60 妖精王女、倒れる
「くっ……!」
エフィニアは何とか足を動かそうとしたが、蜘蛛の吐き出した糸によって地面に縫い留められた足は動かない。
あれから、更に足を2本もぎ取った。
だが、不意を突かれ蜘蛛の吐き出した糸を避けきれず、こうして行動を封じられてしまった。
蜘蛛は勝利を確信したのか、まるでエフィニアを怯えさせようとするかのように、カチカチと牙を鳴らしている。
(……まだよ。フィレンツィアの王女として、最後まで情けない姿は見せられないわ!)
エフィニアは果敢に、不気味な赤い目をぎらつかせる蜘蛛を睨みつける。
(もう、足を5本も潰したんだもの。あの蜘蛛だって長くはないはず……)
せめて、相打ちまでは持っていきたい。
エフィニアは奥歯を噛みしめて、拳を握り締めた。
(これ以上精霊を召喚すれば、私の命も危ない……。でも、そんなこと言ってる場合じゃないわ)
無様に魔獣に食い荒らされるよりも、最後まで命を燃やし尽くして抗いたい。
エフィニアは、潔く覚悟を決めた。
「妖精王の末裔たるエフィニアの名において――」
エフィニアが新たな精霊を召喚しようとするのを悟ったのか、蜘蛛は随分と少なくなった足を不器用に動かし、こちらへと突進してくる。
エフィニアが最後の力を振り絞って、精霊を呼び出すのが早いか。
蜘蛛がエフィニアの元までたどり着き、エフィニアを食らうのが早いか。
(っ、間に合わない……!)
渾身の力を振り絞るように、蜘蛛が跳躍し、飛びかかってくる。
大きく開いた口が、エフィニアを丸のみにしようとした瞬間――。
大きく、翼のはためく音が聞こえた。
それと同時にすさまじい熱気を感じ、エフィニアは反射的に目を瞑ってしまう。
慌てて目を開き、エフィニアは目の前の光景と、自分がまだ生きていることに驚いた。
「…………え?」
先ほどまでエフィニアと激戦を繰り広げていた蜘蛛が、目の前に横たわっている。
……全身黒焦げの、ほとんど炭のような状態で。
呆然とするエフィニアの傍らに、何か巨大な生き物が降り立つ。
のろのろと顔を上げたエフィニアの前には……視線だけで相手をひれ伏させるような、恐ろしい黒のドラゴンがいた。
エフィニアの背後で縮こまっていたアルマが、「ヒィッ!」と恐怖に満ちた悲鳴を上げる。
視線だけで相手を射抜くような、鋭い金色の眼光。
硬い鱗に覆われた巨大な体躯に、天を覆うほどの大きな翼。
エフィニアの柔肌など簡単に引き裂いてしまえそうな爪。
通常なら、エフィニアとて目の前のドラゴンに恐怖し、怯えていたのかもしれない。
だが不思議と……エフィニアは目の前のドラゴンに少しも恐れを感じなかった。
それどころか、安堵すら覚えていた。
黒竜がゆっくりとエフィニアの方へと顔を近づけてくる。
いたわるように鼻先をこすりつけるその仕草を、間違えるはずがない。
「ふふ……ちょっと痛いわ、クロ」
突然現れた目の前の成竜とあの幼竜は、体色と目の色以外、ほとんど共通点はない。
それでも、エフィニアにはすぐにわかった。
……エフィニアが可愛がっているあの小さな竜が、助けに来てくれたのだと。
ゆっくりと手を伸ばし、大きな竜の鼻先を撫でる。
いつものもちもちした柔らかな感触とは違い、随分とごつごつしていた。
そっと喉元に触れると、黒竜は気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らした。
普段の可愛らしい鳴き声とは違い、地響きのようなその声に、エフィニアはくすりと笑みを漏らす。
その途端、ふっと緊張が緩んだ。
(あっ、体が、重く――)
急に限界を超えた疲労が襲い掛かり、エフィニアはふらりと倒れてしまう。
だが意識を失う直前に、エフィニアの体はしっかりと抱き留められる。
……硬い鱗ではなく、誰かの暖かな腕によって。




