98 妖精王女、渋い顔になる
「……お気になさらないでください、エリザード様。ベリウス様にも申し上げましたが、私と陛下は『運命の番』といってもあくまで事務的な関係にすぎませんので」
エリザードを安心させようとそう口にしたが、声となって出てきた音はどこか刺々しい響きを帯びているように感じられてならなかった。
……なんだか、何もかもがうまくいかない。
視線を下へ落とし、エフィニアは内心でため息をつく。
(……エリザード様からすれば、私はいきなり湧いてきた邪魔者よね)
ただ「運命の番」というだけでグレンディルの妃の一人となり、彼の傍にいることができる。
たいした力もない小国の、ちんちくりんな王女でしかないエフィニアが。
ミセリアやレオノールのようにあからさまに馬鹿にされてもおかしくはないのに、そうしないのはエリザードの人徳ゆえだろう。
(ベリウス様はエリザード様を陛下の妃……それも皇后にしたいと仰っていた。でも……)
さすがにエフィニアが全面的に後押しすることはできない。
(私にだって後宮での立場があるし、一応「エフィニア派」と名乗っている皆様の期待を裏切りたくはないし……)
その思考自体が言い訳のようで、エフィニアはますます気が滅入ってしまう。
果たしてエリザードの応援をしたくないのは、それだけが理由なのだろうか。
考えれば考えるほど自分の嫌な面が見えてきて、エフィニアがこの場から逃げ出したい気分だった。
「……もし、エリザード様が皇帝陛下ともう一度お会いしたいとおっしゃるのなら、私も力添えいたします」
そう告げると、エリザードは驚いたように目を見開いた。
慌てて、エフィニアは付け加える。
「ですが、私が力添えできるのは『皇帝陛下と会う』ところまでです。陛下がエリザード様を妃として迎え入れるかどうか、ましてや皇后の選定については口出しできる立場ではありませんので」
その言葉を聞いた途端、エリザードの瞳に確かに失望の色が宿ったのをエフィニアは見逃さなかった。
(そりゃあそうよね……)
彼女だって、一応はグレンディルの「運命の番」であるエフィニアの後押しがあれば心強いのだろう。
だがエフィニアは、そこまでエリザードに入れ込むこともできなかった。
彼女の境遇は哀れだと思う。グレンディルはしっかりと責任を取るべきだとも。
だが彼は一人の男性でもあり、マグナ帝国の皇帝でもあるのだ。
単純な感情論で国の行く末を左右するような決定をするべきではないだろう。
ここへ来る前はクロの母親を皇后へ推そうと思っていたのに、なんという矛盾だとエフィニアは自嘲する。
(私……本当はエリザード様に嫉妬しているのかしら)
グレンディルとお似合いの、理想を体現したような女性。
エフィニアでは文字通り背伸びをしても届かないものを、彼女はたくさん持っている。
エリザードはなおも話したそうな顔をしていたが、これ以上話しているとますます嫌なことを言ってしまうかもしれない。
「……ずいぶんと冷えてきましたね。そろそろ戻りましょう。エリザード様が体調を崩されては、あの子が心配してしまいます」
「え、えぇ……そうですね。エフィニア様はお優しくていらっしゃる」
なおも動こうとしないエリザードを先導するように、エフィニアはバルコニーから建物の中へと戻った。
少し離れたところに心配そうな顔をしたイオネラが待機しているのが見える。
どうやら彼女は心配して待っていてくれたようだ。
「遅くなってごめんなさい、イオネラ。先に寝ててもよかったのに」
「そんな、エフィニア様を置いて一人で寝ることなんてできませんよぉ」
イオネラの視線が、エフィニアの背後のエリザードへと移る。
「……エリザード様、私でよければ部屋までお送りし――」
「いえ、結構よ。……エフィニア王女、こうしてお話しできたこと、心より感謝いたします」
エリザードは軽くエフィニアに頭を下げると、颯爽とその場を後にした。
その姿を、イオネラはじっと見つめている。
「……どうしたの、イオネラ」
エリザードに聞こえないように小声で問いかけると、彼女は同じく小声で返してくる。
「いえ、大したことではないのですが……」
エリザードが廊下の角を曲がり、姿が完全に見えなくなると、イオネラはぽそりと呟いた。
「ここの構造を考えると、エリザード様のお部屋ってあっちじゃないんですよね」
「え、そうなの?」
「はい。基本的に東棟は居住空間、西棟はお仕事や会合を行う場となっているんです。……で、今エリザード様が向かわれた方向にあるのは西棟なんです」
確かに、もう夜更けと言ってもいい時間だ。
おそらくはエリザードの私室も東棟にあるのだろうし、何故西棟の方へ向かったのだろうか。
「こんな時間に何か御用があるのかしら……」
「わかりませんが……ベリウス様の執務室があるのも西棟なんですよね」
何かをにおわせるように、イオネラはそう口にする。
一瞬で様々な想像が脳裏に浮かび、エフィニアは渋い顔になってしまう。
「……余計な詮索はやめましょう。お二人に失礼よ」
咎めるようにイオネラを小突くと、彼女は小さくため息をつく。
「私の思い過ごしならいいのですが……」
「きっとそうよ。今日はもう寝ましょう」
イオネラを引っ張るようにして、与えられた部屋へと向かう。
灯を消し、寝る態勢になっても……ぐるぐると頭の中を様々な考えが浮かんでは消え、とても落ち着いて眠れそうにはなかった。
……だから、眠りが浅かったのかもしれない。




