87 妖精王女、怒り心頭
「……さすがは帝都。こんな馬車の渋滞は初めて見たわ」
無事にルセルヴィア行きの乗合馬車に乗れたのはいいものの、帝都を出る関所の前で馬車の渋滞に巻き込まれてしまった。
窓の外をのぞけば、前にも後ろにも多くの馬車が並んでいる。
多種多様な馬車がずらりと並ぶさまは壮観だが、できるだけ早く皇宮を離れたかったのもあり気が急いてしまう。
「みんないつもこんな渋滞を我慢しているのね。頭が下がるわ」
「いえ……こんなに進まないことも滅多にないんです。関所で何か取り調べをしているか、誰かを探しているのかもしれませんね」
「…………誰かって?」
「たまにあるんですよ。指名手配をされている犯罪者とか――」
イオネラがそう口にした時だった。
馬車の前方から複数の足音が聞こえたかと思うと、御者と誰かがやり取りをしている声が聞こえてくる。
「止まれ! ……乗合馬車か。どこへ向かっている?」
「レガリスタを経由してルセルヴィアへ向かう予定ですが……」
「ルセルヴィアか……まぁ、念のため中を見せてくれ。現在、皇宮から命が出ていてな。……皇帝陛下の寵姫の一人が後宮から逃げ出したらしい」
イオネラの優秀な耳は彼らの会話をはっきりと聞き取ったのだろう。
「ひっ」と息をのむ音が間近に聞こえた。
エフィニアもぎゅっとてのひらを握り締め、冷静さを失わないように深呼吸を繰り返す。
(まさか、こんなに早く手を打ってくるなんて……)
エフィニアたちがいなくなったのに気づいたグレンディルは、三人が帝都を出る前に捕まえようと大々的に検問を張るように指示したのだろう。
「後宮の妃が逃げ出した」なんて知られればスキャンダルになるのは避けられない。
だからエフィニアは、グレンディルが動くとしてももっと秘密裏に、慎重に行くと思っていたのだが……完全に予想が外れてしまった。
(そこまで、私にクロの母親を探させたくないの……?)
そう考えるともやもやしてしまい、きゅっと唇を噛みしめる。
(……でも、私は戻らないわ。クロのためにも、絶対に母親を見つけ出してみせる。いざとなったら強行突破ね)
決意を固め、エフィニアはいつでも精霊を呼び出せるように準備した。
そうこうしているうちに、話がついたのか兵士が二人、馬車の中へと踏み込んでくる。
「逃げ出した寵姫って確か……」
「皇帝陛下の『運命の番』の姫君だ。妖精族だという話だが……」
……やはり、彼らが探しているのはエフィニアだ。
一人ひとり乗客の顔を見回していた兵士は、当然エフィニアに目を留めた。
相手の油断を誘おうと、エフィニアは「何も企んでいません」とでもいうような穏やかな笑みを浮かべる。
「失礼、あなたは妖精族か?」
「はい、そうです。これからルセルヴィアへ観光に行くところです」
微塵も敵意を感じさせないように、エフィニアはにこにことそう口にする。
兵士はそんなエフィニアをじっと見つめていた。
……彼らがエフィニアを捕らえようと動いたら、こちらも精霊を呼び出し応戦しなければ。
エフィニアは神経を研ぎ澄まし、タイミングを伺っていたが――。
「そうかそうか、よかったなお嬢ちゃん。楽しんでくるんだよ!」
「…………へ?」
何故か兵士はエフィニアを捕まえようとはせず、にこにこと笑ってそんなことを言い出したのだ。
「……あの、いいんですか? 妖精族なら皇帝陛下の番様の可能性もあるんじゃ――」
おそらくは部下なのだろうもう一人の兵士にそう聞かれた彼は、呆れたように笑う。
「おいおい、考えてもみろ。俺たちが探しているのは竜族の頂点に立つ皇帝陛下の寵姫、運命の番様だぞ? それこそ、常人なら目にしただけで卒倒するようなスタイル抜群の美女に決まっている!」
(…………は?)
