45 妖精王女に迫る影
彼はエフィニアの泣き顔を周りから隠すように、そっと自らの胸元に抱き寄せたのだ。
そして、ぎこちない手つきで不器用に背中を撫でられる。
「……思えば、最初から何もかもが一方的だったな。突然運命の番だと言われて、後宮に入れられて……君には辛い思いをさせた」
今更何を……と言いたかったが、うまく言葉にならなかった。
息をひそめるエフィニアを宥めるように背を撫でながら、グレンディルはぽつりぽつりと懺悔の言葉を口にする。
「君が故郷を恋しく思うのも当然だ。フィレンツィアの国王に連絡を取り、面倒な手続きを踏むことになるが……君の一時帰国についても進めよう」
「一度帰ったら……もう、ここには戻らないかもしれませんよ」
ぼそぼそとそう呟くと、グレンディルの手が一瞬強張った。
「そうなっても俺は文句も言えないな……。だが、図々しくも我儘を言わせてもらうのなら……俺は、君に傍に居て欲しい」
彼がそう告げた途端、エフィニアの鼓動が大きく跳ねた。
(なによ、それ……)
他に、寵姫がいる癖に。
そんな風に言われたら……とんでもない勘違いをしてしまいそうになる。
これも、「運命の番」である影響なのだろうか。
彼も「運命の番」だから、精神安定剤としてエフィニアを傍に置いておきたいのだろうか。
……そうだ、きっとそうに違いない。
(本当に、我儘な人ね……)
これ以上彼にくっついていたら余計なことを口走ってしまいそうで、エフィニアは慌てて彼から距離を取る。
そして、すべて演技だとでもいうように不敵な笑みを浮かべて見せた。
「うふふ、言質は取りましたわ。一時帰国の話、きちんと進めていただきますからね!」
グレンディルは胸を張るエフィニアを見て呆気にとられたような顔をした後……おかしそうに笑いだした。
「ははっ、本当に君はおもしろいな。あぁ、二言はない。フィレンツィアとの連携を取り、君の帰郷を叶えよう。ただ……本当に帰って来てくれない時は、俺自ら君に会いに行かせてくれ」
「竜皇陛下があんな田舎に来られたら、フィレンツィアの民は驚きすぎて倒れてしまいますわ。……仕方がないので、ある程度リフレッシュしたら後宮に戻って差し上げましょう」
(私、どうして……後宮なんて、嫌で嫌で仕方がなかったはずなのに)
故郷に帰ることができるのは嬉しい。
だが、故郷に帰り二度とグレンディルに会うこともない生活を送るのかと考えると……それもまた違和感を覚えてしまうのだ。
(何なの? この気持ちは……そうよ、あの幼竜ちゃん――クロに会えなくなるのが寂しいのね)
そう自分を納得させ、エフィニアは慌てて別の店に気を取られた振りをしてグレンディルから距離を取る。
すると――。
「危ないっ!」
少し離れたところから悲鳴が聞こえ、エフィニアとグレンディルは反射的にそちらへ視線をやった。
見れば、通りの向こうから物凄いスピードでこちらへ馬車が突っ込んでくる。
人々は悲鳴を上げ、馬車に轢かれないように飛び退いていた。
グレンディルが慌てたようにエフィニアへと手を伸ばす。エフィニアをも彼の元へ行こうとしたが――。
「えっ?」
一瞬の出来事だった。
脇を通り抜けていく馬車からにゅっと腕が伸びたかと思うと、あっという間にエフィニアを馬車の中に引きずり込んだのだ。
エフィニアが持っていた「夏妖精の宝石」は彼女の手から離れ、ぐしゃりと地面に落下した。
――グレンディルの伸ばした手の、ほんの少し先で。
「エフィニア!」
グレンディルは衝動的に、行き交う人を弾き飛ばす勢いでエフィニアを連れ去った馬車を追いかけるのだった。




