第13話 デート(?)
公園で女の子を下の名前で呼び捨てにするという、恥ずかしいようで不思議と悪い気がしない練習を終えた後、史季は夏凛と一緒にショッピングモールを訪れる。
その頃には外は暗くなりつつあったので、どうせだからモール内のフードコートで夕飯でも食べようかと夏凛が提案してくるも、
「それも、ちょっと厳しいかな……」
史季は渇いた笑みを浮かべながら、財布の中身を夏凛に見せる。
お札が一枚も入っておらず、小銭も一〇〇円玉が三つと、一〇円以下の硬貨が少々という惨状を見て、夏凛は顔を引きつらせた。
「これピンチはピンチでも、〝だいぶ〟どころか親に仕送りお願いするレベルでピンチじゃねーか!?」
「そこは大丈夫。生活費分はちゃんと別にして家に保管してるから。けどまさか、服を買うことになるなんて思ってなかったから、財布にはそこまでお金を入れてなくて……」
「まー、元から買い物に行くつもりでもねー限り、そんな財布にお金なんて入れとかねーよな。万札とか入れてると、なんか落ち着かねーし」
お互い親元を離れて一人暮らしをしていてお金の扱いに気を遣っているせいか、それとも単に貧乏性なだけなのか、共感を覚えた史季と夏凛は揃ってうんうんと頷く。
「繁華街からだと史季ん家は遠いし、二人でメシ食うのはまた今度でいっか」
「う、うん……」
夏凛自身、特に意識せずに言ったようだが、だからこそごく自然に「二人で」と彼女に言ってもらえたことを史季は心底嬉しく思う。が、例によって恐れ多さやら気恥ずかしさやらも半端なかったので、返した返事はどうしてもぎこちないものになってしまう。
そしてこれまた例によって、そんな心中が顔に出てしまっていたらしく、夏凛は微妙に顔を赤くしながらも、こちらの肩を弱々しく叩いた。
「ばかっ。友達としてに決まってんだろが」
「あ、いや、そ、そうだよね! そんなことないよね!」
というやり取りをかわしたところで、史季と夏凛は揃って相手から顔を背けてしまう。
二人していっぱいいっぱいになっているせいで、史季も夏凛も、自分のみならず相手も〝そんなこと〟を意識しているという事実には毛ほど気づいていなかった。
「い、いつまでもこんなところでボサっと突っ立ってるのも何だし、そろそろ行こうぜ」
「う、うん。そうだね」
史季は言わずもがな、夏凛までもがぎこちなくなりながらも、特に目的地も決めないまま肩を並べて歩き出す。
小日向派の皆で訪れていたならば、どこに行こうかと駄弁りながらモール内を練り歩いていたところだろう。
しかし今は、史季と夏凛だけしかいない。
その事実が、いつもよりも二人の口を重くする。
行き交う人たちの中にちらほらとカップルが混じっているせいで、史季も夏凛もますます〝そんなこと〟を意識してしまい、ますます口が重くなっていく。
そのせいで、史季は今、この場から走って逃げ出したいくらいの居たたまれなさを覚えていた。
同時に、ずっとこのままで歩き続けたいと思えるほどの居心地の良さも覚えていた。
相反する甘さが、堪らなく気恥ずかしくて、堪らなく心地良い。
このままずっとこの甘さに浸っていたいところだけれど、甘さを感じているのは自分だけかもしれないという思いが没入を許さない。
そんな思いを抱えているくせに、今隣を歩いている彼女がどんな顔をしているのか、確かめることができない。
少し横目を向ければ済む話なのに、できる気がしない。
確かめたが最後、この逃げ出したくなるような甘い一時が、その瞬間に終わってしまうような気がしたから。
とはいえ、何事にも終わりというものは訪れる。
それは偶然か必然か、ある意味では目的地とも言えるスポーツアパレル店が道行く先に見えた瞬間、史季と夏凛は「「あ」」と声を重ねて立ち止まった。
