第34話 祭りのあと
たった三人しかいない夏凛たちが、何十倍もの人数を誇る鬼頭派を相手に勝利した。
その戦いをこの目で見ていたからこそ、美久はなおさら信じられなかった。
「み、美久はこういう雰囲気苦手そうだから、あたしが手ぇ繋いでやんよ!」
そう言って繋いできた夏凛の手が、もう死ぬほど恐いですと言わんばかりにプルップルに震えていたことが。
朱久里のスマホに、春乃のことで面倒なことが起きているという坂本からの報告が入り、その信じられない内容に小日向派も鬼頭派も関係なく誰も彼もが頭を抱えた後、美久は夏凛や朱久里たちと一緒に廃病院の敷地に足を踏み入れた。
そして、一年最強決定戦の舞台となった本棟のすぐ傍にある、別棟に足を踏み入れた途端、突然夏凛の方から手を握ってきたのだ。
廃病院なのになぜか点っている薄暗い電灯のせいで、心霊スポットの様相を呈している廊下の雰囲気にビビったように。
「あのぉ……もしかして小日向先輩、こういう場所ダメなんですか?」
「ダ、ダメってなんだよ!? べ、別にこんなの恐くもなんともねーし!」
わざわざ「恐い」という言い回しを避けたのに、自分から口にする夏凛に美久はいよいよ苦笑する。
「んなザマで、んなこと言われても説得力ねぇけどな」
「ないわね~」
「ううううるせーっ!」
千秋と冬華に向かって怒鳴る夏凛の声は、面白いくらいに震えていた。
「ま、小日向のお嬢ちゃんがこういうのが苦手だって知ってたから、アタシは廃病院を一年最強決定戦の舞台に選んだんだけどね」
「だ、だから苦手じゃねーっ言ってんだろ、鬼頭センパイ!」
とは言いながらも、朱久里を睨む夏凛の目は、どこか恨めしそうだった。なんだったら微妙に涙目だった。
美久でさえも、年上相手に失礼だと承知した上で、思ったよりも可愛い人なのかもしれないと思ってしまう。
(それにしても……)
先程まであんな大ゲンカを繰り広げていたにもかかわらず、夏凛と朱久里が当たり前のように肩を並べて歩いていることを、美久は心底不思議に思う。
会話にしても、さすがに和気藹々とまではいかないが、雰囲気自体は和やかなくらいだった。
夏凛たちが荒井派とやり合った時、春乃が拉致されたり、荒井派のナンバー2が病院送りにされたりと、殺伐しすぎるほどに殺伐な噂ばかりが耳に届いた分、なおさら目の前の光景が不思議でならなかった。
もっとも、これから美久が目にする光景は、夏凛や朱久里たちですらも頭に「摩訶」が付くほどの不思議っぷりだったが。
朱久里に案内されて向かった場所は、別棟一階にある大部屋の病室だった。
なんでもその部屋で、決定戦に敗れて怪我を負った一年生の応急処置をしているらしく、その部屋に春乃がいるという話だったが……大部屋に辿り着いた瞬間、事前にそうなっているという話を聞いていてなお、美久は眼前で繰り広げられている光景をすぐには理解することができなかった。
なぜか春乃が、大部屋のど真ん中で、怪我を負った一年生の応急処置をしていたのだ。
それだけならまだ理解も及んだが、わけがわからないことに、一年生の不良どもが春乃の応急処置を受けるために、お行儀良く長蛇の列を成していたのだ。
「はい! これで終わり!」
強面の不良男子の腕に包帯を巻いた春乃が、笑顔で処置が終わったことを伝える。
「う~ん、ありがと~」
強面男子はデレッデレになりながらも猫なで声で春乃にお礼を言い、熱にでも浮かされたような顔をしながら列から離れていく。
その次に並んでいたのは、怪我をしたから仕方なく並んでいただけだと思いっきり顔に書いてある、不良女子だった。
どうにもその不良女子は、野郎どもを骨抜きにしている春乃のことが気に入らないらしく、殴られて痣ができた顔を露骨に気に食わなさそうにさせていたが、
「大丈夫? 痛くない?」
親身になって処置をしてくれる春乃に絆されたのか、最終的には先の強面男子と同様、熱に浮かされた顔にアイスパッドを当てながら列から離れていった。
