116 妖精王女、微笑む
「きゃああぁぁ!!」
エフィニアはとっさに目の前のグレンディルを突き飛ばしてしまう。
普段だったらびくともしないグレンディルだだが、さすがにこのタイミングで突き飛ばされることは予想していなかったのだろう。
「うぐっ」とうめき声をあげ、エフィニアから飛びのいた。
「ななな、なにも見ていませんから! どうぞ私たちに気にせず続きを……」
「しっかり見てるじゃない!」
手で顔を覆いながら動揺するイオネラに、それ以上に動揺したエフィニアがぎゃあぎゃあと騒いでいる。
「……部屋に入る前にはノックしろと教えられなかったのか」
「突撃したのはあのおちびだって。そんなに怒るなよ」
せっかくのチャンスを邪魔され静かに怒るグレンディルを、クラヴィスが「まぁまぁ」と諫めている。
そんな中クロだけは、何故皆がこんなに慌てているのかわからずきょとんとしていた。
「えふぃー、だいじょうぶ?」
「だ、大丈夫よ、クロ。お見舞いに来てくれたの?」
「うん!」
寝台によじ登って来たクロが、ぎゅっとエフィニアに抱き着く。
その可愛らしい態度に、エフィニアは頬を緩ませた。
「ありがとう、クロ。来てくれて嬉しいわ」
そっと微笑むエフィニアに、イオネラはほっとしたように安堵の息を吐く。
「驚きましたよぉ。皇帝陛下の寝室から出てきたエフィニア様が重傷で医務室に運ばれたと連絡が来て……」
「情報が錯綜してるわね……全然重傷じゃないから大丈夫よ」
イオネラがとんでもない勘違いをしていたら大変だと、エフィニアは慌てて訂正した。
「ちょっと故郷で会得してきた新しい術を使ったら負担が強くて倒れちゃっただけよ」
「新しい術……」
そう呟いたイオネラが顔を赤らめた。
何やらとんでもない想像をされていそうなので訂正したいが、クロの前で下世話な話をするわけにもいかない。
エフィニアはこほんと咳ばらいをすると、先ほどからクロが握りしめていた物へと話題を移す。
「ねぇクロ。もしかしてこのお花。私のために摘んできてくれたの?」
そう声をかけると、クロはぱっと満面の笑みを浮かべた。
「うん!」
クロが握りしめていたのは、美しい花束だった。
そのどれもが、エフィニアの邸宅の庭で咲いているものだ。
きっとイオネラとナンナが、気を聞かせて花束にしてくれたのだろう。
「えふぃにあげる!」
「ありがとう、クロ。すごく嬉しいわ」
花束を受け取りエフィニアが笑顔になると、クロはもじもじと何か言いたげにする。
「えっと、それでね、えふぃ……」
「どうしたの?」
いつも快活なクロにしては珍しい態度に、エフィニアはきょとん、と瞳を瞬かせる。
そんなエフィニアに、クロは一息に告げた。
「クロ、いっぱい食べてもっともっと大きくなる! だから、クロがおとなになったら……えふぃ、けっこんしてくれる?」
頬を紅潮させそう告げたクロに、エフィニアは仰天した。
だが当のエフィニアよりも、顕著な反応を見せたのがグレンディルだ。
「はぁ!?」
クラヴィスにぐちぐちと文句を言っていたグレンディルだが、めざとくクロのプロポーズを聞きつけすっ飛んできたのだ。
「おい、何を馬鹿なことを言っている!?」
「むー、ばかじゃないもん!」
頬を膨らませるクロに、グレンディルはものすごい形相で詰め寄っている。
「エフィニアは俺の妃、俺の妻だ! わかるな!?」
「むずかしい言葉わかんない!」
「わかれ! エフィニアは俺と結婚するからお前とは結婚できないということだ!」
「やだ!」
「やだじゃない!」
見た目がそっくりな叔父と甥は、ぎゃあぎゃあとくだらないことで言い争っている。
「もぉぉ……!」
そのやりとりを聞いていたエフィニアは、恥ずかしさに頬を染める。
そんなエフィニアを見て、イオネラはくすりと笑った。
「ふふ。よかったですね、エフィニア様」
「よかったのかしら……」
照れ隠しのように俯いたエフィニアの視界に、きらりと光るものが映る。
昨晩、グレンディルが左手の薬指に嵌めてくれた指輪だ。
エフィニアが元の大きさに戻ったことにより、少し動いたらするりと抜けてしまいそうなほど不安定な状態になっていた。
「危な……国宝なのよね、これ」
エフィニアは慌てて抜けかけていた指輪を根元まで戻し、目の前にかざす。
きっと稀代の皇后にはぴったりのサイズだったのだろうが、エフィニアの細く小さな指には、あまりにもぶかぶかだ。
「わぁ、綺麗……! でもエフィニア様の指には少し大きいですね」
「誂え直すとしたら、皇帝お抱えの職人に――」
「いいえ、このままでいいのよ」
感想を漏らすイオネラとクラヴィスに、エフィニアはそっと首を横に振った。
確かにエフィニアの指には収まらないほどに大きく、不格好な指輪だ。
だが、それでいい。
(もともと、私と陛下はでこぼこだらけだもの。だったら、このまま突き進んでやるわ)
指輪だからだと絶対に指に嵌めなくてはならないわけではない。
肌身離さず身に着ける方法はいくらでもある。
笑われても、馬鹿にされても関係ない。
グレンディルはそんなエフィニアのことを選んでくれたのだから。
(きっとこれが、私たちの新しい形になるんだわ)
ついには取っ組み合いの喧嘩を始めたグレンディルとクロを眺めながら、エフィニアはくすりと笑った。