聞き捨てならない言葉に、エフィニアは思わず顔をしかめてしまった。
だがそんなエフィニアに気づかず、兵士は熱弁を続けている。
「いくら同じ妖精族とはいえ、この子はまだ小さな子どもじゃないか。こんな幼子を『皇帝陛下の番様ではないですか?』と皇宮に連れて行ってみろ。今後百年は笑いの種になるぞ」
「それもそうっすね」
(…………はぁぁ!?)
何故かもう一人の兵士まで納得したように頷き、エフィニアは「なんで納得するのよ!」と詰めよりたい気持ちでいっぱいだった。
(皇帝陛下の『運命の番』はスタイル抜群の美女に決まってるですって!? 私はグラマラスな美女とは程遠いから皇帝陛下の寵姫なわけがないって!? よくもそんな舐めた真似を……!)
内心荒れ狂うエフィニアに「よい旅路を!」と手を振り、二人の兵士はあっさりと馬車を降りて行った。
……窮地は脱した。だが、何故かエフィニアは喜ぶ気にはなれず、無性にむかむかしてしまう。
「エ、エフィニア様……前向きに考えましょう! 無事に切り抜けられてよかったですね!」
ぷるぷると怒りに震えるエフィニアを宥めるように、イオネラがそう声をかけてくる。
今にも馬車を飛び降り先ほどの兵士を問い詰めたい思いでいっぱいだったエフィニアは、その言葉で何とかクールダウンすることに成功した。
……そうだ、目的を見失うな。
なんであれ、これで無事に帝都を出ることができそうなのだから。
「……そうね。うまくいってよかったわ。私がスタイル抜群の美女じゃなかったおかげね」
「うぅ、あの方たちは何も知らなかったんですよぉ……」
エフィニアの怒りを感じ取ったイオネラが、ぺしょりと耳を垂れさせながらそう口にした。
(……でも、前向きに考えるべきなのはその通りね。彼らの注意が私に剥いていたからこそ、クロに気づかれることはなかった)
彼らが注目していたのは妖精族のエフィニアだけだ。そのおかげで、イオネラの膝の上で寝ていたクロが見咎められることはなかった。
彼らがもっとクロに注意を払っていれば、彼が巷で噂の「皇帝陛下の隠し子疑惑のある子ども」だと気づいただろうし、そんなクロと行動を共にしているエフィニアやイオネラにも疑いの目が向いたことだろう。
「スタイル抜群の美女ではないから皇帝陛下の『運命の番』のはずがない」のようなことを言われたのは釈然としないが、たいしたトラブルもなく切り抜けられたのは幸運だった。
「ふん、陛下を出し抜いてやったわ。永遠にセクシー系の美女でも探していればいいのよ」
「あれはあの方たちの独断であって、皇帝陛下の好みがそうだと決まったわけではないと思うのですが……」
「でも、竜族の好みってそうなんでしょう?」
まだ見ぬクロの母親も、お堅いグレンディルが思わず道を踏み外すようなグラマラスな美女だったりするのだろうか。
頭にかつてエフィニアを陥れようとしたミセリアの姿が思い浮かび、エフィニアはなんとなく微妙な気分になった。
(本当にミセリア様みたいな人だったらどうしよう。クロの利口な性格からして、聞き分けの良い方だと信じたいけど……)
何にせよ、まずはクロの母親を見つけなければ何も始まらない。
やっと馬車も動き出し、いよいよルセルヴィアへの旅路を歩みだしたのだ。
「んにゃ……もう着いた?」
「まだよ。先は長いから、ゆっくり寝てても大丈夫よ」
馬車の振動が響いたのか、クロがむにゃむにゃ言いながら起きてしまった。
そんなクロの頭を撫でながら、エフィニアは彼の母親についてあれこれと思いを巡らせるのだった。




