02:夢見せるは魂を喰らうもの
彼女との出会いは、戦場だった。
その頃の私は王などという身分ではなく、ただの一介の剣士でしかなかった。
唯一の取り柄だった剣の扱い。それを生かすため、人を守るために戦っていた。
人の脅威となる存在、魔物。人の住まう領域を開拓するためにはどうしても狩らなければならない凶悪な獣ども。
そんな脅威に対して絶対的な力、魔法を扱うのが私の国の王族だった。そして、彼女は正真正銘の姫だった。
月明かりすらも隠した暗い夜。その夜に篝火すら霞ませてしまう程の光を放ちながら舞い降りた彼女は……まるで、月が降りてきたようだった。
その光景を、私はいつまでも覚えている。きっと、死した後でさえ抱えていけるという自負さえあった。
それ程までに彼女との出会いは鮮烈であり、私の心は彼女――リュミエル・レネ・パレッティアに奪われていた。
……そんな、懐かしい日の夢を見ていた。
「――あら、起きたの?」
〝声〟が聞こえる。
懐かしい声色だった。覚えていても、遠くなってしまった記憶が一瞬にして呼び覚まされる。
「……ん」
「寝ていていいのよ。ほら、眠いのでしょう?」
〝彼女〟はぽんぽん、と私の頭を撫でて寝かしつけようとする。
とても優しく、温かな手付きだった。懐かしい匂いもした。
「疲れてるんだから、休んでいいのよ」
「……君は」
「〝リュミ〟、でしょう?」
そう言って〝彼女〟は優しく微笑んだ。
私の視界を覆い隠すように手を翳す。視界が隠されれば、〝彼女〟の姿が見えなくなってしまう。
「大丈夫よ、もうどこにも行かないから。ここにいるわ」
「……そうか」
あぁ、温かいな。とても懐かしくて、涙が出そうになる。
「――で? 君は一体誰なんだ? 良い思いをさせてもらったが、生憎と浮気は趣味ではなくてね」
横になっていた身体を起こそうとして、ぴくりとも身体が動かないことに気付いた。
視界を覆い隠していた手がその温もりを失った。手が避けられると、覗き込むように私を見ていた〝彼女〟は、その姿を変えていた。
それは緑色の髪を持つ少女だった。尖った耳は明らかに普通の人の姿ではない。
見開いた瞳は新緑の色で、今にも目が落ちてしまいそうだ。やはり〝彼女〟、リュミの姿とは似ても似つかない。
「嘘、私の幻惑が効いてない……!?」
「いや、しっかり惑わされていたとも。だから言っただろう? 良い思いをした、と」
「な、なんなのよ、それ!?」
「君は間違いを犯した。いいかい?」
思わず指を立てようとして、まったく身体が動かなかった。まるで首から下がなくなっているかのようだった。
それならば仕方ないと、私は子供に言い聞かせるように言った。
「どれだけ姿を象ろうとも、騙せない人もいるということだ」
「な、なんで? 貴方の記憶から読み取った姿も、仕草だって真似たでしょう?」
「そうだ。私が二度と手に入れられないものだ。だったら、わかるだろう?」
「いや、わかるでしょうって……」
少女は困惑したように目を白黒とさせている。何故だか得体の知れないものを見るような目で見られているが、ふと合点がいった。
「君は、大精霊か?」
「……だったら、何よ?」
「何故、こんな真似を?」
大精霊。それはこの世に存在しながらも実体を持たない力を持つ存在だ。
この少女がそうだとするなら、この摩訶不思議な状況も彼女の力によるものだと理解することが出来る。
「……お前の魂を喰らってやろうと思ったのよ。夢で蕩かして、幸せのまま眠る人から魔力を啜るのよ。久しぶりの迷い人だから、念入りに夢を見せたのに……!」
「ふむ、随分と歪んだ大精霊もいたものだ。……君、友がいないだろう?」
「はぁっ!? なんなのよ、アンタ! 友がいないからって何か悪いの!?」
「ふむ、では私が友になってやろう。なので魂を啜るのはやめてくれないだろうか?」
少女が困惑を深めたように眉を寄せた。そして訝しげな顔で私を覗き込む。
