9 妖精王女、後宮の侍女を助ける
(よし、まずは情報収集よ!)
まずは誰が敵なのかを、それにこの後宮という場所をもっと知っておいた方がいいだろう。
意を決して、エフィニアは軽く後宮内の散歩と偵察に出ることにした。
エフィニアに与えられた邸宅を離れ、少し歩くと……他の妃たちの居住していると思わしき建物が見えてくる。
この辺りまで来ると多くの女官や侍女とすれ違うようになってくる。
庭園にはのんびりお茶会を楽しむ妃の姿も見えた。
(竜族だけじゃなく、獣人族に人魚族に妖鳥族まで……本当にあちこちから妃を集めているのね)
竜族と大陸の覇権を争った獣人族、海中に独自の文明を築く人魚族、神秘的な歌声を持つ妖鳥族……。
ずっと妖精族の国で暮らしていたエフィニアは知識としてしか知らなかったが、この大陸には数多の種族が暮らしている。
どうやら皇帝グレンディルは宝石箱に多種多様な宝石をコレクションするかのごとく、大陸中から多くの種族の妃を集めているようだ。
……自分も、その中の一つなのだろうか。
いや、あの「あんな子供みたいなのが俺の番だとは心外だ」などとのたまう皇帝のことだ。
エフィニアのことなど、宝石ではなくたまたま転がり込んできた石ころくらいにしか認識していないに決まっている。
そんなことを考え、少しむかむかしながら歩いていると、エフィニアの耳に甲高い声が飛び込んでくる。
「本当にどうしようもないわね!」
「この役立たず!!」
「その長い耳は何のためについてんのよ!!」
「う、うぅ……」
どうやら何人かが、一人に罵声を浴びせているようだ。
繰り返す罵倒の声と、怯えたようなすすり泣きに、エフィニアは眉をひそめた。
(まったく、何があったか知らないけど、側室に聞かれるかもしれない場所で揉め事なんて……本当にこの後宮は躾がなっていないわ)
運が良ければあの女官長の怠慢事項の一つになるかもしれない。
何か弱みを握る手掛かりになれば……と、エフィニアはこっそり声の方へと足を進めた。
荘厳な建物の影、人目に付かない場所で……何人かの獣人族の侍女が、座り込む一人の侍女へ怒鳴っていた。
「役立たずのバカウサギ。今度こそはレオノール様もほとほと愛想を尽かされたようね。……今日限りであんたはクビよ!」
「そんな、待ってください! 私の仕送りがないと、弟や妹が困って――」
「そんなの知るわけないじゃない。あーあ、これだから草食系は嫌なのよ。何かあればすぐぶるぶる震えてシクシク泣いて……それで何とかなると思ってんの? 世の中甘く見すぎじゃない?」
キャハハハ!……という甲高い笑い声に、エフィニアは静かに一歩足を踏み出した。
集団で一人を攻撃するようなやり方は、どうにも癪に障るのだ。
途端に足音に気づいた彼女たちが振り返ったので、エフィニアはにっこりと愛らしい笑顔を作って見せる。
「御機嫌よう、皆さま。大きな声が聞こえたので来てみたのだけど……いったいどうしたのかしら?」
「……は? なによあんた。なんでこんな子供が後宮をうろうろしてんの?」
頭上に犬のような耳の生えた獣人族の侍女が、不快そうにエフィニアを見下ろす。
そんな彼女に微笑みかけ、エフィニアは丁寧に礼をして見せた。
「あら、わたくしとしたことが……申し遅れましたわ。フィレンツィア王国第三王女、エフィニアと申します。この後宮に来て日が浅いので、至らぬところもあるかとは思いますが……どうぞよろしくね」
エフィニアが名乗ると、獣人侍女は「だから何?」とでも言いたげに顔をしかめた。
だがすぐに、隣にいた取り巻きの侍女が慌てたように囁く。
「っ、まずいですよ! フィレンツィアの王女って言ったら、ほらあの……噂の皇帝陛下の運命の番ですよ!」
「なっ、こんな子供が!?」
「とにかく、レオノール様に報告しなくては!!」
わちゃわちゃと騒いでいたかと思うと、獣人侍女たちはおざなりに礼をして慌てたようにその場から去っていった。
残されたのは、エフィニアと……虐められていた侍女だけだ。
(「噂の皇帝陛下の運命の番」ねぇ……。まぁいいわ。今はとにかくこの子を何とかしないと)
取り残された侍女はぶるぶると頭上のウサギ耳を震わせながら、怯えた表情でエフィニアを見つめている。
耳も髪の毛も雪のように真っ白な少女だ。年のころは十代半ばといったところか。
どうやら彼女にとって「側室」はとんでもなく恐るべき存在であるようだ。
エフィニアはそんな彼女に近づき、安心させるように笑いかけ、手を差し伸べた。
「ほら、もう彼女たちは行ってしまったから大丈夫よ。……あなたには少し休息が必要なようね。たいしたおもてなしはできないけれど、一度私の屋敷にいらっしゃいな」
ウサギ耳の獣人侍女は驚いたように目を見開いた後……小さく頷いた。
そんな彼女に優しく微笑みかけ……内心でエフィニアは盛大に大笑いをしていた。
(よし! これで色々と後宮の情報が聞き出せるかもしれないわ!! ちょうどよかった!)
傍目には虐められた侍女を助ける心優しい姫君のように見えたのかもしれない。
だがその裏で、エフィニアの行動はとんでもなく打算に満ちたものだったのだ。