88 妖精王女、降り立つ
「まだエフィニアは見つからないのか……!」
一方のグレンディルは焦りを募らせていた。
後宮からエフィニアが消えているのに気づいたとき、グレンディルは本能的な危機感を覚えたのだ。
だからこそ醜聞を覚悟で大々的に命を出し、関所を封鎖してでもエフィニアを探し出すように動いた。
エフィニアがどこへ行こうとしているのかはわからない。
グレンディルに愛想を尽かして、故郷に戻ろうとしているのならばまだいい。
迎えに行き、土下座でも何でもして謝ろう。
本当に恐ろしいのは、彼女の消息が掴めなくなることだ。
(エフィニア、どこへ行ったんだ……)
いつになく苛立つ皇帝の姿に、周囲の者たちは声をかけるのも戸惑うほどだった。
捜索を開始して時間がたつが、いまだにエフィニアに関する有力な手掛かりは得られていないのが現状だ。
「まぁ、そんなにカリカリすんなって。関所を通ってないってことは、まだ帝都内にいるんだろ。何日かすればエフィニア姫も気が済んで帰ってくるって」
クラヴィスが軽い調子でそう口にしたが、グレンディルの気は晴れなかった。
ただの気晴らしの家出ならそれでいい。
帰って来てくれるのなら、なんだっていいのだ。
だが、グレンディルの本能がしきりに危機感を訴えてくる。
まるでこの機会を逃したら、二度とエフィニアには会えなくなるような……。
「っ……!」
不意に、グレンディルの身を途方もない喪失感が襲った。
……この感覚は知っている。
一度、エフィニアが故郷に里帰りした際に経験したものと同じものだ。
――「運命の番」が、己の半身とも呼べる存在が遠ざかっていく。
はっきりと、そうわかった。
(まさか、関所を突破したのか……!?)
あの妖精姫ならあり得ないことではない。
小さな体からは信じられないほどの賢さと機転を発揮する彼女のことだ。
何らかの方法で、グレンディルを出し抜き帝都を抜けたのだろう。
――彼女は自分の意志でグレンディルから離れようとしている。
(……逃がしてなるものか)
グレンディルはギリ……と奥歯を噛みしめた。
竜族の本能が、運命の番を連れ戻せと己の内側から叫んでいる。
もちろん、グレンディル自身もこのままおとなしく引き下がる気はなかった。
「捜索の手を広げる。たとえ世界の果てでも、草の根分けても探し出せ……!」
グレンディルの感情に呼応するように皇宮の空に暗雲が渦巻き、雷鳴が轟く。
稲妻を背にそう命じた皇帝に、周囲の者たちは震えながら肯首するほかなかった。
◇◇◇
グレンディルはエフィニアを捕獲するために各地へ手を回したが、それよりもエフィニアたちが進む速度の方が速かった。
捜索の手が及ぶ前に馬車は旅路を進み、長旅を経て無事にルセルヴィアに到着を果たしたのだ。
馬車から降り、整然とした石畳の地面に足先を下ろし、長旅で固くなっていた体をほぐすように手足を伸ばす。
顔を上げれば歴史を感じさせる街並みが広がっており、エフィニアは思わず顔をほころばせた。
更に街の向こうには、雄大な山々が広がっている。
「わぁ、本当に火山がある……」
遠くには噴煙の立ち上る火山も見え、生まれて初めて火山を目にしたエフィニアはいつ大噴火を起こすのかと気が気ではなかった。
「ねぇ、あれって爆発しないの……?」
「うーん、しないという保証はないですけど……まぁ大丈夫じゃないですか?」
「本当に……?」
珍しくビクビクと身を縮こませるエフィニアに、イオネラはくすりと笑った。
普段は「怖いものなんてないわ」というようにシャキッとしているエフィニアだが、案外可愛らしいところもあるようだ。
「エフィニア様、着いたのはいいですがどこへ行きますか?」
「とりあえずは宿の確保ね。えっと……」
丁度近くに案内用の大きな看板があったので、エフィニアは顔を上げ、内容に目を走らせる。。
「……上の方が見にくいわね」
「あの、だっこしましょうか……?」
「大丈夫よ! 気合でなんとかするわ!」
主に竜族用に作られたと思わしき看板は、エフィニアにとってはあまりにも大きかった。
だがイオネラに抱っこしてもらうというのはあまりに情けない気がして、エフィニアは背後にひっくり返りそうなほど首を大きく逸らせながら、なんとか目的を果たすのだった。
「なるほど。この先に中央広場があって、そこからいろいろな地区へ繋がっているみたい。まずはそこを目指しましょう」
「了解でーす」
イオネラは機嫌よくそう答えたが、彼女と手を繋いでいるクロはじっと俯いている。
「クロ、大丈夫? どこか痛かったり、気持ち悪かったりはしない?」
「……! ううん、だいじょぶ!!」
エフィニアが屈みこみそう問いかけると、クロは慌てたように首を横に振った。
体調に異変があるようには見えないので、きっと気の持ちようなのだろう。
(母親に、会いたくないのかしら……)
馬車を降りた時点でクロが一目散に母親の下へ走っていく可能性も想定していたが、思った以上にクロは沈んだ様子を見せている。
それが不可解でたまらなかった。




