74 妖精王女、幼竜を出迎える
「……何か、変わったことは」
「そうですね……やはり後宮はミセリア様がいなくなったことで大きな混乱状態です。この機に乗じてよからぬことを企む輩が現れないとも限りませんので、注意が必要かと」
「そうか」
「はい」
「……」
「…………」
現在、エフィニアは皇帝グレンディルと顔を突き合わせてティータイムの真っ最中である。
例のミセリアの一件で、グレンディルは変わった。
それまでは後宮という存在自体を見ないようにしていたのに、今はこうして積極的に足を運んでいる。
もちろん、エフィニア以外の寵姫の下にも。
(……一応、皇后を選ぶ気はあるのかしら)
ミセリアがああして暴走したのも、元はと言えばグレンディルの皇后が不在だからこその出来事だ。
彼がこうして足繁く後宮を訪れているのは、もちろん後宮の安定のためというのもあるだろう。
だが何よりも……そろそろ皇后選びに本腰を入れ始めたのかもしれない。
「君の兄の商売の調子はどうだろうか」
「今も商品開発に余念がないようです。アラネア商会と組んで一大ムーブを起こすのだと言ってきかなくて……周囲に目を着けられて潰されないと良いのですが」
「ここ帝都において妖精族の存在はほとんど幻のように扱われていたからな。それ故に、大きな商機となり得るかもしれない。うまくいけば君の祖国にも大きな理をもたらすだろう」
「えぇ、本当に。そうなってくださるとよいのですが」
「……」
「…………」
(き、気まずい……)
時折訪れる沈黙が耳に痛い。
気まずさを誤魔化すように、エフィニアはすっかり中身の減ったティーカップを口へと運ぶ。
後宮へと戻って以来、グレンディルはこうして、よくエフィニアの様子を見に来てくれる。
だがふとした瞬間に……こうして以前とは違う変な空気になってしまうのだ。
お互いに言いたいことを、聞きたいことを飲み込んでいるかのような。
(もしかしたら、気にしてしまっているのは私だけじゃないのかしら)
――「今は『運命の番』という関係を越えて……エフィニア、君に惹かれている」
その言葉の真意を、エフィニアはいまだに持て余している。
だからこうして、グレンディルを前にすると少し挙動不審になってしまうのだ。
事務的な会話ならなんとかなる。だがそれが途切れた瞬間――どうしていいのかわからなくなってしまう。
そしておそらく、それはエフィニアだけじゃない。
グレンディルの方も、どこかエフィニアの出方を窺っているような、そんな気配を感じずにはいられないのだ。
だからこそ、問いただすのを足踏みしてしまう。
あの、告白めいた言葉の真意を。
(でも、本当に告白だったなら陛下の方から返事を催促してもいいんじゃない? それがないってことは、やっぱりただ人として好感を持っているってことでしかないんじゃないかしら……)
などと、ぐるぐる考えてしまうのだ。
かくして、エフィニアとグレンディルは互いに足踏みしたまま微妙な距離感を保っている。
きっと見る者が見ればあきれて物も言えないだろう。
竜族の皇帝と妖精族の王女という立場の二人が、まさかこんなに甘酸っぱい恋模様を繰り広げているなんて。
「どうしましょう。今お茶のお代わりをお持ちしても良いのでしょうか……」
「やめとけよ、うさちゃん。人の恋路を邪魔する奴は竜に蹴られて死んじまうぞ」
「竜に蹴られ!? やだー! そんなの即死じゃないですかー!!」
こっそりと二人の様子を見守るエフィニアの侍女――イオネラと、グレンディルの側近――クラヴィスがそんなやりとりをしているとは露しらず、エフィニアとグレンディルは相も変わらずぎこちない会話を繰り返すのだった。
「はぁ……」
後宮の片隅に位置するエフィニアの邸宅の、小さな庭園にて。
妖精姫は一人、物憂げに空を眺めていた。
(そろそろ、きちんと陛下に進言するべきかしら)
ミセリアが不在の後宮は、日々情勢が変わりつつある。
(組織したつもりはないのだが自然発生した)エフィニア派、正面からエフィニア派に喧嘩を売ってくるレオノール派、それに……今も息をひそめている第三勢力。
このまま皇后不在の期間が長引けば、またミセリアのようによからぬことを企む者が現れないとも限らない。
だから、きちんとグレンディルに話をするべきだ。
「そろそろ、本当に皇后を選ぶべきです」と……。
だが、どうしてもエフィニアはその言葉を口には出せなかった。
なぜなのかは……自分でもよくわからない。
(別に、皇帝陛下が皇后を選ぶのは喜ばしいことじゃない。私が不安になる必要なんてないわ)
グレンディルが皇后を選んだからといって、今すぐ後宮を追い出されるわけではない。
なのに、どうしても……グレンディルが皇后を選んだ時のことを考えると、息苦しさを覚えてしまうのだ。
(私は「運命の番」なのに、ないがしろにされるのが許せないから? そんなこと……)
ない、とはいえなかった。
グレンディルの隣に自分以外の誰かが立っている場面を想像すると、胸がむかむかしてきてしまう。
その感情を、「嫉妬」だとは認めたくなかった。
(私が陛下の「運命の番」じゃなかったら、こんな思いをすることもなかったのかしら……)
ついにはそんなことまで考えてしまう。
重症ね……とエフィニアが自嘲した時、耳に届いたのは聞き覚えのある羽音だった。
「え?」
反射的に顔を上げる。
遠くに見えるのは、鳥のようで鳥ではない。悠々と空を舞う一体の幼竜だった。
「まさか……クロ!?」
そう口にしてから、エフィニアははっとした。
この後宮に足を踏み入れてすぐに、エフィニアには小さな友人ができた。
ぽちゃっとした体型が愛らしい幼い竜――クロ。
彼は後宮で孤軍奮闘するエフィニアをいつも励ましてくれた。
……実際、その正体は皇帝グレンディルが幼竜に化けていたのだが。
(あれ、クロはグレンディル陛下なのよね? なんでわざわざ、あの姿で私の下に?)
エフィニアに正体がバレてから、グレンディルは幼竜の姿でエフィニアの下へやってくることはなくなった。
それが彼なりのけじめなのか、それとも幼竜の振りをして甘えていたのが恥ずかしかったからなのかはわからない。
だがとにかく、皇帝グレンディルではなく幼竜クロがエフィニアの下へやって来るというのはイレギュラーな事態だ。
(まさか、何か事件でも……?)
エフィニアは立ち上がり、近づいてくる幼竜を迎える。
「陛下!? いったい何が……」
「くるるぅ!」
「あ、ちょっと……!」
「ぐるぐる……」
エフィニアは真剣な話をしようとしているのに、幼竜は「構って構って」とも言いたげに腕の中で甘えてくる。
思わず喉元を撫でてしまってから、エフィニアは正気に戻った。




