67 妖精王女、逃げる
エフィニアが床に降りると、黒竜は心配そうに首をもたげ、こちらへ視線を向けた。
優しい色を宿した金色の瞳と目が合い、エフィニアは微笑む。
「……また助けてくれたのね、クロ」
目の前の黒竜は、魔獣に襲われたエフィニアを助けてくれた竜と同じだった。
つまりはエフィニアが可愛がっている幼竜クロと同一な存在なわけで。
しかし、先ほどの状況を踏まえると……。
(あれ、私は陛下の背中に掴まっていて、陛下がこの黒い竜になって、ということは……)
そこで初めて重大な事実に気づき、エフィニアは心臓が口から飛び出そうになってしまう。
(陛下はこの黒竜で、黒竜はクロちゃんで、つまり……陛下=クロちゃんってコト!!?)
呆然とエフィニアが見上げた先で、黒竜は不思議そうに首を傾げた。
……幼竜クロと、そっくりの仕草で。
………………。
「きゃああぁぁぁぁぁ!!!」
混乱が限界値を越えたエフィニアは絶叫し、脱兎のごとくその場から逃げ出した。
――『どこかから迷い込んだのかしら……? おいでー、怖くないよー』
――『かわいい、あったかい……』
――『はい、あーん』
まさか、まさか……あれが皇帝陛下だったなんて!
「グルルゥ!!?」
エフィニアが逃げ出したのに驚いたのか、黒竜――グレンディルは驚いたように後を追いかけてくる。
……あまりに急いでいたのか、うっかり変化を解かないままに。
「陛下がご乱心だぁ!!」
「番様に襲い掛かろうとしているぞ! やはり真正ロリコ――」
「うぎゃあ! あれだけ金をかけたインテリアがめちゃくちゃにぃぃぃ!!!」
ドスドスドスという常軌を逸した足音と、王宮の備品がなぎ倒される音。官吏たちの悲鳴。
そんなハーモニーを背に、エフィニアは逃げ続けた。
――『デザートはどう? とっても美味しいのよ!』
――『私の膝で食べたいの? しょうがないわね……』
――『あらあら、たくさん食べたら眠くなっちゃったの? よかったら泊っていく?』
思い返せば、相手を見た目通り幼い竜だと思い込んでしてやったあれこれが蘇る。
膝に乗せ、食事をあ~んしてやり、あまつさえ添い寝なんて……。
「ああああぁぁぁぁ!!!」
顔を真っ赤に染め、エフィニアは叫びながら走る。
「グルゥ! グガァァァ!!!」
背後からは「待ってくれ!」とでもいうような竜の咆哮が聞こえるが、もちろん止まるわけには行けない。
(だって……どんな顔して顔を合わせればいいのよぉぉぉ!!)
この日、王宮中を巻き込んだ地獄の鬼ごっこは日暮れまで続き……王宮にいた者のほとんどが、「竜化した皇帝が無我夢中で運命の番(外見幼女)を追いかけまわす」という奇妙な光景を目にした。
エフィニアは見かけによらず体力があり、最終的には後宮の屋敷の中に逃げ込んだエフィニアに、外からグレンディルが「グルルゥ……」と悲痛な声で呼びかけるという形に落ち着いたのだった。
「エフィニアさまぁ、まだ陛下が外にいらっしゃいますよ……」
カーテンの隙間から外を覗いたイオネラが、おそるおそるそう報告してくる。
その報告に、エフィニアはちらりと窓の方へ視線を向けた。
エフィニアの屋敷の玄関前には、やっと変化を解いて元の姿になったグレンディルが座り込んでいる。
彼の立場からすれば屋敷の中に無理やり押し入って来ても文句は言えないのだが……そうしないのが、彼らしいのかもしれない。
「な、中に入れて差し上げたらどうですか……?」
「…………そうね」
籠城していたエフィニアも、いつまでもこのままでいられないことはわかっている。
だが、どうにも顔を合わせにくかった。
あの幼竜の正体がグレンディルだと知らず、随分と馴れ馴れしく可愛がってしまった。
それに加えて……エフィニアはもう一つの可能性に気づいてしまったのだ。
「うぐぐぐ……」
しばらく屋敷の中をうろうろしたり、唸ったり、精霊にごはんをあげたり、また唸ったりしていたが……エフィニアはついに立ち上がった。
「……陛下と、話をするわ。あなたは隣の部屋で待機してもらえるかしら」
「承知いたしました! あの、エフィニア様……危なくなくなったらすぐに飛び出しますのでご安心を!!」
勇ましくそう言ったイオネラだが、彼女の足とうさ耳はぶるぶると震えていた。
その様子を見て、エフィニアはくすりと笑う。
「大丈夫よ、陛下は話せばわかる方よ」
……たぶん。
そう心の中だけで付け加え、エフィニアはエントランスから外へ続く扉を開く。
扉が開いた途端、外にいたグレンディル……と彼の付き添いと思われるクラヴィスが敏感に反応した。
「あー、開いた! ほら今だ! 土下座しろ!!」
「……その必要はないわ」
エフィニアは扉を大きく開き、二人を中に招き入れる。
応接室までやって来ると、エフィニアは振り返りクラヴィスに声を掛ける。
「……悪いけど、陛下と二人で話がしたいの」
「えっ、三者面談じゃなくて大丈夫っすか?」
「大丈夫よ」
クラヴィスは何度も何度も心配そうにこちらを振り返りながら退室した。
部屋の中に残されたのは、エフィニアとグレンディルの二人だけだ。