「……何なの、お前」
「私か? では、改めて名乗ろう。私は――」
「――知ってるわよ、〝元王様〟。……いいえ? 正確には〝国王代理〟でしょ、ソナタ・パレッティア王」
呆れたように少女は私の名を呼んだ。そう、それが私の名前だ。
ただのソナタから、彼女に託された責務を背負って名乗っていた王としての名だ。
「もう王は止めたのだよ。今は、ただのソナタだ」
「あぁ、そう。どっちでもいいわ……はぁ、なんでこんなの呑み込んじゃったのかしら」
「私が言うのも何だが、腹を下すぞ?」
「何なの、本当に何なのお前!?」
苛立ったように少女が叫ぶ。髪を振り乱しながら怒りを露わにしている。
何だと言われても、なぁ。
「私は、私だが?」
「意味わかんない……はぁ……最悪……」
「それで、私を解放してくれないか? 旅の途中なんだ」
「……お前、気付いてないの?」
呆れたように少女は溜息を吐いて、一つの事実を告げた。
「――お前は、もう死んでるのよ」
その言葉に、あぁ、と吐息を吐くようにして納得した。実際には、もう息をしていないのだろうが。
身体の感覚がないのも当然だ。もう、身体というものが私にはないのだろう。ただ、魂だけがここに残ってしまっている。
「……そうか、私は死んだか」
「そうよ」
「ふむ、興味深い。では、私は何故君と会話が出来ているんだ?」
「そこよ、そこ! 意味がわかんないんだけど! なんで肉体がないのにそんな正気でいられるの!? 私と同じような存在でもない癖に!」
「何故、と言われてもなぁ……。しかし、死ぬだろうとは思っていたが、なるほど……これが臨死体験という奴か……興味深い」
「意味わかんない……本当、何なのよぉ、こいつ……」
今にも泣きそうな声を上げながら、少女が呻いている。流石に良心も痛むものだ。
「……謝罪した方が良いか?」
「いらないわよ! 謝りたいと本当に思ってるの!? 思ってるなら魔力を吸わせなさいよ!」
「それは嫌だが」
「訳わかんない、訳わかんない! なんでそんなに殻が分厚いのよ……! 折角珍しい魂だと思ってワクワクしてたのに!」
「痛い痛い。……ふむ、魂だけになっても痛覚というものはあるのか?」
「知らないわよ!!」
憤慨したように少女が叫ぶ。しかし、それに対して私は声を届けることしか出来ない。
「まぁ、そう怒るでない」
「誰のせいだーっ!」
「私のせいだな?」
「そうよ! わかってるなら潔く私に啜られて消えちゃいなさいよ!」
「うーむ……それは勿体ないので勘弁して欲しいな」
「あーーーーーっ! もーーーーーーっ!」
髪をめちゃくちゃに掻き乱しながら少女が身体を震わせている。そして苛立ちを込めた視線で私を見据え、指を指しながら言った。
「ふんっ! どうせ魂だけになってるんだから、その内消えてなくなるわ! お前の意識が薄れた時が最後よ! お前は私の糧になるの! ありがたく死になさい!」
「そうか。それは……寂しくないな」
死ぬ時は一人だと思っていたが、どのような形であれ一人で死ぬことがないというのは……まぁ、このように騒がしい少女であれば悪くないのかもしれない。
そう思っての言葉だったが、ふと、少女がぷるぷると震えているのが見えた。
「さっさと……弱って死んじゃえーーっ! クソジジィーーーーーッ!!」
「いや、もう死んでるが?」
「うるさーーーーーーいっ!!」
ふっ、と。その叫びを最後に少女の姿が消えた。
すると、世界は一切の闇に包まれた。音も聞こえず、何も感じられない。
温かいとも、冷たいともわからない。世界も、自分すらも失われていく。
(……あぁ、成る程。これが……死か)
死んだ。その実感を確かめるように受け入れる。これではもう、どこに行くことも叶わない。空を見上げることも出来ないだろう。
ただ、残った思い出を振り返るぐらいしか出来そうになさそうだ。
「やはり、物語のように上手くはいかないな……リュミ……」




