06:未来に交わした約束
人は環境に適応出来る生き物だ。一度慣れてしまえば、という事もまた多い。
しかし、それでも人が適応出来ない環境があるのだとすれば……それは死そのものだろう。
死。それは生命の終わり。人は生命を失うことには耐えられない。その足音を耳にすれば誰もが臆するだろう。
「――……」
「……ソナタ」
サリアの声が聞こえた。彼女との逢瀬の時間を一体どれだけ繰り返しただろうか。
何度目かにはもう気付いていた。だからこそ、目が覚めてから意識が覚醒するのに時間がかかってしまった。
私を心配そうに見つめてくるサリアの頭を撫でてやる。くすぐったそうに目を細めている彼女を見つめながら思う。
私は、あといつまで意識を保っていることが出来るだろうか、と。
どうしても自分の終わりを実感してしまう。この時間はサリアに与えられたかりそめの時間でしかない。
私の生は終わっている。どこにも辿り着くことはなく、このまま消えていくのを待ち続けるだけだ。
後悔はない。死を恐れることはない。それでも自身の全てが自由になる訳ではない。
少しずつズレて、軋んで、その軋んだ部分から擦り切れていくように私の意識は小さくなっていく。緩やかな死に向かって私は歩み続けている。
それでもリュミを思うことだけは忘れられない。這い寄る絶望と抱いた希望の螺旋に振り回されているような心地になる。
「……ソナタ」
「……あぁ、サリア。今日は、何のお話をしようか?」
最近、サリアが同じ話をする度に回数を数えている。それだけ私が〝話せる内容〟が減っているということだった。
記憶は劣化していき、失われていく。既に私の残した記憶は虫食いのようになっている。口に出せる話題も減るというものだ。
私にどのような親がいたのか、どのような友がいたのか、王としてどんなことを為してきたのか。
親しい者のことはまだ覚えていられる。自分のことも必要な所だけは残っている。そして、リュミの姿だけは未だ色褪せることはない。
それでも語ることを止めては、本当に自分を失ってしまいそうだった。だから何度繰り返すことになっても、私はサリアとの会話を楽しんでいた。
例え、彼女の笑顔が少しずつ薄れていって、悲しげに私を見つめるようになっても。
「……ソナタ」
サリアが私の名を呼ぶ。悲しげな声は、まるで私を悼んでいるかのようだった。
「まだ、諦めないの?」
「諦めないさ」
「……もう、リュミって人はお前のことを忘れてるかもしれないのよ。生きているのかだってわからない。それでも?」
「それでもさ」
「どうして?」
それは、いつか遠い昔にサリアに問いかけられたような気がする。それがいつの事だったか忘れてしまったが、きっとその時も同じ返答をしただろう。
「リュミを、愛している」
「……」
「このまま死んだとしても、この思いがどこにも残らずとも、彼女を愛しているんだ。それだけは裏切られないし、曲げられない」
「……馬鹿ね」
「あぁ、それでも……それが私だ」
サリアが目を閉じて瞳を隠してしまった。そのまま大きく息を吸って、そして小さな笑い声を漏らして肩の力を抜いた。
再び瞳を開いて私を見つめるサリアは、今まで見たことのない晴れやかな表情を浮かべた。
「ねぇ、ソナタ。――まだ、終わらない続きを望む?」
終わらない続き。この先も、まだ続く?
「歩いていける? 希望なんて、もうどこになかったとしても」
希望は、ないのか? いいや、そんなものは世界に求めていない。
「また歩けるなら、お前の旅は続くの?」
「――勿論だ」
返す言葉は力強く、迷いはない。
歩ける足がないから、ここにいるだけで。この先も続きが望めるなら私の旅は終わらない。
彼女が生きていて、言葉を届けられるという希望を信じて歩き続けられる。
私の返答を聞いたサリアは笑みを深め、そして私の胸に身を寄せるように抱きつく。
「お前は、本当にどうしようもない人だなぁ。少しでも諦めてくれれば、私だって一緒にいてって望めるのに」
「……そう言ってくれるのは光栄だがな」
「うん。付き合わせたくないんだよね、その旅はお前の愛した人のための旅だから」
王であることを捨て、安寧な眠りを受け入れられず、無謀な願いを叶えるための一人旅。
そこに付き合わせられるほど、自分の旅に価値を感じて貰えるとは思っていなかった。
「――でも、見てみたいから。ちょっと手助けしてあげる」
「……サリア?」
「ソナタ。私は、私が嫌いなの。ソナタを知って、知れば知るほどに嫌いになっていくの」
自分の胸を掴むように手を添えながらサリアは思いを吐露する。嫌い、だと口にしているのに不釣り合いな程の笑顔を浮かべながら。
「私は、お前のようにはなれない。なれるだけの出会いも、切っ掛けもなかった。だから私は人の魂を喰らう者になった。その理由も今ならわかる。私は、ずっと、ずっと……寂しかったんだ」
サリアは、自分の事を語ろうとはしなかった。
