トマトソース
お袋の味と言われて、私が真っ先に思い浮かべるのはミートソーススパゲッティであった。小学生のころ、キッチンで料理をする母の後ろ姿をテレビをラジオにしてワクワクと眺めていたのを思い出す。野菜を切るときの弾むような音に、火を入れた時に部屋中に広がるフワフワに、夢中になっていたゲームやテレビのことなど忘れ、ソファの後ろを振り返ったものだ。今思えば、何が私をそこまで惹きつけていたのだろう。
ミートソーススパゲティは小学生の頃の私にとって、一番の大好物であった。母が玉ねぎを手にもつとそのたびに「今日スパゲッティ?」と尋ねる私に、母は微笑みながら「昨日食べたでしょう」と。今そのやりとりが思い出せるのだから、そのくらい何度も。
食欲をそそる赤に、白い湯気がモワモワと立ち上る。その光景を見ると気分が跳ね上がり、その食卓では、普段厳格で話すことが躊躇われる父との会話も気にならなかった。いつもは食後に甘味をねだる私であったが、その時だけはすぐに自分の部屋に戻って、ふとした時に感じられる口の中のトマトを何度も楽しんだものだった。その日は父にバレないように歯を磨いたふりもした。
中学生になった。高校生になった。大学生になった。一人暮らしを始めた。大切にしたいと思える相手ができた。両親のことを考えることなど無くなり、大好きな彼女と過ごす時間が増えた。奇しくも、彼女の得意料理はミートソーススパゲティであった。それが私の好物であると知って以来、私が落ち込むたびにそれを振る舞ってくれた。彼女が帰った後、口に残る少しの苦味と、彼女の好物であったプリンの甘味を感じながら眠りについた。
訃報。交通事故だった。初めてできた大切にしたいと思える相手を、私は失くした。たったの二年。彼女とのたった二年が私のこれからを全て奪い去ってしまった。どうしようもなくて、どうしようもなくて、どうしようもなくて。
三年ぶりに実家に帰ってきた。相変わらず暖かく冷たい我が家の玄関をくぐったとき、洗濯カゴを持って立っていた母の姿に、顔に、髪の白髪に少しだけ驚いた。三年というのは短いようで、案外かなりの時間なのかもしれないと思った。
その日の夕食は、母の作ったミートソーススパゲティであった。彼女ができたことも、そして失くしてしまったことも話をしたことはなかった。しかし、母は優しく微笑みながら私が食べるのをただ黙って見ていた。内に澱んでいた思いが、頬をつたった。母を見た時に感じた時の流れも相まって、また失ってしまうかもしれないと。母は優しく微笑みながら私が食べるのをただ黙って見ていた。父も母と同じくらいには老けたように思えたが、しかしやはり私に目を向けることは少なかった。昔から変わらないようだった。私は、食後にプリンを食べた。
訃報。時間というのはどうしようもないものだ。もう母の作ったミートソーススパゲッティは見ることも味わうこともできなくなってしまった。私は少し高めの店に足をはこび、ミートソーススパゲッティを注文した。母を偲びながら味わうはずだったそれが、しかし、どうしても同じ料理には思えなかった。少しだけそれを残して店を後にした。フラフラと歩きながら家に帰った私は、その後何もする気が起きなかったので歯を磨いて眠った。
父がアルツハイマーになったという連絡を受け取ったために実家に帰った。温度の感じられなくなった我が家の扉をくぐると、父らしき人が廊下に倒れていた。私は慌てて駆け寄り、そしてほっとした。どうやら少しふらついただけのようだった。起き上がるのに手を貸すと、父が「ありがとう」と伝えてきた。どうしようもなく哀しくなった。
夕食どきになり、そろそろ何か作らないととキッチンに向かうと、父がすでに何やら料理を始めていた。「俺が作るから、テレビでも見てなよ」と伝えると、「お前に気を使われるほど耄碌しちゃいない」と玉ねぎを持ちながら不機嫌そうに返された。そんなつもりではなかったのだが、少し心が軽くなった。それに、今やたった二人きりの家でこれ以上拗らせることはしたくなかったので、素直に任せることにした。
匂いで、もしかしたらと思ってはいたのだが、父が作ってくれたのはミートソーススパゲッティだった。父は私のことなど気にしていないだろうと感じていたがゆえに、大変驚いた。相変わらず私に興味がなさそうな表情ではあったのだけれど。一口食べた。なんというか、とても大味だった。二口目。どうしようもなく母のミートソーススパゲッティの味とは違うと感じた。三口目、四口目、、、。全部食べた後に、「あんまり美味しくないな。ごちそうさま」と笑顔で父に言った。すると父もまた笑顔で、「もう二度と作らんからな」と。
自分の部屋に戻った後、口に残った塩辛さと甘酸っぱさを感じながら、これからは自分が人に振る舞うのだと、そう思った。
私は暖かい我が家のベットで、そのまま眠りについた。