第20話 前兆
夏凛と別れた後、文房具屋でシャープペンシルの芯を購入した史季は、繁華街に向かおうか、それともこのまま家に帰ろうか迷いながら町を歩いていた。
土曜日授業がある日は、教職員が備品の整理を行うため予備品室は使えないことに加えて、明日はまた公園でゴチャマンのレッスンをやるということで、今日のケンカレッスンはお休みという形になっていた。
なので、春乃は友達の三浦美久と遊ぶ約束をし、夏凛もディスカウントストアでパインシガレットを買った後、繁華街で千秋と冬華と合流してから昼食がてら遊ぶつもりでいると言っていた。
後者に関しては、暇なら途中参戦してもいいぞと言われており、史季が繁華街に向かうか家に帰るか迷っているのも、それゆえだった。
正直、夏凛たちと一緒に遊ぶことには心惹かれるものがある。というか、心惹かれまくっている。
けれど、何かとエネルギッシュな彼女たちと今日遊んでしまったら、楽しさと引き替えに疲労が溜まる可能性が極めて高く、最悪、明日のゴチャマンのレッスンに影響が出る恐れがある。
自分のために集まってくれているというのに、前日に遊んだことが原因で疲れを引きずってしまい、レッスンそのものを台無しにするような真似はできればしたくない。
その思いが、史季を迷わせ続――
「なんやとゴラァッ! もっぺん言ってみろやッ!」
「あんたこそさっきのはどういう意味だぁッ! あぁんッ!?」
道行く先で二人の不良が凄み合っていることに気づいた史季は、思わずビクリと震えながら思考と足を止める。
(……え? あの二人って……)
凄み合っている二人が、揃ってリーゼントで、揃って聖ルキマンツ学園の制服を着ていることに気づいた瞬間、これは絶対に関わらない方がいいやつだと確信した史季は回れ右をしようとするも、
「あ゛ぁッ!? そこにおるのは折節史季やないか!」
「なにぃッ!? 折節先輩だとぉッ!?」
時すでに遅し。
凄まじい勢いで詰め寄ってきた二人のリーゼントに、史季は口から漏れかけた悲鳴をかろうじて呑み込んだ。
「ここで会ったが一〇〇年目や。もうぼちぼち執行猶予も切れる頃やし、オマエの覚悟も固まった頃やろ。ちゅうわけやから死刑執行といこか、折節ぃ」
物騒極まりないことを口走る、小日向夏凛ファンクラブ(非公式)会長――白石を前に、史季は覚悟なんて固まってないとばかりにブンブンとかぶりを振る。
「つうかリーゼント先輩よぉ、死刑だの何だの言ってっけど、あんた折節先輩に勝てんのかよ? この人マジでクソ強ぇぞ」
桃園春乃ファンクラブ(非公式)を発足した疑いがある田中の指摘に、白石は「ぐ……っ」と悔しげに口ごもる。
史季は史季で、面と向かって「クソ強ぇ」と言われたことに喜びに似た感情と、それ以上に勘弁してほしいという感情を同時に抱き、何とも複雑な表情をしていた。
「まあええわ。今はわからせてやらなあかんアホが目の前におるしな。だから折節、今日のところは特別に見逃したる」
「わからせてやらなきゃなんねえのは、そっちの方だろ。この俺、桃園春乃ファンクラブ会員ナンバー000000001にして会長の田中の前で、よくもまあナメたこと吐かしてくれたなぁッ!?」
「おい、待てや。ナメたこと吐かしとんのはそっちやろ! なんで小日向夏凛ファンクラブの会員ナンバーより『0』一個多いねん!」
「そりゃ春乃ちゃんの可愛さは、〝女帝〟よりも一桁上をいってるからなぁッ! ……いや、〝女帝〟は〝女帝〟でマジ可愛いけど」
「あ゛ぁんッ!? オマエ、マジぶち殺がすぞ! 夏凛姐さんがファンの数で一年の小娘に負けるわけないやろがボケェッ! ……まあ、春乃ちゃんは春乃ちゃんで可愛いのは認めるけど」
そんな二人のやり取りを見て、史季は心の底からこう思う。
(……なにこれ?)