大部屋の隅で不機嫌そうに春乃を睨んでいる、ピンク髪の不良女子一人を除いて、誰も彼もが現在進行形で春乃に骨抜きにされている状況だった。
別の隅にいるリーゼントの不良男子に至っては、骨どころかもっと大事なものが抜かれたような顔をしていた。
これには美久も、夏凛でさえも、唖然とするばかりだった。
「なんでウチ、春乃のことを心配したことに敗北感を覚えてんだ?」
そんな千秋の一言に、美久も夏凛も共感し、
「……うん。確かにこれは、坂本が言っていたとおり面倒だね……。しかも、どう収拾をつければいいかわからない類の面倒くささだね……」
朱久里も含めた鬼頭派のメンバー全員が遠い目をし、
「はるのん……! 最っ高……! ほんっと最っ高……!」
冬華ただ一人だけが、腹を抱えて笑っていた。
そんな中、決定戦の進行のみならずこの場を取り仕切っていた坂本が、朱久里のもとにやってくる。
「怪我人の多さを見て、桃園が自分も手伝うと言ってきてな。彼女は医者の娘だから渡りに船だと思ってやらせてみたら……」
「ご覧の有り様ってわけかい」
「……面目ない。まさかこのような事態になるとは思わなかった。それよりこの状況、どうすればいいと思う?」
さしもの朱久里もすぐには答えが出せなかったらしく、代わりに坂本に質問する。
「桃園のお嬢ちゃんの処置は的確なのかい?」
「ああ。医者の娘なだけあって、鬼頭派で用意した救護班の誰よりも的確――」
「ぐぇあぁああぁぁぁぁああぁッ!!」
恐竜が尻尾を踏んづけられたような悲鳴が轟き、朱久里と坂本は会話を中断する。
悲鳴が聞こえた方を見やると、消毒液を手にオロオロする春乃と、彼女の処置を受けていた不良男子が、どこぞの特務の青二才のように「目がぁ……目がぁ……」と両手で目を押さえて悶絶する姿が視界に飛び込んでくる。
どうやら春乃がドジって、不良男子の目に消毒液を噴出させてしまったようだ。
「……まあ、たまにドジるみたいだがな」
「……この状況で下手に交代させると、余計に面倒くさいことになりかねないからね。引き続き桃園のお嬢ちゃんには一年たちの処置をしてもらうことにして、さっきみたいなドジが起きないよう、しっかりと見張っと――」
「あっ! 先輩たちっ! 美久ちゃんもっ!」
「ぼぇあぁああぁぁぁぁああぁッ!!」
美久たちの存在に気づいた春乃が消毒液の容器を強く握り締め、勢いよく噴き出した液体がまたしても不良男子の目に直撃する。
「あ、あたしらのことは気にしなくていいから、目の前のことに集中しろ! そいつめっちゃ可哀想なことになってんぞ!?」
夏凛の言葉に、春乃は「は、はいっ!」と答えながらも、不良男子に平謝りしながら今度こそ処置に集中する。
二度も会話を中断させられた朱久里は、ますます遠い目をしながら言う。
「さすがにアタシも、あの子が次に何をしでかすのかは全く読める気がしないよ」
これには夏凛たちも苦笑するばかりだった。
冬華一人だけは、またしても腹を抱えて笑っているが。
「春乃の無事も確認できたし、次は史季だな」
夏凛は一転して真剣な声音で言いながら、朱久里を見やる。
「わかってる。ついておいで」
そう言って坂本に目配せをし、首肯が返ってくるのを確認してから歩き出す。
夏凛も朱久里を追って歩き出し、美久も深く考えることなく二人について行こうとするも、
「ダ~メ」
爆笑していたはずの冬華にいきなり背後から抱き締められ、美久は目を白黒させながらも足を止める。
「みくみくは、はるのんの傍にいてあげないと。ね?」
背中にあたる大人な感触に、憧れやら羨ましさを覚えずにはいられないことはさておき。
全くもってそのとおりだと思ったので、美久は素直に先輩の言葉に従った。
「ちーちゃんも。みくみくとはるのんだけを、ここに置いていくわけにはいかないし。ね?」
「オマエが何考えてんのかはわぁってるけど、鬼頭パイセンと一緒に行く以上、ウチらがいようがいまいが関係なくねぇか?」
「さ~て、それはどうかしらね~?」
なんとも意味深な先輩たちの会話が理解できなかった美久は、冬華に背後から抱き締められた状態のまま小首を傾げた。