だから私が彼女について知っているのは、生贄として育てられた子であること。それ故に人を憎み、忌み嫌っていたこと。そして……孤独の寂しさに震えている子供だと言うことだ。
「私の身体はね、今は木なのよ」
「……木?」
「そうよ。私を生贄に捧げた人たちは、その木を信仰していた。豊かさを齎す神木としてね。でも、生贄を捧げなければ豊穣は約束されなかった。だから名も与えられない生贄の子が捧げられた。でも――神なんて、いなかった」
おかしくて堪らないと言うようにサリアは笑って、己の耳に触れた。人とは違う尖った耳だ。
「神なんていなかった。あったのは、自我を失った名もなき子供の成れの果てだった。寂しかったの、ただ皆寂しかったの。だからいっぱい命を芽吹かせていただけで……別にあの人たちのための豊穣じゃなかった」
「……」
「だったら、許せないでしょ? だって私たちはただ普通に生きたかった。普通に愛されて、寂しさを消したかっただけなの。だから、私は人の魂が好きなの。ずっと一緒にいられるから。ずっと、私の中で溶けて離れないから」
「……それは、悲しいだけだ」
「えぇ、そうね。お前だったらそう言うでしょうね。……だから、思ったの」
サリアは改めて私と向き直るように視線を向けてくる。その時に彼女が浮かべた笑顔は、眩しい程に晴れやかなものだった。
「ねぇ、ソナタ。私と一つになりましょう。私がお前を喰らうんじゃない。お前と寄り添って生きるために」
「……サリア?」
「願いが出来たの。私ね? お前に愛される子になりたいの。でも、リュミって奴が一番で、そこは譲れないのでしょう? だから、貴方の子供なりたいなって。そしたら私の人生はやり直せて、幸せになれる」
「……」
「でも、覚えていたくないの。私は悪い子だったから。このままじゃ幸せになっても苦しいの。だから……良い子になって償って、今度は良い子のまま生きてみたいの。普通の子供になりたい。ソナタが、ソナタの国の子供たちに望んだように。私もそう望まれたいの」
サリアが私の顔に手を添える。私もサリアの手に自分の手を重ねるように添える。
「……どうするつもりなのだ?」
「ソナタを、私を使ってソナタのまま生まれ直させる。一つになってしまえばソナタの中で私は生き続けられる。お前も旅を続けられる。今度こそ、お前が望むまで。私の身体は変わらないもの。旅を続けるなら好都合でしょう?」
「サリアはどうなる?」
「言ったでしょう? お前と一つになるの。そこに今の私は、きっと残らないけど。でも、ソナタの中に私はいるの。もし、ソナタが子供を作ってくれるならそれが私になると思うわ。今みたいに捻くれた私じゃなくて、もっと素直にいられる私が」
「……君は、それでいいのか?」
「それがいいの」
「君自身が幸せを感じることはない」
「もう十分幸せで、もっと幸せになりたいから次を望むのは悪いことかしら?」
「……それが、君の心の底からの願いなんだな?」
私の問いかけにサリアは笑みを浮かべたまま、そっと距離を詰めて私の頬に唇を当てた。
それはまるで親愛を示すような、ささやかな接吻。親が子供にするような甘えた仕草だ。
「……叶えてくれる? ソナタの願いが叶うその日を私も見てみたい」
「……」
「私が消えたなんて思わないで。お前の歩みが、私の歩みになる。そして、いつか私をもう一度この世界に生んでくれたら嬉しく思うわ」
「それは、君じゃないんだろう?」
「でも、私よ。……例え、魂だけになってもソナタはソナタのままだったから。だからソナタが覚えてくれたら私だってきっと大丈夫」
首に手を回して強く私を抱き締めるサリア。そして耳元で囁くようにこう言った。
「ソナタの旅を、私に応援させて?」
……サリアの身体を強く抱き締める。小さなその身体を、大人になれなかった彼女を慈しむように。それでいて離さないように。
これが正しい行いなのかはわからない。けれど、それでも私は私に嘘をつけなかった。私はまだ旅を続けたいのだ。
この望みが叶うのなら、私は拒めない。だから、私はサリアを拒むことが出来ない。
「……すまない」
「どうして謝るの?」
「……言われれば、何故だろうな?」
「変な人。……うん、でも、わかるよ。だから言わせてね?」
身を離して、互いに向き直う。手を重ね合うように握り締めて視線を交わす。
「――救ってくれて、私に道を示してくれてありがとう。約束してくれる? いつかソナタの願いが叶った先で、また再会させてね」
「――約束する。必ず、また君と再会する。君が望んだ形で」
心音の音が、聞こえた気がする。
その音は静かに、けれど力強く響いてくる。意識が揺らいで、サリアの姿が不鮮明になっていく。
――それじゃあ、またね。
それは別れの言葉。けれど、同時に未来を信じた祈りでもあった。
サリアの浮かべた美しい笑顔を忘れてはならない思い出として刻みつけながら、私の意識は暗転した。




