58 妖精王女、罠にはまる
「あの、こちらの方に……あまり人が来ない場所があるんです」
先導するアルマの背中を見つめながら、エフィニアは彼女についての情報を頭の中で反芻した。
(アルマ様……確か竜族で、マグナ帝国の貴族令嬢だったかしら。ご実家はあまり裕福ではなく、数合わせのために身売りのように後宮に入ったとか……)
少し前のお茶会で、アルマが自虐のようにそう話していたことがある。
マグナ帝国の貴族令嬢と言っても、誰もがミセリアのようにやりたい放題できるというわけではないようだ。
しばらく歩くと、「魔の森」に接した小さな平地に出る。
アルマはそこで立ち止まると、何やら緊張したように何度も口を空けたり閉じたりしている。
「……ゆっくりで大丈夫よ。何か困ったことでも起こったの?」
エフィニアは努めて優しく呼びかける。
するとアルマは、泣きそうな顔で顔を上げた。
「私、私……」
彼女の顔は蒼白で、体もカタカタと震えていた。
一体どうしたのか……とエフィニアが一歩足を踏み出した、その途端――。
「ごめんなさい、エフィニア様」
アルマがそう絞り出したのと同時に、魔の森の方向から何かが物凄い勢いで森を駆けてくる音が聞こえた。
「なにっ……!?」
エフィニアが身構えた直後に、木々を突き破るようにしてその魔獣は姿を現した。
エフィニアの背丈の何倍もあるような、真っ黒な巨大な蜘蛛――。
突如として姿を現したおぞましい魔獣は、複数の真っ赤な目にエフィニアとアルマを捕らえたようだった
ぞくりと悪寒が走ったエフィニアは、とっさに震えるアルマの腕を掴む。
「アルマ様! 今はとにかくここから逃げ――」
だがその途端、アルマは震える手で懐から水晶玉のようなものを取り出し、地面に叩きつけた。
水晶玉は勢いよく割れ、中に込められていた魔術が解き放たれる。
(これってまさか……結界!?)
水晶玉が割れた地点を中心に、ドーム状の結界が張られていく。
エフィニアは慌てて結界の外へ飛び出そうとしたが、張り巡らされた結界はエフィニアの小さな体ですら外へ逃がすことを許さなかった。
……エフィニアは恐ろしい魔獣と共に、結界の中に閉じ込められたのだ。
(まさか……嵌められたの……?)
エフィニアは呆然と、アルマの方を振り返る。
彼女は絶望に満ちた瞳で、泣きながらエフィニアに謝罪した。
「ごめんなさい、エフィニア様……ここで私と一緒に死んでください……」
震える声でそう絞り出したアルマに、エフィニアはらしくもなく舌打ちしてしまった。
エフィニアは観念して、巨大な蜘蛛へと対峙する。
蜘蛛はまるで威嚇するようにカチカチと牙を鳴らし、不気味な瞳でエフィニアを見ていた。
(これどうみても……私を獲物だと思ってるわね)
隙を見せれば、あっという間に捕食されてしまいそうだ。
アルマはエフィニアの足元にうずくまり、ひたすらに「ごめんなさい」と繰り返している。
「……アルマ様、立ってください」
「ごめんなさいエフィニア様。わたくしは――」
「いいから立ちなさい!」
エフィニアが叱咤すると、アルマはびくりと身を震わせる。
「あなたがこんなバカげた行動にでた理由はだいたい想像がつくわ。ここであなたに死なれたら、黒幕を追い詰める証拠が一つ減るのよ!」
蜘蛛を睨みつけたまま、エフィニアは必死に叫んだ。
「私を消そうとしている黒幕がどんな揺さぶりをかけたのかは知らないけど、この件については皇帝が直々に動いているの。あと少し我慢すれば、すべて解決するのよ!」
エフィニアの希望的観測も含まれていたが、おおむねは事実だ。
皇帝グレンディルはやっと後宮の現状に気づき始めている。
じきに、こんな卑怯な真似をする黒幕には裁きが下ることだろう。
「こんなくっっっだらないことで命を粗末にするのは許せないわ! 私が注意を引き付けるから、あなたは目立たないようにして、危なくなったら逃げなさい!!」
そう叱り飛ばすと、アルマはふらふらと立ち上がった。
彼女が蜘蛛の餌食にならないように、エフィニアは注意を引き付けようとわざと大きな声で叫んだ。
「妖精王の末裔たるエフィニアの名において命じる……来たれ、<シルフィード!>」




