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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

蕩け溺れ溶け堕ちていく、その前に

作者: 鴉ぴえろ

 ――悲しみを売りませんか? 辛い記憶、思い出したくない記憶がご不要の場合はどうぞ当店にご来店ください。場所は……――



 * * *



「――……ここでしょうか?」


 華々しく人の活気が溢れた表町から外れた、裏路地の一角。

 その少女は、どこからどう見てもお忍び最中のお嬢様といった出で立ち。

 被ったフードから零れて見える金色の髪は絹糸のように艶やか。

 不安げに揺れる青色の瞳で、肌は穢れを知らぬと言わんばかりに白い。

 肌とは対照的な健康的な唇が意を決したように結ばれ、少女は怪しげな佇まいの店に足を踏み入れた。

 古びたドアが軋んだ音を立てて開いていく。ちりりん、と涼やかな音の筈なのに不気味な鈴の音。

 中からは嗅ぎ慣れないお香が焚かれているようで、一瞬眉を顰めてしまう。


「――あらま、こんなお店に似付かわしくないお嬢様だ。ドアを閉めておくれ、香が外に漏れちゃうからねェ」


 口調こそ年老いた老婆のようでありながら、その声は若々しい少女の声であった。

 店のカウンター、そこに肘をかけるようにして座っているのはローブを深く被って顔半分が見えづらい小柄な影。

 雰囲気は妖しげで、見た目とちぐはぐな言動と様子がお忍びの少女に唾を飲ませた。


「おいおい、聞こえてるのかい? 扉を閉めておくれ。冷やかしなら帰りなァ?」

「……ッ、私は、客です」


 ドアが軋む音を立てて閉じる。店内は薄暗いのか、ドアが閉まれば不気味な雰囲気は増していく。

 嗅ぎ慣れないお香の匂いは、なんだかとても甘ったるくて胸焼けしてしまいそうだった。


「ひひひ……それでェ? 御用は何かね? お嬢さん」

「……噂話で聞いたの。王都の城下町、その三番目の通りの裏路地に魔女が営む店があると」

「ほほゥ? それでェ、その魔女とやらの店は何を売るんだィ?」

「売るのは、お客よ。正確には買い取って欲しいの。――私の、感情を」


 少女は、顔を隠すように被っていたフードを外す。少女の美貌が惜しげなく晒される。


「私の名前はクラリッサ・オルファーレ。オルファーレ公爵家の娘よ」

「おんやァ……? そりゃ王子様の婚約者様のお名前じゃないかねェ? そりゃ私でも知ってる名前だ。なにせ有名なお話だからねェ?」

「……えぇ、そうでしょうね」


 なにせ、王子の婚約者だったのはこの前までのことであり、今の少女――クラリッサの立場は〝元〟婚約者だ。


「あぁ、今誰もが話題にする恋物語だ。身分の低い可憐な少女に惹かれた王子様が、その少女に悪行を働いた婚約者の罪を糾弾して結ばれることとなった美談だねェ」

「……ッ」


 魔女と思わしき小柄な少女から発せられた言葉にクラリッサは唇を強く噛んだ。それは屈辱に震え、癇癪を爆発させる寸前の子供にも似ていた。

 そう、魔女が語る話は真実である。クラリッサ・オルファーレは確かに婚約破棄を告げられ、身分の劣る女に婚約者を奪われることとなった。

 しかし、その婚約破棄の正当なる理由として挙げられた不正への関与、王子が見初めた令嬢に対する様々な嫌がらせなど、それを理由に婚約者はクラリッサへ婚約破棄を宣告した。

 民の間でも噂が広まるほどの珍事。これこそがクラリッサが魔女の店を訪れた理由である。


「魔女。貴方は人の感情を売買していると聞いたわ。それは本当かしら?」

「あぁ、売り買いしてるとも。私の店が取り扱うのは、記憶や感情、そういったものだねェ?」


 ひひひひっ、と奇妙な笑いを上げる小柄な少女にクラリッサは眉を顰めながらも、余裕のなさを無理矢理抑え込むような表情に切り替える。


「……私は売りに来たの。私の感情を」

「どんな感情だい?」

「……あの人への恋心を。もう、婚約破棄をされてしまった以上、どんなに悔しくても、どんなに嘆いても、あの人は戻ってこない。だったらいつまでも恋い焦がれているのは……苦しいの」