「せ、折角だし、見てくか?」
「そ、そうだね」
歩き出す前のぎこちなさをいまだ引きずりながらも、二人はスポーツアパレル店に足を踏み入れる。
とはいえ、夏凛の方は史季ほど重症ではないらしく、入ってすぐのところにジャージのコーナーがあるのを認めた途端、ぎこちなさなど忘れて楽しげに物色し始める。
「へー、この店イケてるやつ多いじゃん」
そんな夏凛に釣られるように、史季も幾分ぎこちなさがとれた調子で応じた。
「だね。その分高そうだけど……」
「どのみち三〇〇円ちょっとで買えるジャージになんてあるわけねーし、その辺は今は気にしなくていいだろ」
言いながら、ハンガーラックにかかっていたジャージのセットを一着抜き取り、こちらに見せつけてくる。
「こいつなら、アリスが選んだやつよりもかっこいいと思わねーか?」
黒を基調としている点はアリスが選んだジャージと同じだが、夏凛が選んだジャージには胸のあたりに見たこともないブランドロゴの刺繍が施されていたり、ジャージの両サイドにロゴテーピングが縫い付けられていたりと、華やかさがプラスされていた。
だからこそ、忖度抜きにアリスが選んだジャージよりも格好いいと思った史季は首肯を返したが、
「でもこれ、本当に高そうな感じがするんだけど……」
「言ってもジャージだろ? いって一万くらいだ……ろ……」
商品タグに書かれていた値段を見て、夏凛の言葉尻が萎んでいく。
その反応を見て、まさかと思いながら史季も商品タグを覗き込み……その〝まさか〟すらも上回る値段に、思わず素っ頓狂な声を上げた。
「二五〇〇〇円ッ!?」
「た、たぶんこいつがたまたま高かっただけだろ」
声音と同じように震えた手でジャージをハンガーラックに戻すと、他のジャージを抜き取って値段を確認し……そっとハンガーラックに戻した。
「夏凛……今の、三〇〇〇〇って書いてなかった?」
「……書いてたな」
「…………」
「…………」
「……とりあえず、店の外に出ない?」
「異議なし」
史季と夏凛は足早に、実は頭に〝高級〟がついているタイプのスポーツアパレル店を後にする。
近くにあったエスカレーターに乗り、一つ上の階で降りたところで、夏凛が嬉しげに笑いながら話しかけてきた。
「つーか史季さ、さっきすげー自然に『夏凛』って言えてたよな」
指摘されてようやく気づいた史季は、「あ……」と間の抜けた声を漏らしてしまう。
「それでいいんだよ、それで」
夏凛自身意識しているのかいないのか、初めて「夏凛」と呼ばれた時に史季に向かって言った言葉を、今度はそっぽを向くことなく、ぶっきらぼうでもなく、嬉しげに微笑みながら言ってくる。
そんな笑顔を向けられたせいか、顔が熱くなっていくのを感じた史季の方が、思わずそっぽを向いてしまう。
「あ、照れてる照れてる」
ケラケラと笑いながら指摘され、ますます顔が赤くなっていくのを自覚する。
そっぽを向いているせいで、彼女の頬にも少しだけ熱が帯びていることに気づかないまま。
これまた当の夏凛は意識しているのかいないのか、火照りを冷ますようにして鉄扇で顔を扇ぎながら、エスカレーターのすぐ傍にある雑貨店を空いた手で指し示した。
「次はあの店覗いてみよーぜ。さっきの店と違って、高い商品は置いてなさそーだし」
史季はそっぽを向いていた顔を戻し、夏凛が指し示した雑貨屋を見やる。
店の内装こそ異国情緒に溢れているものの、店頭に置かれている「全品一〇〇円!」とデカデカと書かれたワゴンセールのPOPが、その全てを台無しにしている店だった。
自らの強みを殺していく営業スタイルに、史季は思わず苦笑してしまう。
「ここなら、今の史季でも三つくらいは何か買えるな」
夏凛はイタズラっぽく笑いながら鉄扇を懐に仕舞い、一〇〇円セールのワゴンに小走りで駆け寄る。
