14 妖精王女、皇帝陛下に呼ばれる
「……今日も来ないのかしら」
いつものように畑に水を遣りながら、エフィニアは青く晴れ渡った空を見上げた。
数日前、エフィニアの屋敷に迷い込んだ黒い幼竜。
あの愛らしい竜が再びやって来ないかと待ちわびているのだが、いっこうにその気配はない。
(……そうよ。あの日はたまたま迷っていただけで、あの子だってあの子の生活があるはずよね)
もしかしたらもう、エフィニアのことなど忘れているのかもしれない。
そう考え、少し沈んだ気分でため息をついた時……道の向こうから何人もの女官がやって来るのが見えた。
「……何かしら」
先頭にいるのは、あのエフィニアのことを嫌っている女官長だ。
また何か文句をつけにきたのだろうか。
売られた喧嘩は買ってやるわ……と、侍女のイオネラを伴ってエフィニアは胸を張り、やって来た女官軍団を待ち受ける。
「あらあら皆さまお揃いで、どういたしましたの?」
にっこり笑って出迎えると、苦々しい表情の女官はどこか悔しそうに口を開く。
「グレンディル皇帝陛下より、エフィニア様への封書をお預かりしております」
「…………え?」
思わぬ言葉に、エフィニアは不覚にも間抜けな声を上げてしまった。
……皇帝からの文だと!?
あの、「あんな子供なんかに興味ない」みたいなことを言い放った皇帝から!?
今更、いったい何をエフィニアに伝えることがあるのか!!?
エフィニアは動揺を抑え、にっこり笑って封書を受け取る。
「まぁ、わざわざありがとう。この封書は、この場で確認した方が良いのかしら?」
「そうしていただけますでしょうか。皇帝陛下にエフィニア様のお返事を届けなければなりませんので」
どうやら封書の内容は、エフィニアの返事が必要になるようなものらしい。
しかし女官の様子を見る限り、皇帝がエフィニアにこの封書を送ったのがとにかく不服であるようだ。
時折こめかみがぴくぴくと動き、平静を装った表情からは憤りがにじみ出ている。
(いったい、何なのかしら……)
訝しく思いながらも、エフィニアは封を開く。
中に記されていたのは、意外にシンプルな食事の誘いだった。
……食事の誘い!?
(はああぁぁぁぁ!? どういうこと!!?)
……と叫び出したいのを堪え、エフィニアは静かに微笑んで見せる。
何故皇帝が、今更エフィニアに会おうとしているのかはわからない。
ただ一つ、確かなのは……エフィニアと皇帝が会うことは、目の前の女官長にとって不服であるということだ。
「……まぁ、皇帝陛下からのお誘いだわ! 『喜んでご一緒いたします』と、お伝えいただけるかしら」
まさに妖精姫とも言うべき愛らしい微笑みを浮かべ、エフィニアはそう口にした。
別に皇帝に会いたいわけじゃない。だが、何故「もう関わるな」と釘を刺したエフィニアに会おうとしているのかは知っておきたい。
それに……目の前の女官長が歯ぎしりしそうなほど悔しそうな顔をするのは、かなり気分が良いのだ。
◇◇◇
「すすす、すごいことですよエフィニア様! まさかあの皇帝陛下が後宮の側室の方に興味を示すなんて!」
「えっ、皇帝って後宮に入り浸ってるんじゃないの?」
「いいえ、グレンディル皇帝陛下の治世が始まってから、この後宮に足を踏み入れたのは一度だけ。その時も、すぐにお帰りになったと伺っております」
「なによそれ! 後宮の維持費の無駄遣いじゃない!!」
エフィニアはてっきり、皇帝グレンディルがこの後宮で酒池肉林の享楽に耽っているものだとばかり思っていた。
だがイオネラによれば、彼は後宮の姫君たちには興味を示さず、この場所を訪れることもないのだという。
「まったく……じゃあ何のために後宮があるのよ。ふざけるにもほどがあるわ」
ぷんぷん怒るエフィニアの身支度を進めながら、イオネラは苦笑する。
「皇帝陛下はこの後宮に興味を示されません。ですが、皇后の座を狙う妃同士の争いは日々激化しています」
「はぁ……ご苦労なことね」
「他人事ではありませんよ、エフィニア様。皇帝陛下がエフィニア様に興味を示されたということは、エフィニア様が皇后争いで一歩リードしたってことなんですから」
「え」
まったくそんなつもりはなかったエフィニアは、純粋に驚いてしまった。
(私が、皇后……?)
駄目だ、まったく想像できない。
エフィニアは今まで皇后の座を狙ったことなど一度もなかったし、後宮に入ってからも、せめて自分の望むように過ごしたいと、思うがままに動いていただけだ。
それが、勝手に皇后争いに参加させられていたとは……。
「まったく、いい迷惑よ」
何はともあれ、皇帝グレンディルの真意は確認しておいた方がいいだろう。
エフィニアは皇后になるつもりなど毛頭ない。
そんな面倒な役柄など、謹んでお断り申し上げる所存なのである。