111 妖精王女、竜皇陛下の寝室を訪れる
「クラヴィス様! 陛下の機嫌がいいって嘘じゃないですか!」
「この書類なんて一目見ただけで乱暴に突き返されましたよ……」
「ありゃりゃ、こりゃエフィニア王女絡みでまたなんかあったな」
執務室の一角では、クラヴィスの「ボーナスチャンス」を信じて仕事を楽に勧めようとした官吏たちが、屍のような状態で床に転がったり文句を垂れたりしていた。
だが肝心の皇帝は、そんな光景も気にせず執務机で何やらぶつぶつと呟いていた。
「いったい何がいけなかったんだ……。どうしてこんな時期に里帰りをする必要が……」
やっと戻ってきた「運命の番」に再び去られた皇帝グレンディルは、再び荒れに荒れていた。
自分が何かしてしまったのなら対処の使用があるが、今回ばかりは本当に原因がわからないのだ。
後宮を出た彼女を追って、ルセルヴィアまで迎えに行った。
彼女に手を出そうとしていた異母兄ベリウスを叩きのめした。
彼女が案じていたクロとナンナには、きちんと居住許可を与えた。
再会したときには、確かに心の距離が近づいたのを感じたのだ。
このままもっと距離を詰めようと思っていたのだが……エフィニアはするりとグレンディルの腕から抜け出して行ってしまった。
何がいけなかった。いつぞやの「あんな子どもみたいなのが運命の番なんて心外だ」に匹敵する失言などはないはずだが……。
「くそっ、わからん……!」
グレンディルがそう吐き捨てた途端、上空に渦巻いていた暗雲から雷が落ちる。
「これはしばらく荒れるな。洗濯物は外に干さない方がいいぞ」
「勘弁してくださいよぉ……」
部屋に隅に身を寄せてぶるぶる震える官吏たちを見て、クラヴィスはおかしそうに笑った。
……一週間たっても、二週間たってもエフィニアは帰ってこなかった。
グレンディルはもはや怒りを通り越し、生ける屍のようになっていた。
もう一度、エフィニアを迎えに行けばいいのだろうか。
だが原因がわからない以上、行っても門前払い……最悪「もう帰らない」と決定的な別離を突き付けられる可能性もある。
そう考えると、動けなかった。
「エフィニア……」
昼間は怒りと不満をぶつけるように仕事に精を出しているが、夜一人になるとどうしてもエフィニアのことを考えてしまう。
今頃彼女は何をしているのだろうか。
少しはグレンディルのことを考えてくれているだろうか。
そんなことを考えながら、寝室で一人酒を呷っていた時のことだった。
コンコン、と……部屋の扉を叩く音が聞こえた。
使用人にはよほどのようがない限り、一人の時間を邪魔するなと言ってある。
たいした要件じゃなかったら承知しないと、グレンディルは若干不機嫌さをにじませた声で扉の向こうへ問いかけた。
「こんな時間になんだ」
だが返って来たのは、想定外の声だった。
「陛下、わたくしです。エフィニアです」
「!?」
驚きのあまり、グレンディルは座っていた椅子から転げ落ちそうになってしまう。
これはエフィニアを恋しく思うあまりの幻聴だろうか。
いや、何でもいい。今はとにかく、幻にでも縋りたい一心だった。
不用心だと言うほかないが、グレンディルは武装もせず相手を確かめもせず勢いよく扉を開ける。
その向こうに佇む姿を目にした途端、グレンディルは呆気にとられてしまった。
「…………は?」
そこに立っていたのは、エフィニアだった。
だが、グレンディルの良く知るエフィニアとは姿が異なっていた。
彼女の実年齢は十六歳であるが、妖精族の特色を色濃く受け継ぐ彼女は、他種族で言う十歳程度の子どもにしか見えないのだ。
だが今目の前にいるエフィニアは、確かに「十六歳の乙女」というのにふさわしい姿をしていた。
身長が一回りほど伸びたのか、すらりとした体型が目を引く。
顔つきも大人びて、少女から女性へと変化する途中の瑞々しい魅力がこれでもか、というほどに放たれていた。
身に纏うのは薄手のネグリジェで、グレンディルは思わず視線のやり場に困ってしまった。
「君は……誰だ?」
とっさにそう問いかけると、目の前のエフィニアはくすりと笑う。
「嫌ですわ、陛下。たった二週間会わなかっただけで私のことを忘れたのですか? これでも一応『運命の番』ですのに」
忘れるわけがない。
むしろ、ここ二週間エフィニアのことで頭が占められていた。
「……そんなわけないだろう、エフィニア」
そう口にすると、エフィニアは嬉しそうに笑う。
それは、彼女がまぎれもなく「エフィニア」であるという肯定の意味を含んでいた。