94 妖精王女、過去を知る
「あの……質問をよろしいでしょうか」
その時、エフィニアの隣に座っていたイオネラがおずおずと口を開く。
エフィニアは驚いた。
イオネラはそそっかしい部分はあるが、きちんとわきまえるべき場面ではわきまえることできる人物だ。
普段なら、こんな風に直接ベリウスに質問を投げかけるようなことはしないのだが……。
ベリウスが気を悪くしたのではないかとエフィニアは焦ったが、彼はにっこりと人好きのする笑顔で答えてくれた。
「何でもどうぞ、獣人族のお嬢さん」
「その……先ほどのエリザード様がクロちゃんのお母様なんですよね?」
「ちょっとイオネラ、今ベリウス様がそう説明してくださったじゃない!」
ベリウスの長話の間、まさかイオネラは寝ていたのだろうか。
エフィニアは眉をひそめたが、イオネラは「そうではない」とでもいうようにふるふると首を横に振った。
「でも先ほどのクロちゃん……エリザード様を嫌がってましたよね?」
「それは……久しぶりに会ったから緊張していたんじゃない?」
「でもその後で来られたナンナさんのことは嫌がってませんでしたよ? 長く会っていなかったのはナンナさんも同じはずでしょう?」
……そう言われてみれば、その通りだ。
何故クロは、母親であるエリザードに対してあんな態度を取ったのだろう。
訝しむエフィニアに気づいたのか、ベリウスが慌てたように口を挟んでくる。
「おっと、そこに気づくとは鋭いですね」
エフィニアは再びベリウスに視線を移す。
ベリウスはエフィニアとイオネラの会話を聞いて、どこか困ったような笑みを浮かべていた。
「……決して、エリザードが悪いわけではないんです。彼女は幼少時から体が弱く、あの子を産んでからは特に寝込みがちになりました。それも私が彼女を保護した理由の一つです。ですから母親と言っても、エリザードは満足にあの子を抱いたり遊んでやることもできなかった」
ベリウスは目を伏せてそう告げた。
「エリザードが寝込んでいる間は、ここの使用人があの子を育ててきました。先ほどのナンナもそのうちの一人です。……エリザードにとっては不幸なことでしょうが、あの子にとってエリザードよりも他の使用人の方が身近な存在なのかもしれませんね」
「…………」
エフィニアはなんとも言えずに黙り込んでしまった。
だがイオネラはいつになく真剣な顔つきで、ベリウスを見つめている。
「……先ほどから、ベリウス様はクロちゃんのことを『あの子』と呼ばれていらっしゃいますね。あの子の本当の名前はなんというのでしょうか」
イオネラの言葉にエフィニアははっとした。
そういえば「クロ」はあくまでエフィニアたちが便宜上つけた名前であり、クロには本当の名前があるはずだ。
後宮で聞いたときは、「わかんない」と答えてくれなかったが……。
エフィニアも視線を上げ、ベリウスを見つめる。
彼は何とも言えない曖昧な笑みを浮かべていた。
「あの子の名前、ですか」
「えぇ、私たちはあの子に何度も問いかけましたが『わからない』というばかりでした」
「それは面倒をおかけしましたね」
ベリウスは額を押さえるようにして、大きくため息をついた。
「率直に申し上げると、あの子には決まった名前というものがありません」
「え? 名前がない!?」
予想外の言葉に、エフィニアは素っ頓狂な声を上げてしまった。
「そんなの、どうして……」
「先ほどお話しした通り、あの子の父親はグレンディルです。あの子が生まれた際、エリザードは『父親の許可なく名前を付けることはできない』と言い張りまして……」
「えぇ……?」
皇位継承争いの最中だったからこそ、ひっそりと身を隠すのはわかる。
だが父親の許しがないので生まれた子供に名前も付けないというのはよくわからなかった。
竜族の間では普通だったりするのだろうか。
「実は……エリザードはあの子に自分が母親だということも伝えていないのです」
「えっ!?」
「エリザードがグレンディルを恋い慕っていたことは有名でしたからね。万が一にでもグレンディルの子であることが露見し、あの子が危険にさらされるのを避けたかったのでしょう」
「…………」
エフィニアは混乱してきてしまった。
話を聞く限り、エリザードがクロの身を案じているのはよくわかる。
だが自身が母親だと告げもせず、名前もつけず……そんなことがあるのだろうか。
エフィニアの思考回路では、よく理解ができなかった。
ベリウスもエフィニアがいろいろと考え込んでいるのに気づいたのだろう。
困ったように眉根を寄せ、口を開く。
「……竜族は気性が荒く、己の目的のためならどこまででも狡猾になれる種族です。だからこそエリザードは、どんな手を使ってでもあの子を守りたかったのでしょう。どうぞ、ご理解ください」
「…………わかりました」
いまいち納得はできなかったが、エフィニアは儀礼的にそう答えた。
エフィニアやイオネラの腑に落ちなくても、これは今までクロを保護していたベリウスとエリザードが決めたことなのだ。
ほんの短い間、あの子の面倒を見ていたエフィニアたちが口を出すべき問題ではない。
……と、考えるべきなのだろうが――。
(やっぱり、どうかと思うのよね……)
クロはたった一人でここを飛び出し皇宮にやって来た。
エフィニアが何度問いかけても、ここのことやベリウスやエリザードの話をしようとはしなかった。
それは、いったい何を意味するのだろう。
(でも、あの子は本当の母親もとに帰れたんだもの。それが一番のはずよ……)
悩むエフィニアに、ベリウスはにこやかに声をかける。
「遠路はるばる旅をされてお疲れのことでしょう。お部屋を用意してありますので、是非そちらでお休みください」
「ご厚意に預かりましたことに、心より御礼申し上げます。ベリウス様」
大方予想していたことばかりとは言え、実際にいろいろ聞いて疲れたのは確かだ。
考えを整理するためにも、今日はもう休んだ方がいいだろう。
そう判断し、エフィニアはベリウスに礼を言った。




