106 妖精王女、キレる
「おおかたベリウスのクズ野郎が使用人に手を出し、生まれた子が偶然俺に似ていたから利用しようと目論んだのだろう。卑怯者の考えそうなことだ」
「卑怯者、だと?」
今まで黙っていたベリウスが、その言葉にゆらりと立ち上がる。
その瞳には燃え盛る炎のような苛烈な怒りを宿していた。
「よくも兄に向かってそんな口が利けたものだな……!」
「無駄に年を重ねて恥の上塗りばかりしているお前を敬う義理などないな」
「なんだと……!?」
「来いよベリウス。まだるっこしい策など弄せずに正面からかかってこい。お前が勝ったら皇帝の座をやる」
グレンディルの挑発は、見事にベリウスの心に火をつけたようだ。
「きゃあ!」
真っ赤な成竜へと変化したベリウスが、グレンディルへととびかかっていく。
その動きを予見していたのだろう。
グレンディルも黒い竜へと姿を変え、二人は砕け散ったステンドグラスを踏み越えるようにして空中へと飛び出した。
宮殿の中庭の上空で、二頭の竜は激しい戦いを繰り広げている。
(……大丈夫、グレン様が負けるわけがないわ)
そう自分に言い聞かせ、エフィニアはイオネラやナンナの方へ向き直った。
「三人とも無事だったのね……。よかった……」
「陛下が助けてくださったんですよ! どうやらエフィニア様を探すついでだったっぽいですけど……」
イオネラの言葉に、エフィニアはぱっと頬を染める。
(陛下は私を迎えに来てくださった……。それに、クロも陛下の子じゃなかったのね)
本当に、エフィニアが一人で空回りしていただけだったようだ。
なんだか恥ずかしくなって、エフィニアは慌ててナンナへ声をかける。
「とりあえずは安全な場所へ避難しましょう。大丈夫、あなたとクロの今後については私とグレンディル陛下にお任せください」
「エフィニア王女殿下……」
手を差し伸べると、ナンナは今にも泣きだしそうに表情を歪めた。
「……本当のことをお話しできず、申し訳――」
「いいのよ、ナンナ。あなたにも事情があったのでしょう」
彼女がどんな経緯でベリウスの子を身籠ったのかはわからないが、彼女のクロに対する愛情は本物だ。
だから、それでいいのだ。
「さぁ、とりあえずここから出――」
「待ちなさいよ」
宮殿から逃げ出そうとしたエフィニアの前に、エリザードが立ちふさがる。
その表情には燃えるような怒りと憎悪……それに嫉妬が前面に出ていた。
「……なんであんたなのよ。あんたなんてチビで、ガキで、女の魅力だってゼロのくせに」
その言葉にはさすがのエフィニアもむっとしてしまった。
「そういう失礼なところが陛下はお気に召さなかったのでは?」
「そんなはずないわ! グレンディル様の前ではずっと可愛い私でいたもの!」
エリザードが憤りをあらわにぶちまける。
「私の方がずっと前から好きだったのに! ベリウス様のことだって利用してあの方を手に入れる寸前だったのに! あんたさえいなければ……なにもかもうまくいったのに!!」
(……エリザード様は、本気でグレン様のことが好きなのね)
エフィニアは心のどこかで、エリザードはグレンディルというよりも「皇帝の座」が目当てなのではと疑っていた。
だが、そうではなかったのだ。
ベリウスの目的は皇帝の座。エリザードの目的はグレンディルそのもの。
うまくいくかどうかはさておき……二人の利害関係は一致していたのだ。
(クロを陛下の「隠し子」だと誤認させて、臣民の動揺を誘い勢力を弱体化させる……。「運命の番」である私を人質にとれば更に有利にことは運ぶはず)
そうしてベリウスは皇位を奪い取り、皇帝の座を追われたグレンディルをエリザードが手に入れる。
きっと、そんな手はずだったのだろう。
(でも、それももう終わり。絶対に、あなたたちの思い通りになってさせないんだから)
エフィニアは毅然と顔を上げ、エリザードを見据える。
そして、にっこりと愛らしい笑みを浮かべてみせた。
「残念でしたね、エリザード様。グレンディル陛下にとってあなたは『ストーカー女』でしかないそうですよ」
これは、散々演技してエフィニアを騙してくれた仕返しだ。
案の定、エリザードは暴発した。
「このっ……クソチビが! たかが『運命の番』の分際で! 踏みつぶしてやる!!」
エリザードの体から怒気が立ち上る。
だが、エフィニアは焦らなかった。
「イオネラ、ナンナ! クロを連れて先に逃げて!」
「でもっ、エフィニア様!」
「私なら大丈夫よ。対竜族に関してはきちんと対策をとっているもの。むしろそれを試すいい機会だわ」
人質を取られていたり、相手が搦め手で来たら危なかった。
だがエリザードは単身。
イオネラ達さえ避難すれば周りに人はいない。
(今まで好き勝手してくれたお返しをさせてもらうわよ!)
グレンディルが迎えに来てくれて、クロも彼の隠し子ではないとわかった以上もう何も怖くない。
エフィニアは鼻歌でも歌い出したいような気分で、ふーふーと荒い息を吐くエリザードを見上げていた。
「わかりました! エフィニア様! 待ってますからね!!」
さすがはイオネラ。すぐにエフィニアの意図を察してくれたようで、ナンナとクロを引き連れ先に逃げて行った。
この場に残されたのは、エフィニアとエリザードの二人だけだ。
「それじゃあ決着をつけましょうか、エリザード様。私、これでもけっこう怒っているんですよ」
今まで散々清楚で健気な令嬢の振りをして、エフィニアを騙していたこと。
ベリウスの策に加担して、ナンナやクロを駒のように扱っていたこと。
それになにより……エフィニアのことを「クソチビ」「女の魅力ゼロ」などと侮辱したこと。
このまま笑って見過ごすつもりはなかった。
「フィレンツィア王国第三王女、エフィニアがお相手いたします。どうぞお手柔らかに」
優雅に一礼し、エフィニアは戦闘態勢へと頭を切り替えた。