針のむしろならぬリーゼントのむしろな状況に、史季は頭を抱えたい衝動をどうにかこうにか堪える。
座っても痛くないという意味では針よりもマシだが、精神的苦痛という意味ではリーゼントの方がはるかに上だった。
もういっそのこと二人を無視して、そ~っとこの場から立ち去ろうかと本気で考え始めたところで、ギャーギャー言い合ってた二人が突然揃ってこちらに顔を向けてきて、思わずビクリと後ずさってしまう。
「この際や! 折節! オマエの意見を聞かせろや!」
「折節先輩! あんたは春乃ちゃん派と〝女帝〟派のどっちなんだよ!?」
あ、これ、僕の答えで勝敗を決めるつもりだ――そう確信した史季は、いよいよ進退窮まってしまう。
なぜなら、夏凛と答えた場合は田中が、春乃と答えた場合は白石がブチギレるのが、火を見るよりも――いや、火を見るまでもなく明らかだったからだ。
「さあ! さっさと姐さんが良いって答えろや!」
「何言ってんだ! 先輩は春乃ちゃん派に決まってんだろ!」
好き放題言い合うリーゼントどもに、史季はひたすら気圧されていると、
「お? やっと見つけたぞ折節!」
それは天の助けか、さらなる混沌の前触れか。
背後から斑鳩の声が聞こえてきて、史季は再びビクリとしてしまう。
もっともビクリとしたのは史季だけではなく、突然四大派閥の頭が姿を現したことに、白石と田中も揃ってビクリとしていた。
していたから、二人の決断は迅速の一語に尽きるものだった。
「そ、そうや! ワイちょっと用事があったんやった!」
「そ、そういえば俺も、用事があったの忘れてた!」
性癖以外は妙に息がぴったりなリーゼントどもは、棒読みでそんなことを宣いながら、逃げるようにして史季の前から走り去っていった。
そんな二人の背中を見つめながら、斑鳩が何の気なしに言う。
「てかアイツ、白石じゃねえか」
「知ってるんですか?」
「そりゃ同じ三年だし、小日向ちゃんのファンクラブ会長なんて面白えことやってる奴だしな」
そう答えてから、斑鳩は得心したように「ああ、そうか」と声を上げる。
「女の子だらけの小日向派の中で唯一の野郎だもんな、折節は。白石からしたら極刑ものの罪人だから、そりゃ絡まれるわ」
まさしくその通りだったので、史季は「笑い事じゃないですよ」と返しながらガックリと肩を落とす。
そんな史季の反応に、斑鳩は笑い事だと言わんばかりにカラカラと笑った。
「まあとにかく、シャー芯はもう買ったんだよな? だったら、これからオレとちょっとケンカと洒落込まねえか?」
結果的には白石と田中を追い払ってくれたので、応えてあげたいという気持ちはほんのちょっとくらいはあるけれど。
やっぱり避けられるケンカは避けるに越したことはないので、申し訳ないとは思いながらも「けっこうです」ときっぱりと断る史季だった。
◇ ◇ ◇
そんな史季たちのやり取りを、路地の陰から監視する男たちがいた。
数は四人。
年齢の幅は、上は二〇代前半から、下は一〇代半ばまで。
服装に統一感はないものの、誰も彼もが年相応の格好をしており、四人揃って町を歩いていても特段怪しいところは見当たらない。そんな集団だった。
「なんか標的が二人とも揃っちゃってるけど、いっそのこと今ここで仕掛けるっていうのはどうっすか?」
史季と斑鳩の監視を続けながら、この場においては最年少の少年が提案するも、リーダー格の男が首を横に振って却下する。
「やめておけ。あいつらは二人とも、松尾さんところの地下格闘技場で無敗だったという話だからな。この人数では、挑んだところで返り討ちに遭うだけだ」
「なら、やっぱどっかに行きやがったリーゼントどもを追った方がいいってわけか」
「感じからして標的の知り合いっぽいしな。適当に捕まえた奴よりかは使えるだろ」
他二人の意見に男は首肯を返すと、懐からスマホを取り出し、別の仲間に電話する。
「見失っていないだろうな?」
『もちろん。つうか二人揃ってリーゼントとか、見失う方が難しいっしょ』
「だな。俺たちもすぐにそちらに向かう。それまでに済ませておいても構わんが、メッセンジャーはちゃんと逃がしておけよ」
言うだけ言って通話を切ると、男は仲間を引き連れて路地の奥へと消えていった。





