3 竜皇陛下、失言する
一方その頃、皇帝グレンディルは……現実から逃避するように書類仕事と格闘していた。
だが、どれだけ素早く書類をさばいても、グレンディルの頭を悩ませ続けることがあった。
……あの、小さな番のことである。
――「皇帝陛下の運命の番が見つかった」
その知らせは、たちまちの間に皇宮を駆け巡った。
竜族に生まれても、誰もが運命の番と出会えるわけではない。
そのため運命の番が見つかることは喜ばしいこととされ、特に皇帝の番であれば国を挙げての慶事となってもおかしくはないのだが……。
今回の場合はその相手が特殊過ぎたのだ。
――「相手はまだ年端も行かない妖精族の姫君で、皇帝陛下は出会い頭に姫君に襲い掛かったらしい」
そう聞いたものは皆、一様にドン引きしたように口をつぐみ、まるで汚らわしい変態を見るような視線をグレンディルに注ぐのだ。
いや、待て。そんな目で俺を見るな。
あれは決して故意じゃない。ただ、気が付けばあの小さな妖精姫の柔らかそうな首筋に噛みついてしまっていただけなのだ……!
……駄目だ、釈明不可だ。
グレンディルが皇帝でなければ、その場で通報されてひっ捕らえられていてもおかしくはない。
番の本能というものがこんなに恐ろしいものだとは、今の今まで知る由もなかった。
グレンディルとて他の誰かがそんな真似を仕出かしたと聞いたのなら、「恥を知れよロリコン野郎」と相手を軽蔑しただろう。
咎めるような視線から逃れるために、グレンディルはこうして一人、執務室に籠城している。
だが、問題を先送りにしても消えてくれるわけではないことはわかっている。
「…………はぁ」
グレンディルとて、今回の事態が異常だということはよくわかっている。
竜族の番は基本的に同じ竜族であり、年の頃も釣り合う者であることが多い。
竜族は成長が早く、男も女も長身で立派な体躯を持っている。
それゆえ、女性であれば豊満な体つきの者が美しいとされる価値観だ。
そんな竜族の感覚からすれば、エフィニアなどまだ尻に卵の殻が付いた雛同然だ。
帝国法に照らし合わせれば成人しているはずだが、見た目はどう見ても幼い子どもなのである。
そんな守るべき子供を、番にするだなんておぞましい……! などと他の者が思うのも、理解できなくはない。
だが、もっとも恐ろしいのは……グレンディルがどれだけ振り払っても、いっこうに脳裏からエフィニアの姿が消えないことだ。
「…………エフィニア王女、か」
顔を合わせた時間はほんの一瞬に過ぎなかった。
だが、グレンディルの優秀な頭はしっかりと彼女の姿を記憶している。
ふわりと流れる桜色の髪は艶やかで美しく、真っすぐにこちらを見つめる新緑色の瞳は、吸い込まれそうなほどに澄んでいた。
あどけない顔立ちとは裏腹に、身に纏う気品はさすが王族といったところか。
体つきは少し触れれば壊れてしまいそうなほどに華奢で……いや待て、触れるって何だ。
誓って他意はない。これはあくまで、冷静に彼女の姿を振り返っているだけなのだ。
決して、もっと近づけば花のようにかぐわしい香りするのではないかなどと考えている訳でなく――。
その時、執務室の扉を叩く音が聞こえ、グレンディルは瞬時に冷血皇帝の仮面を取り戻す。
「……何だ」
「陛下、クラヴィス様がお越しです」
「クラヴィスか……通せ」
自分一人でいるから余計なことを考えてしまうのだ。
誰かと話していれば、少しは気がまぎれるかもしれない。
そう考え、グレンディルは入室を許可する。
すぐに、扉が開き一人の青年が姿を現す。
――クラヴィス・ザイン。
マグナ帝国筆頭公爵家の令息で、グレンディルの側近でもある男だ。
グレンディルにとっては幼馴染のような間柄でもあり、「冷酷皇帝」を恐れずズバズバと物申してくる数少ない相手でもある。
ずかずかと室内に足を踏み入れたクラヴィスは、にやりと笑ってとんでもないことを口にした。
「よぉロリコン。まさかお前に幼女趣味があるとはさすがの俺でも見抜けなかったよ」
グレンディルは即座に、手元の文鎮をクラヴィスの顔面目掛けて物凄いスピードで投げつけた。
だがクラヴィスはひらりと身をかわし、皇帝の剛腕によって放たれた文鎮は、クラヴィスの背後の執務室の扉を半壊させた。
「おいおい、荒れてんなぁ。せっかく運命の番が見つかったっていうのに」
「お前の戯言のせいだ。今すぐ不敬罪で城門に首を晒すぞ」
「おー怖っ! さすがは泣く子も黙る『冷血皇帝』だな」
クラヴィスは恐れることもなく、ニヤニヤと笑いながら近付いてくる。
その様子に、グレンディルは舌打ちした。
「いやいや、よかったじゃん。運命の番が見つかるなんてめでたいことだろ」
まったく、何がめでたいものか。
ここで「あぁそうだな」などと返せば、クラヴィスが「やっぱり皇帝陛下は幼女趣味だってよ! ヒュ~!!」などと光の速さで吹聴するのはわかりきっている。
奴はそういう男なのだ。
だからグレンディルは、あえて冷たく突き放すような言葉を口にする。
「めでたい? 冗談はよせ。あんな子供みたいなのが俺の番だとは心外だ」
その瞬間、場の空気が凍り付いた。
視線を感じて振り向けば……いつからそこにいたのだろうか。
半壊した扉の向こうに顔を青ざめさせた騎士と……恐ろしいほど無表情なエフィニアが立っていたのだ。