 婚約破棄を告げられても、クラリッサは公爵令嬢である。傷はついたとしても、その存在自体に価値がある。貴族というのはそういうものだ。

 だからいずれ、恋い焦がれた人ではなく、別の男へと嫁がなければならなくなる。それが貴族というものだと、クラリッサの父は叱責した。

 クラリッサがそれにどう思おうが関係ないのだ。だから、クラリッサは折り合いをつけようとして、けれどダメだった。

 悔しさが、怒りが、悲しみが、恋心の残骸が。あらゆる感情がクラリッサの心をズタズタに引き裂き、生きる気力を奪っていく。

 いっその事、死んでしまえば良かったのかもしれない。それでも自分で死を選べる程、クラリッサは強かではなかった。


 ――そんな時だった。この魔女の店の噂を聞きつけたのは。そしてクラリッサは藁にも縋る思いで魔女の店へと辿り着いた。


「ふぅん? なるほどねェ」


 魔女はニヤニヤと笑っているようだった。嘲笑われているようで気分が良くなかったが、クラリッサはもう限界だったのだ。最後の希望とも言える魔女の機嫌を損ねることは避けたかった。

 黙り込んでしまったクラリッサを魔女は暫し眺める。そうして、彼女もクラリッサに倣うようにローブを脱いだ。

 クラリッサは思わず息を呑んでしまう。そこにあった顔は、驚くほどの美少女だったからだ。

 年の頃は自分よりも幼げで、とても少女が浮かべるようなものではない勝ち気と陰気が入り交じったような表情。

 夜空に浸したような黒髪に血のように真っ赤な色の瞳。肌はクラリッサとは対照的な褐色だ。

 あえて印象を当て嵌めるなら、老齢の黒猫と言うべき雰囲気を纏う少女が魔女の正体だった。


「驚いたかィ?」

「……え、えぇ。随分と若く見えるのね……」

「コツと秘訣があるのさァ。魔女には、魔女の技がね。で、悲しみの感情を買い取れば良いんだったか?」

「い、いいの!?」

「いいも何も、この店に来たら貴族だろうと平民だろうと客さァ。なにせ、私は買い取るだけなんだからねェ」


 けけけけ、と魔女の少女が笑う。そして不気味な赤い瞳でねっとりと舐るようにクラリッサを見つめる。


「ただ……ちょいと処置の仕方が独特でねェ? 他言無用になるが良いかィ? 魔女の技が公に広まると恐ろしい事になるからねェ」

「……わかったわ」


 もう、自分には後がないのだから、とクラリッサは息を整えながら頷いた。

 クラリッサが頷いたのを見た後、魔女の少女は口が裂けんばかりの笑みを浮かべた後、椅子をクラリッサの傍へと持ってくる。


「まずはこの椅子に座りなァ」

「……座ればいいのね?」

「あぁ、気を楽にしてねェ」


 魔女に勧められるままにクラリッサは椅子に座った。魔女はクラリッサの後ろへと立ち、クラリッサの肩に手を乗せた。


「まずはリラックスだよォ。そんな肩に力が入ってたら固くなっちまうからねェ……そうだ、クラリッサ。アンタは私に自己紹介するんだよ」

「自己紹介……?」

「あぁ。アンタがどんな人間なのか、素直に取り繕うことなくねェ。大丈夫、誰にも話したりなんかしやしないからさァ……」


 魔女がクラリッサの肩を揉みながら言う。それが絶妙な力加減でクラリッサに心地よさすら感じさせる。

 甘ったるいと感じていたお香の匂いは、慣れてくれば気持ちを非常に落ち着かせてくれた。そして、乞われたのであればとクラリッサは自己紹介を始める。


「私は、さっきも名乗ったけれどもクラリッサ・オルファーレ、オルファーレ公爵家の娘よ」

「兄や弟、姉や妹はいるのかィ?」

「妹と、年の離れた弟がいるわ」

