04:門出の花
前話の最後をやや修正していますので、ご注意ください。
「私は生贄として育てられただけの子供よ。だから名前なんて、誰もつけてくれなかった。私を呼びたいならこう呼びなさい。ただの〝贄〟とね」
「――うむ、断る」
「…………え?」
「誰も名前をつけなかったのなら先に言えば良かったのだ。であれば、私が名前を考えよう。ふむ、何が良いか……」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ? 私の話、聞いてた? 私はただの生贄として育てられただけで……」
「それは理由になるのか? 私はならないと思っている。理由は簡単だ。私が、君を名前で呼びたいからだ。例え、君がどんな出自であろうと、どんな子であろうと、それを知るためには私たちには名前をつけることが必要だ」
身体があれば首を傾げていただろうし、心境としては溜息を吐きたい気持ちで溢れていた。
「何せ、名前ぐらいしか私はもう自分を確かめられるものがないのだからな。名前しかない私と、名前もない君。これでは互いに理解するのは困難だろう。いや、君は一方的に私を理解しているが、それでは不公平だろう?」
「……何が不公平だって言うのよ。身体も失って、思考だけしかないようなお前に……」
「あぁ、私は吹けば消える灯火のようなものなのだろう。君が気に入らなければ吹いて消せば良い。それも出来ないなら、少なくとも私は君と拮抗している。つまりは対等に近いと言えるのではないか? なら君は一方的すぎる。私にも君のことを教えてくれても良いんじゃないのか?」
私の言葉を受けて、少女が怯んだような表情を浮かべた。まるで理解が出来ないと言うように、一歩、また一歩と後ろに退いていくように遠ざかっていく。
やってしまった、と思ってしまった時には遅かった。少女の気配は消えていき、世界は再び暗黒に呑み込まれた。何も感じない世界の再来だ。
(……いや、私はそうでも彼女は感じ取っているなら無駄ではないな。では、君に相応しい名前を考えてみよう。何か気に入った名前が出てきたら応じてくれ)
そして、私は再び思考を繰り返す。今度は、思い出を繰り返すだけではなくて、彼女に相応しい名前を考えるために。
* * *
幾度も同じ夢を見る。
幾度も同じ思考を繰り返す。
繰り返す、繰り返す、繰り返す。
回る歯車のようにくるくる、思考と回想に澱みはない。
ふと思う、この意識は眠ることがあるのかと。起きていると思ってはいても、もしかしたら眠っているのかもしれない。
薄く引き延ばされ続けるような意識。刺激が絶えて久しいので、一体どれだけ時間が経ったのかわからない。
それでも、繰り返す。
何度も同じ思い出を掘り返す。愛おしいという思いを確認して、また思い出として残していく。
思い出した数を記録してみたこともあった。いつしか、飽きてやめてしまった。
叶わなかった未来を想像してみたこともあった。叶わないからこそ、それは尊いものだと思えた。
幸せがあった。後悔があった。願いがあった。その全てが、私にとって幸福だった。
だから、何度でも飽きることなく繰り返せる。ただ、彼女に再会することを夢見ることが出来る。
「――……どうして?」
本当に久しぶりの暗闇が晴れた瞬間だった。
あの少女は、やはり変わらない姿で私を見ていた。憐憫、不審、驚愕、そんな感情をひしひしと感じる。
きっと久しぶりなのだろう。どれだけ久しぶりなのかはわからない。それでも、懐かしいと思えるぐらいには時間が経過していたと思う。
「……やぁ、久しぶりだ。何か気に入った名前はあったか?」
「どうして」
「……ん?」
「……なんで、そんな風に在ることが出来るの? おかしいよ、お前」
「どうして、か」
問われれば、ふと考えてしまう。
消えたら楽なのだろう。この薄く引き延ばした意識は、気を入れてなければ途切れてしまう。
繋いで、繋いで、繋ぎ続けて。どこにも行けないと知りながらも願いを捨てられない私は傍目からみれば滑稽そのものだろう。
だから、どうして、と問うのは不思議ではない。
自分でも、ふと思い出した時に問いかけることなのだから。だから、答えは澱みなく返すことが出来た。
「幸せだったから、そして、もっと幸せになれた筈だったからだ。だから今より幸せになりたいと思うのは、それは自然なことだろう?」
幸せを知っていて、その上の幸せも知っているから、求め続ける。
そう、求め続けられるということが幸せなのだ。そこに諦める理由があるのだろうか?
「……このままどこに行けないままでも、幸せだと思えるの?」
「あぁ、最後まで頑張って、望んだ理想に届かなくても……胸を張れるじゃないか。私は挑み続けたんだぞ、と」
「……何ソレ、意味わかんない。意味、わからないのにさ……」
不意に、世界が開けた。
緑の香りがする。地に立っている。空気を感じ取ることが出来る。世界を知覚するあらゆる感覚があまりにも久しぶりすぎて、少しだけ目眩を起こしそうになった。
そして、私の目の前にはあの少女がいる。諦めたような顔をして、その目尻に涙を浮かべている。
だけど、不思議と晴れやかに思えてしまった。仕方ないと言うように笑う少女は私に手を伸ばす。
「……いいな、って思っちゃったんだ。だから、私の負けだよ」
「ふむ。特に勝負はしていなかったと思うが……」
「嫌味な奴。……ねぇ?」
「なんだ?」
「私だったら貴方にもう一度、生命を与えてあげられる。だから、さ」
私の身体に額を預けるように身を寄せながら少女は、乞うように言った。
「――リュミって人を諦めて、私を愛してくれない?」
「――それは出来ない」
びくり、と少女が身体を震わせた。その身体を逃さないように抱き締めた。
久しぶりに人を抱き締める感覚に感動しながらも、私は嘘偽りなく思いを口にする。
「君はリュミじゃない。なら、リュミのようには愛せない。名前もない君が誰かの代用品になってはいけない。だから、同じようには愛せない。君はリュミの代わりになどならない。したくもないし、なってもいけないと思う」
「――……」
「まずは友になろう。君が名前を名乗り、私の名を知って、対等になることから始めないか?」
「……はぁ……何よ、こっちが精一杯背伸びしてるのに……」
怒ったように彼女は言った。けれど、その声は弾んでいた。
怒って、泣いて、笑って、喜んで。彼女の感情は目まぐるしく移り変わって混じり合っていく。
「……仕方ないから、名前を貰ってあげる。それで? どんな名前をつけてくれるのかしら?」
「む。気に入った名前があればそれにするが」
「お前がつけてくれた名前がいいの。……恥ずかしい名前にしないでね?」
「……そういう事であれば」
名付けというのはいつだって緊張するものだ。リュミとの間に生まれた子に名前をつけるのだって緊張したな、と振り返る。
名付けは願いをかけることにも似ている。どんな子になって欲しいのか、どんな生を歩んで欲しいと思うのか。
この子は私の子供という訳ではない。けれど、大人になれるほどに与えられなかった子なのだろう。それを思えば、そんな今までを変える名前が良いか。
「――サリア」
「……サリア?」
「私の国にはサーラテリアという花がある。長い雨が続いた後に咲く、門出の花だ。それにちなんでサリア、というのはどうだろうか?」
サリア、と相槌を打つように少女は口にする。それから仕方ないと言うように笑ってみせた。その笑顔は蕾だった花が満開に開いたような眩しい笑みだった。
「……まぁ、良い名前なんじゃない? サリア、サリア。うん、本当に仕方ないから貰ってあげる!」




