は、史季が想定していたよりもずっと大きいものだった。
知らず知らずの内に、身震いしてしまうほどに。
そんな反応を見たからか、夏凛は神妙な面持ちで史季に告げる。
「こんなレッスンはしたくなかったけど、状況が状況だから言っとく。史季……クスリで痛みを感じてなくても、ローキックを叩き込めば相手の脚はちゃんと潰せるし、ハイキックを叩き込めば、相手の意識はちゃんとぶっ飛ばすことができる」
ここから先の言葉は彼女にとっても言いにくいものだったのか、意を決するように一呼吸ついてから言葉をついだ。
「殺すつもりで――とまでは、さすがに言わねーけど、手心なんてものは絶対に加えようと思うなよ。最低限壊すつもりでやらねーと、あいつらを倒すことなんてできねーし、それができなかった場合、こっちは壊される程度じゃ済まねーかもしれねーからな」
第三陣の構成員たちは、クスリをキメたことで理性すらぶっ飛んでいる可能性がある。
だからこそ夏凛が言外に、手心を加えたら最悪殺される可能性すらあると言っていることに気づいた史季は、息を呑みながらも「わかった」と返した。
「どうやら連中、薬をキメた奴らを軸に攻める気でいるみてえだな」
夏凛の強さにたじろいだ第二陣の構成員たちが後退し、クスリをキメた第三陣の構成員たちと入れ替わる様を見据えながら、斑鳩は言う。
結果として束の間の休息を得た史季は、息を整えることに専念しながらも、斑鳩と同じように敵の第三陣を見据える。
ここから先の戦いは、激化の一途を辿るかもしれない――そんな予感を抱きながら。