59 竜皇陛下、異変を感じ取る
「はぁ……はぁ…………!」
息を荒げながら、エフィニアは必死に足を踏ん張った。
目の前では巨大な蜘蛛の魔獣が、「シューシュー」と威嚇のような声を上げている。
精霊を呼び出し応戦し、なんとか蜘蛛の足を3本潰すことには成功した。
だがその際に、蜘蛛の吐いた毒液を浴びてしまった。
妖精族であるエフィニアは他の種族に比べれば、ある程度は毒に対する耐性を持っている。
だがさすがに、目の前の蜘蛛の毒は強力だったようだ。
手足がしびれてうまく動かないし、目がかすんで立っているので精一杯だ。
(……駄目よ。ここで倒れるわけには――)
エフィニアの背後には、震えるアルマがいる。
エフィニアが倒れれば、エフィニアだけでなくアルマも目の前の蜘蛛の餌食になってしまうのだ。
(それに……こんな陰湿な罠にはまって蜘蛛に食べられるなんて、みっともない死に方はしたくないのよ!)
エフィニアが死ねば、そう仕向けた者は手を叩いて喜ぶだろう。
それは癪だ。だから、何が何でも生き延びなければ……!
(私が長時間戻らなければ、きっとイオネラが気づいて捜索が始まるはず……。それまで、耐えるのよ……!)
ふらつく足を叱咤し、エフィニアは必死に目の前の蜘蛛を睨みつける。
足を3本ももぎ取ったのだ。目の前の蜘蛛も、エフィニアがただのか弱い獲物ではないことに気づいているのだろう。
カチカチと牙を鳴らし、警戒するようにシューシューと息を漏らしている。
「悪いけど、私はまだ死ねないのよ」
残った力を振り絞り、エフィニアは新たな精霊を呼び出す。
「来たれ、<レッドキャップ!>」
◇◇◇
鬱蒼と木々が生い茂る森の中で、皇帝グレンディルは軽々と大剣を振り回す。
はらはらと木の葉が舞い、驚いた鳥が飛び立っていく。
それと同時に、グレンディルの一閃を受けた大型の魔獣が、地響きと共に大地に倒れ伏した。
「これで何匹目だ?」
「2……23匹目です! 陛下!」
「まだそんなものか」
そっけなくそう呟いた皇帝に、付き従っていた侍従たちは仰天した。
狩猟大会が開始して早々、皇帝は物凄い速さで魔獣の討伐を始めた。
表情には出ないが、どうやら相当張り切っているようだ。
例年になくやる気を出した皇帝に、侍従たちはついていくので精一杯である。
皇帝自身は「まだそんなものか」などと言っているが、とんでもない。
この時点で23匹もの大型魔獣を討伐したという戦果は、例年ならぶっちぎりで優勝確定な速さだ。
だが皇帝は、まだまだ満足していないようだ。
軽く魔獣の血を拭うと、次なる獲物を求めて走り出す。
「おぉー、いつになくやる気になってんなぁ、あいつ」
そんなグレンディルを見て、同じく狩猟大会に参加していたクラヴィスはにやりと笑う。
「番にいいとこ見せようってか。なんだかんだであいつも板についてきたじゃん」
古くからは竜という種族は、雌が巣を作り、守り、雄は獲物を狩り、餌を巣に持ち帰る――そういった生き方を続けていた。それは竜族も同じだ。
例外がないわけではないが、特に番を得た竜族には、その本能が色濃く出るようである。
エフィニアという「運命の番」と出会ったグレンディルも、彼女のためにより多くの獲物を狩ろうと張り切っているのだろう。
散々焚きつけた甲斐があったな……と今までの苦労を反芻していたクラヴィスは、急にグレンディルがぴたりと立ち止まったのに気付いた。
「おい、どうした?」
すぐに近寄り声を掛けたが、グレンディルは一点を見つめたまま動かない。
かと思うと、急にぼそりと呟いた。
「……エフィニア」
「えっ? エフィニア姫がどうかし――」
「エフィニアが、助けを求めている」
そんな馬鹿な、と口にすることはできなかった。
それほどに、今のグレンディルは真剣な表情をしていた。
きっと彼は、何かを――本能的に番の危機を感じ取ったのだろう。
「行かなければ」
そう呟くやいなや、グレンディルの姿が揺らぐ。
次の瞬間、その場に現れたのは……見る者を畏怖させるような、立派な体躯を持つ黒の成竜だった。
広げた翼は天を穿ち、大地を踏みしめる足には鋭い爪。
金色の眼光に睨まれれば、どんな相手でも恐慌状態に陥ることだろう。
立派な角が生えた頭部から尻尾の先まで、硬い黒の鱗に覆われ、並大抵の武器では傷一つつけることすら能わない。
成竜へと変化を遂げたグレンディルは、クラヴィスですら怯んでしまいそうなビリビリとした殺気を纏っていた。
可哀そうに、近くにいた侍従などは、その威圧にあてられて腰を抜かしている。
グレンディルは戦闘面においては、優秀すぎるほど優秀な皇帝だ。
特にこの成竜の姿を取れば、まさに向かうところ敵なしの無双状態。まさに大陸の覇者にふさわしい一騎当千っぷりを発揮する。
あまりの殺気に味方すらあてられてしまうことが少なくないので、グレンディル自身普段はこの姿を取ることは避けているようなのだが……。
それだけ、彼にとっては緊急の事態なのだろう。
「へ、陛下……お待ちください!」
必死に制止する侍従の声には耳も貸さず、グレンディルは翼をはためかせたかと思うと、大空へと飛び出した。
そして目にもとまらぬ速さで、どこかへ飛んでいく。
クラヴィスはその姿を、ただ何も言わずに見送った。
皇帝が国の公式行事を途中で投げ出すなど、言語道断の所業だ。
だが……。
「……頑張れよ」
臣下ではなく、友人として。
クラヴィスはただ不器用な皇帝を見送った。
そしてさっそく、慌てふためく侍従たちを宥めようとため息をついた。




