84 妖精王女、開き直る
「……わかった」
気の利いた言葉の一つも言えないまま、エフィニアに背を向け邸宅を後にする。
門から外に出ようとしたところで、ボロボロになったイオネラがおぼつかない足取りでこちらへやってくるのが見えた。
「うぅ、もう絶対竜族は信じない。高いところにも行かなぁい」
「……おい」
「ひゃあ!? 皇帝陛下!!?」
そっと声をかけると、イオネラはものすごい勢いで飛びあがった。
さすがはウサギ獣人族というべきか、エフィニアの邸宅の二階に届きそうなほどの跳躍力だ。
「えっと……エフィニア様とのお話は……」
「……彼女を頼む」
「え、陛下? 何があったんですか!?」
おろおろするイオネラを置いて、グレンディルは後宮を後にした。
きっとイオネラがいればエフィニアは大丈夫だろう。
……本当は、自分の手でエフィニアを慰めたかった。安心させたかった。
だが、今のグレンディルがどれだけ言葉を尽くしたところでエフィニアには届かないだろう。
彼女の疑念を払拭するような、決定的な材料がなければ。
「クソ……!」
怒りのまま成竜へと姿を変え、バチバチと雷鳴をとどろかせながらグレンディルは飛び立った。
◇◇◇
「えふぃ、どうしたの……?」
背後から小さな声が聞こえ、エフィニアははっとした。
反射的に振り返ると、隣の部屋で遊んでいたクロが心配そうにこちらを見つめていた。
「えふぃ、泣いてるの……?」
そう問われ、エフィニアは慌てて涙をぬぐう。
だが、クロはとてとてと近づいてきた。
「……ごめんね、心配させちゃったかしら」
そう絞り出した声は、自分でもわかるほど気落ちしていた。
……本当に駄目だ。
グレンディルに対しても、クロの母親を見つけ皇后に迎えるように毅然と後押ししたかったのに。
あんな風に、取り乱してしまうなんて。
今だって、クロにまで心配をかけてしまった。
いつもの自分だったら、こんな時でも明るく振舞えたはずなのに。
「えふぃ、泣かないで……」
近づいてきたクロが、ぎゅっとエフィニアに抱き着く。
そっと抱きしめ返しながら、エフィニアはぽつりと問いかけた。
「ねぇ、クロ……あなたのお母様はどこにいらっしゃるのかしら」
いずれ皇后になり、グレンディルの愛を一心に受けるべき女性。
「運命の番」であるエフィニアなんかよりも、よほどグレンディルにふさわしい――。
「んとね…………わかんない」
クロはエフィニアの問いかけに、悲しそうに首を横に振った。
それも当然だ。
クロの母親がどこにいるのかは、これまでも何回も繰り返した質問なのだから。
いつも、クロは「わかんない」と首を横に振るばかりだった。
本当に、彼にはわからないのだろう。
「…………ごめんね」
エフィニアはぎゅっとクロを抱きしめる力を強めた。
「えふぃ……」
クロが小さな声でエフィニアの名を呼ぶ。
そして彼は、エフィニアの耳元で小さく呟いた。
「ママのことはわかんない。でも……前にいたところはわかるよ」
「えっ!?」
まさかの言葉に、エフィニアは目を見張った。
「だって、そんなこと一度も――」
「……ごめんね、えふぃ。言っちゃダメだって言われてたから」
「クロ……」
クロは誰かに口止めされていた。
……おそらくは、クロをここへ送り込んだ誰かに。
緊張で鼓動が早鐘を打つ。
クロは大事なことを話そうとしてくれている。
一瞬グレンディルを呼ぼうかと思ったが、すぐにエフィニアは思い留まった。
……あんな風に追い出しておいて、どの面下げて彼を呼べばいいのかわからなかったのだ。
(大丈夫。私は向き合える)
ごくりと唾を飲み込み、エフィニアは話の続きを促す。
「……教えてくれてありがとう、クロ。それで……あなたは、どこから来たの?」
おそるおそる問いかけるエフィニアの瞳を、クロはまっすぐに見つめている。
そのまま、彼は口を開いた。
「ルセルヴィア」
耳に届いたのは、エフィニアにも聞き覚えのある地名だった。
帝都より遠く離れた、竜族の都市である。
「あなたは……ルセルヴィアから来たの?」
「うん」
「それは……どうして?」
「ここにパパがいるって言われたから」
「えっと……誰に?」
「……しらないひと」
「……知らない人? 名前もわからない?」
「うん」
「そう……話してくれてありがとうね、クロ」
いまいち要領を得ない答えだが、それでも得られた情報は多い。
(クロはルセルヴィアにいる誰かに、「ここにパパがいる」と教えてもらって来たんだ……)
となるとその人物は、クロの母親もしくは育ての親ではないのか?
クロが言葉を濁しているのは、本当に知らないのか言いたくないのか言わないように口止めされているのか……。
(ううん、なんだっていいわ。クロの素性に大きく近づいたんだから……!)
クロは勇気をもって話してくれたのだ。だったら、無理に彼を追い詰めるような真似はしたくない。
ルセルヴィアに行けば、きっと何かがわかる。
もしかしたら、クロの母親が見つかるかもしれない。
(グレンディル陛下に……)
相談しようと腰を浮かしかけ、エフィニアは思い直した。
彼は血統石が証拠を示してもなお、クロとの親子関係を否定し続けているのだ。
素直に今の情報を伝えたところで、クロの母親探しに動くとは思えない。
むしろ、エフィニアの行動を制止しようとする可能性すらある。
(いいわ。だったら私が、この子の母親を見つけてここに連れてくるんだから)
さすがに本人と対面すれば、グレンディルの気も変わるだろう。
(これ以上言い逃れができないように、きっちりと引導を渡して差し上げますから!)
自分でも冷静さを欠いている自覚はあったが、自暴自棄になりかけていたエフィニアはそう自分を奮い立たせる。
これ以上、グレンディルにみっともない姿を見られたくない。
だから、今はとにかく進まなければ。
「エフィニア様―? さっきそこで皇帝陛下に――」
「いいところに帰って来たわねイオネラ! 大至急準備を進めてほしいの!」
「あれっ? 普通に元気ですね……? えっと、何の準備を――」
「旅行の準備よ!」
そう宣言したエフィニアに、イオネラはぱちくりと目を瞬かせた。




