82 竜皇陛下、落ち込む
一方グレンディルは荒れていた。
帝都の街には綺麗な晴天が広がっているというのに、皇宮の上空にだけ雷雲が渦巻くという誰もが一目でわかるほどの荒れっぷりであった。
特に皇帝の執務室は、近づくだけで緊迫した空気が肌を刺すような有様だった。
官吏たちは「皇帝陛下に何か荒れるようなこと(おそらくは運命の番がらみ)があったのだろう」と察してはいたが、逆鱗に触れるのを恐れ、誰も何も言えなかった。
「……休憩にするぞ」
不意に皇帝自身がそう口にし、足早に執務室を出ていく。
威圧感の塊が去っていき、残された者たちはやっと落ち着いて呼吸ができると安堵したのだった。
皇宮の尖塔の屋根に腰かけ、グレンディルはじっと遠くを眺めていた。
視線を前方に向ければ、華やかな後宮が目に入る。
あのどこかに、エフィニアがいるはずだ。
「…………はぁ」
少し前までだったら、グレンディルが幼竜に変化し後宮を訪れれば、エフィニアはあたたかく迎え入れてくれた。
正体がバレてからも、皇帝として訪問すればきちんと話をすることができていた。
だが今は――。
「……どんな顔をして会いに行けばいいんだ」
グレンディルの身の潔白を証明するはずの血統石は、真逆の結果――グレンディルとあの謎の幼児との血縁関係を示してみせた。
驚きすぎて、エフィニアにうまく弁解することもできなかった。
早めに話をしなければ……とは思っているのだが、まさに合わせる顔がないのだ。
会ったとして、何を言えばいいのだろう。
何の証拠もないが俺を信じてくれ、などと口にしたところでエフィニアの信頼を損ねるだけだろう。
……こんなはずではなかった。
隠し子疑惑をきっちりと払拭して、エフィニアとの関係を築いていくはずだったのに。
どうしてこうなってしまったのだろう。
グレンディルには本当に、あの子どもに心当たりはなかった。
「本当に、あいつは何者だ……?」
確かに見た目はグレンディルによく似ている。
血統石が反応したということは、どんな手を使ったのかは知らないが自身との血縁、もしくはそれに類するものがあるということなのだろう。
そこまで考えたところで、グレンディルの頭にとある考えが浮かびかけたが――。
「ぎゃー! 落ちる! 落ちますって!! 死ぬ―!!」
「ありゃ、ウサギって意外と高いところ苦手なのな。このくらい飛び降りても平気かと思ってたけど」
「ひぃー!! 翼のある種族は簡単にそう言いますけど! 無理ですから!! ドラハラですぅー!!」
急にやかましい声が聞こえ、浮かびかけていた考えはあっさり霧散してしまう。
うんざりしながら振り返ると、尖塔にしがみつくようにしてガタガタ震えるイオネラと、そんな彼女をにやにやしながら見下ろすクラヴィスが目に入る。
……面倒なので見なかったことにしたいが、イオネラがここまで来たのはおそらくエフィニア絡みだろう。
渋々、グレンディルは涙目で震えるイオネラに声をかけた。
「君がここまで来るとは珍しいな。何があった」
「こ、皇帝陛下にお伝えしたいことが……こんな格好で申し訳ございませんが……」
「……聞こう」
そう口にすると、イオネラは全身で尖塔にしがみつくような格好のまま、涙目で口を開く。
「エフィニア様が、皇帝陛下とお話ししたいので後宮にいらしてほしいと……。本当はこちらからお伺いするべきなのですが、クロちゃんを皆に見られるわけにはいかないと――」
「わかった」
どうせ先延ばしにしていてもいいことなどない。
エフィニアが望んでいるのだから、一刻も早く彼女の下へ赴かなければ。
グレンディルは成竜へと姿を変えると、一息に飛び立つ。
「ちょ、皇帝陛下! その前に手を貸してくださると嬉しいのですが――」
「心配すんなうさちゃん、俺が手を貸してやるよ」
「途中で『悪ぃ、手が滑ったわ』とか言いそうな人は嫌ですぅー!!」
背後からはなおもイオネラとクラヴィスがぎゃんぎゃんいう声が聞こえてきたが、グレンディルは止まらなかった。
運命の番に会いたい、その一心で後宮を目指す。
……それが、大きな亀裂を生むとも知らずに。
◇◇◇
竜族の姿へと戻り、エフィニアの邸宅の前へと立つ。
前に扉に貼られていた「皇帝陛下の隠し子発覚!?」の号外はもうそこにはなかった。
その変化に安堵しながら、グレンディルはそっと可愛らしいベルを鳴らした。
「……どなたでしょうか」
ややあって、扉の向こうから控え目な声が聞こえる。
「俺だ」
「皇帝陛下!?」
まさかこんなに早くグレンディルがやってくるとは思っていなかったようだ。
驚いた声と共に、動揺する気配がした。
「あの、イオネラは……」
「まだ皇宮に残っている。クラヴィスがなんとかするだろうから大丈夫だ」
「なんとかしなければいけないような状態なのですか……?」
怪訝そうな顔をしたエフィニアが、おそるおそるといった様子で扉を開けてくれる。
グレンディルはエフィニアが迎え入れてくれたことに安堵し、邸宅の中へと足を踏み入れたが――。
「えふぃー、だれー? イオネラ帰ってきたの?」
気の抜けるような舌ったらずな声が聞こえ、思わず苛ついてしまう。
とてとてと走ってきたグレンディルそっくりの幼児――クロは、グレンディルの存在に気づくと驚いたようにエフィニアの背後に隠れた。
「…………パパ?」
「だから違うと言ってるだろうが……!」
苛立ちのあまり、脅し付けるような低い声が出てしまった。
ますます身を縮こませるクロを背後に隠し、エフィニアは冷たい目を向けてくる。
「陛下、幼い子どもの前で理不尽に怒るのはやめてください。みっともないですわ」
「……済まなかった」
エフィニアはグレンディルに背を向け、屈みこみクロと視線を合わせる。
そのまま、幼子の頭を撫でながら優しく言い聞かせた。
「クロ、私は陛下とお話があるの。少しだけ隣の部屋で遊んでてくれる?」
「えー……」
不満そうに口をとがらせるクロの姿に、グレンディルはますますイライラしてしまう。
自分によく似た謎の存在が、意中の相手に甘やかされていることがこんなに不快だとは思わなかった。
「うー……いい子で遊んでたら、いっぱいぎゅーってしてくれる?」
「えぇ、もちろん。おりこうさんのクロはいっぱいぎゅーってしちゃう」
「クソガキが……」と口から漏れそうになるのを、グレンディルはなんとか堪えた。
まだ年端も行かない幼子相手に嫉妬するなどみっともないとわかっている。
わかってはいるが……納得できるかどうかは別問題である。
「何かあったらすぐに呼んでね」
そう言ってクロを隣の部屋へ送り出したエフィニアは、あらためてグレンディルの方を振り返った。
「お待たせいたしました、陛下」
「あぁ……」
こちらに向かってにっこり笑うエフィニアはたいそう愛らしいのだが……その笑みは、どこか作り物めいて見えた。
グレンディルが幼竜クロとして彼女と接していた時とは違う。
あきらかに、外交用の笑顔だった。
……今の自分は、そこまで彼女から信頼されていないのだ。
なんとしてでも、早くエフィニアの信頼と笑顔を取り戻さなくては。
そう決意し、グレンディルは拳を握り締めた。




