56 竜皇陛下、到着する
ミセリア派の中傷が耳に届いてもなお、エフィニアははつらつとした笑みを崩さなかった。
(ふん、なんとでも言えばいいわ。姑息な手を使って他の側室の邪魔をする方がよっぽどみっともないじゃないの)
そうしているうちに、野営場の一角がまたしてもにわかに騒がしくなった。
笛が吹き鳴らされ、帝国の紋章が施された豪奢な箱型の馬車が近づいてくる。
「皇帝陛下のお着きです!」
颯爽と馬車を降りてきたのは、広大な帝国を治める皇帝――グレンディルだ。
彼の姿を現した途端、野営場に集まっていた者たちは皆最上級の礼をとった。
「……よい、皆、楽にせよ」
皇帝の一声で、礼をとっていた者たちは顔を上げる。
ゆっくりと野営場を見回す皇帝グレンディルは、随分と動きやすそうな衣装を身に纏っている。
(こういう時は皇帝陛下もご自身で狩りに出られるのかしら。まぁあの方なら、周りが止めても前に出ていきそうね……)
エフィニアが誘拐されかかった際の、グレンディルの鬼神のような迫力を思い出して、エフィニアは内心で苦笑いした。
少なくとも彼は、魔獣ごときで怯むような性格ではなさそうだ。
案外大人しく玉座に座っているよりも、外で暴れる方が性に合っているのかもしれない。
そんなことを考えながらぼんやりと皇帝を観察していると、不意に彼がエフィニアの方を振り向いた。
二人の視線が、ばっちりと絡み合う。
その途端グレンディルがまっすぐにこちらへ向かってきたので、エフィニアは慌ててしまう。
「……来てくれたんだな、エフィニア姫」
エフィニアの前までやって来たグレンディルは、少し腰をかがめて視線を合わせるようにして、優しく微笑んだ。
その微笑みに、エフィニアの心臓は二つの意味で暴れ出す。
(ちょっとぉ! そうやってまた私を盾にするのね!)
おそらくこの場に居合わせている「寵姫」から目を逸らさせるため……だとはわかっていても、普段はあまり表情を動かさない彼が見せる微笑みは、中々に破壊力が高い。
エフィニアはなんとかはやる鼓動を落ち着かせ、皇帝に向かってゆっくりと礼をして見せた。
「お招きいただき光栄ですわ、陛下。わたくし、狩猟大会に出席するのは初めてですので、とても楽しみにしておりましたの」
「任せてくれ。君のために、俺が一番の大物を仕留めて見せよう」
(い……いくら演技とはいえ、こんなこと言って寵姫の方に誤解されないの……?)
グレンディルは真っすぐにエフィニアを見つめている。
その視線に、エフィニアはいろんな意味でどきどきしてしまった。
「今日の衣装は凝っているな。君が作ったのか」
「……はい。わたくしの故郷、フィレンツィア王国の伝統的なデザインを取り入れましたの」
「そうか……うまくいったんだな」
「えっ?」
「いや、こちらの話だ。その衣装も、とてもよく似合っている。まるで伝説に謳われる妖精女王のようだ。君にふさわしい獲物を仕留めてくるので、待っていてくれ」
そう言ったグレンディルは再び背筋を伸ばすと、じっと二人のやり取りの注目していた他の側室たちに向かって口を開いた。
「皆もよくぞ来てくれた。我が帝国の誇る後宮の花が、狩猟大会を彩ることを感謝しよう。皆、日ごろの疲れを癒し存分に今日という日を楽しんでくれ」
それだけ言うと、グレンディルは側室たちに背を向けて去っていった。
(まったく後宮に関心がなかった頃に比べれば、これでもマシな方なのかしら……)
もう少し時間があったら、側室一人一人に声を掛けていたのかもしれない。
ただ、彼はそうしなかった。
(……これは演技よ。寵姫から目を逸らさせるために、わざと私にだけ個別に声を掛けられたのだわ)
そう頭ではわかっていても……何故だかエフィニアの心は浮き立つのを止められなかった。
「エフィニア姫はまだお子様でいらっしゃいますからね。皇帝陛下が気に掛けられるのも当然だわ」
「そうそう、子供だから特別扱いされるのよ」
「お二人が並ぶとまるでご兄妹のようで微笑ましいわ!」
ピーチクパーチクと側室たちの嫌味が耳に入っても、エフィニアの心は少しも沈むことはなかった。
皆の前に立つ皇帝が簡単な挨拶を述べ、官吏が狩猟大会のルールを説明していく。
ルールは至って簡単で、制限時間内に一番大きな魔獣を仕留めたものが優勝となる。
狩猟大会の参加者は皆奮起しており、野営場の中では妻や婚約者に勝利を約束する戦士たちの姿を見ることができた。
「それでは、狩猟大会を開始します!」
合図とともに、魔の森を包んでいた結界が解かれる。
参加者たちが競うように森の中へとなだれ込んでいく光景を、エフィニアはすがすがしい気分で見送った。




