2 妖精王女、側室になる
「……様、エフィニア姫様!」
どこからか自分を呼ぶ声が聞こえ、エフィニアの意識はゆるゆると覚醒した。
重いまぶたを開くと、皇宮の女官と思わせる女性がこちらを覗き込んでいた。
「エフィニア姫、お目覚めになられたのですね!」
ここはどこかしら……と周囲を見回したが、残念ながら記憶にはない場所だった。
だが内装や豪華な調度品から見るに、マグナ皇宮の一室なのだろう。
「どこか、体に異常などは感じられますか?」
「いえ、大丈夫よ。それよりも私、皇帝陛下との謁見の途中だったんじゃ――」
「……そのことについてなのですが、姫君。重要なお話がございます」
確か自分は皇帝との謁見のために皇宮へやって来て……いつの間にか、おかしな夢を見ていたような気がする。
すると神妙な顔の女官は、次の瞬間とんでもないことを告げた。
「先ほどの皇帝陛下と姫君の謁見により……エフィニア姫がグレンディル皇帝陛下の『運命の番』であることが発覚いたしました。つきましては姫君には、側室としてグレンディル皇帝陛下に嫁いでいただきたく存じます」
「………………え?」
エフィニアはしばしの間その言葉を反芻し、そして意味を理解した瞬間……盛大に顔をしかめてしまった。
「…………はぁ!?」
「それに伴い、姫君には本日より後宮に入っていただきたく――」
「ちょちょちょ、ちょっと待って、私が運命の番って……何かの間違いでしょ!?」
何事もなかったかのように説明を続ける女官に、エフィニアは慌てて食って掛かった。
運命の番――どうやら竜族には、天命によって定められた魂の番という制度……というよりも習性が存在するらしい。
それ自体はエフィニアも知識として知っているし、他種族の習性を否定するつもりはない。
……自分が、巻き込まれさえしなければ。
「竜族の番って言えば相手も竜族のはずでしょう? 何で私が!」
「おっしゃる通り、通常竜族の番は同じく竜族であることがほとんどです。ですがごく稀に……他の種族が運命の番だったという事例も存在します」
……なんて傍迷惑な。
エフィニアはがっくりと項垂れてしまった。
竜族の中で運命の番だのなんだの言っているだけなら、エフィニアも文句を言うつもりは無い。
だがまさか、その中に自分が巻き込まれる日が来るとは思っていなかった。
(もしかして、あれは夢じゃなくて……皇帝陛下が私に噛みついたのはそういう意味だったの!?)
属国の王女とはいえ、初対面の女性にいきなり噛みつくなど、とても正気だとは思えない。
あれも、運命の番と出会った際の症状だったのだろうか……?
「……本当に、間違いではないのね?」
「えぇ、エフィニア姫はグレンディル陛下の運命の番様でいらっしゃいます」
女官が力強くそう告げ、エフィニアはとうとうため息をついてしまう。
(ただ挨拶しに来ただけなのに、何でこうなるのよ……。しかも今日から後宮に入れって……あれ、後宮……?)
「竜族には皆運命の相手がいるのよね? ならどうして、後宮なんて場所があるの?」
後宮とは皇帝の妃が多数暮らす場所である。
竜族に「運命の番」なんてものが存在するのなら、数多の妃を娶る必要などはないだろう。
それなのに何故、何故後宮などと言う場所が必要なのか。
そう問いかけると、女官は少し気まずそうに口を開いた。
「いえ、それがその……歴代の竜皇陛下の中には、番様ではなく他のお妃様を寵愛される方もいらっしゃいまして――」
聞けば、「運命の番」とは唯一の伴侶というわけではなく、単に精神安定剤的な存在であるらしい。
そのため番を傍に置きながら、他にも数多の女性を侍らせ愛でる男も後を絶たないのだとか……。
嫌な予感が頭をよぎり、エフィニアはおそるおそる疑問を口にする。
「ちなみに、グレンディル陛下の後宮に妃はいらっしゃるのかしら」
「はい、帝国や傘下の国々より選りすぐりの姫君が30名ほど」
(なんですってえぇぇぇ!? あんなストイックそうな顔をして、30人もの女性を侍らせているなんて! 不埒だわ!!)
あんな冷酷そうな顔をして、裏では様々な女性をとっかえひっかえとは。
しかも皇帝は、エフィニアも後宮に入れと言っているそうではないか。
……エフィニアは彼の唯一の妃ではなく、何十人かいる側室の一人となるのだ。
(…………なによそれ! 勝手に人を巻き込んでおいて、ふざけるにもほどがあるわ!!)
エフィニアはそう怒鳴りたいのをぐっと堪えた。
妖精族は基本的に一夫一妻制をとっている。
そのため何十人もの女性を侍らせるなどというのは、エフィニアからすれば不誠実にもほどがあるし、自分がその中の一人になるというのはいたくプライドが傷つくのだ。
許されるのなら「私はそんなに安い女じゃないわ!」と皇帝の横っ面を引っぱたいて皇宮を飛び出してやりたいところだが……残念ながら立場上そうするわけにもいかない。
エフィニアは帝国の従属国である小国の王女。
エフィニアの行い一つで、竜の逆鱗に触れ祖国が焦土となる可能性もあるのだ。
実際に竜皇に立てつき、焼き尽くされた国がいくつあることか……。
――王族の最も重要な責務は民を守ること。
生まれた時より王女としての教育を受けているエフィニアは、きちんとそのことを胸に刻んでいた。
これも、属国の王女の宿命だったのかもしれない。
(……従うしか、ないのね)
ならばせめて、もう一度きちんと皇帝と話がしたい。
エフィニアはかの皇帝については何も知らないも同然だ。
それは、相手も同じだろう。
じっくりと話をすれば、少しでも良い関係を築いていけるかもしれない。
「……もう一度、皇帝陛下へお会いできるかしら」
この時のエフィニアは、少なくとも皇帝に向き合いたいという思いを抱いていた。
……この時は、まだ。