彼女に遅れてワゴンを覗いてみると、そこにはキーホルダーやアクセサリーといった小物が、種類別で区分けされた状態で陳列されていた。
「おっ、これいいな」
そう言って彼女が摘まみ上げたのは、吸いかけの煙草を模した鞄用装飾品だった。
再び、史季の頬に苦笑が浮かぶ。
「本当に好きだよね。煙草っぽいもの」
「だって、なんかかっこいいし……およ?」
応じながらワゴンを物色していた夏凛は片眉を上げ、
「もう一コ見~っけ」
ニンマリと笑って、二つ目の煙草型バッグチャームを摘まみ上げた。
自然、史季の苦笑が深くなる。
「けどまー、いくら安いっ言っても二コもいらねーから、買うのは一コだけで……」
両手で摘まんでいたチャームの片割れをワゴンに戻そうとしたところで、夏凛は言葉のみならず、動きも中途半端に止める。
それから何か逡巡するようにそのまま固まり……突然、こちらを見もせずに、ワゴンに戻そうとしていたチャームを突きつけてきた。
「し、史季も買っとけよ。折角来たのに何も買わねーってのも何だし、たった一〇〇円だし」
史季は、夏凛の言動をすぐには理解することができなかった。
だって彼女は今、僕に向かって、お揃いのバッグチャームを買うことを勧めてきている。
その事実を、骨の髄まで草食動物な史季は、すぐには理解することができなかった。
「か、勘違いすんじゃねーぞ。これは……その……アレだ。史季があたしのことを、下の名前で呼ぶようになった記念ってやつだ。それ以外にたいした意味なんてねーからな」
耳まで真っ赤にしながら、相も変わらずこちらを見もせずに言い訳じみた言葉を並べていく。
健全な男子高校生ならば、この時点で脈の一つや二つあるのではないかと考える場面だが、
「き、記念か! そ、そうだよね! そういう意味だよね!」
魂の髄まで草食動物な史季は、〝もしかして〟とすら考えることなく、というか思考そのものを放棄して、夏凛の言葉に乗っかった。
「なら……んっ」
ちょっとだけこちらに横目を向けながら、ずいとさらに深くチャームを突きつけてくる。
史季は無駄に畏まりながらも、両手でチャームを受け取ると、夏凛はもう我慢の限界だと言わんばかりに、完全にそっぽを向いた。
史季は史季で、もうどうしようもないくらいに頬が緩んでいくのを自覚していたため、夏凛と全く同じタイミングで、そっぽを向いていた。
今の彼女が、自分と同じように、もうどうしようもないくらいに頬が緩んでいるとは夢にも思わずに。
そして、史季はおろか、夏凛さえも夢にも思っていないことがもう一つ。
今二人がいる場所は、日曜日のショッピングモール。
その中にある、雑貨屋の店頭。
行き交う人々の目に、二人の初々しい有り様が映るのは必然であり、その目の悉くが生暖かいものになることもまた、必然だった。
そんなことになっているなど毛ほども気づいていない史季と夏凛は、二人してお揃いのチャームを握り締めたまま、今しばらくはワゴンの前でモダモダしたのであった。
突然デスが、お報せしたいことが二つほどありマース。
一つ目のお報せは、おかげさまで本作の書籍版が発売から二週間足らずで重版と相成りマーシタ。
ご購入してくれた方々に、感謝と御礼を述べさせていただきマース。
二つ目のお報せは、執筆速度的な意味でいよいよ本格的に厳しくなってきたので、申し訳ありマセンがここから先は週1更新でいかせていただきマース。
しかも、書籍版2巻の改稿を始めるタイミング次第では週1ペースでの更新すらも難しくなるかもしれないという(白目。
そうなった場合は活動報告で告知させていただきマスので、どうかご容赦いただけると幸いデース。
現状は金曜日更新でいく予定デスので、よろしくお願いいたしマース&誠に申し訳ございマセーン。