「仲は良いのかィ?」

「……どうかしら。あまり、好かれてないかも」

「それはどうしてだい?」

「……私が、王子の婚約者だったから」


 王子の婚約者ということは、将来は王妃なる可能性があることを示している。だから妹や弟であっても、クラリッサに対する態度は家族のものとは少し違った。

 王子の婚約者としての立ち振る舞いを求められ、求められた地位に見合う努力をしてきたと思うこと。

 それでも婚約者には一度も熱を帯びた視線を向けられたことがなかったこと。冷徹な人だと思っていた婚約者が、たった一度の出会いで変わってしまったこと。

 地位を、期待を、今までの努力を裏切らないために頑張ってきた。それが、たったそれだけの事で否定されるようになった。

 ただ愛らしいだけの女と比べられ、蔑まれる屈辱。恋い焦がれても振り向いてはくれない婚約者。磨り減って、磨り減って……ついに涙まで出なくなった。

 それでも悲しみは消えず、ストレスのせいか味覚も不鮮明になってしまった。身体の異常は感じていても、自分ではどうにも出来ない。

 だから、縋るように魔女の店へとやってきた。自分でも不思議になるほど、クラリッサは夢心地で自分のことを語り続けた。


「そうかィ……そいつは大変だったねェ……クラリッサ」


 魔女の声が耳元で囁かれる。少しくすぐったいけれど、何故か心地良い声だった。

 ぽんぽん、と後ろから頭を撫でられる。クラリッサにはこうして頭を撫でられたことなんて、記憶になかった。

 ただ王子の婚約者として生きて来た。例え、それ以外の全てを捨てでも。それぐらいの覚悟がなければ務まらないと。

 そして――全てを失って、ここにいる。


「――頑張ったねェ」


 クラリッサは、その一言を求めていたのだと自覚した。ぽろぽろと涙を零しながら、何度もクラリッサは頷く。


「本当に悲しいお話だァ……それじゃあ、抱えるのも苦しいだろうねェ」


 耳の輪郭をなぞるように、魔女の指がクラリッサの耳に触れる。

 背筋にぞくりとしたものが駆け巡るも、それすらも心地良くなってしまいそうだとクラリッサは思ってしまう。


「それじゃあ、頂いてしまおうかねェ。力を入れるんじゃないよォ……? ひっかいちゃうかもしれないからねェ」

「ひっかく……? 何を?」

「――頭ン中さァ」



 ――ずるり、と。細長い何かが耳の穴に入り込んできた。

 僅かに湿っていて、生暖かい。そんな細く肉感が生々しい何かが両耳から入り込んでくる感覚にクラリッサは身震いした。


「ひ、ィィィッ?!」

「大丈夫だよォ……少しくすぐったいだけさァ」


 未知なるおぞましい感触にクラリッサが震えていると、魔女の不気味な囁くような笑い声が耳元で聞こえてくる。

 今、自分が何をされているのかが一切わからない。かちかちと、クラリッサの歯の根が音を鳴らした。


「頭ン中ってのはァ、凄く繊細に出来ててねェ」

「おっ、ぁっ……!」


 ずるり。耳の中で蠢く感触にクラリッサの身体が一際跳ねた。

 普通に生活していれば絶対に味わうようなことのない感触に自然と身体が震えてしまっていた。現実感のない体験がクラリッサの精神の足元を崩していく。


「魔女と言えども、そう簡単に弄くり回せるもんじゃないのさァ」

「ひ、ぃ、あぁっ、や、め、かき、まぜ……」

「おやおや、動くと余計に酷くなるよォ?」

「ぁ、ぁっ。あぁっ。にゃ、に、した、まわ、ら、ひゃ……」


 舌が回らなくなり、突き出されたまま固定されてしまいそうになる。手足の感覚も痺れ、やがて痺れすらも感じなくなる。けれど、小刻みに痙攣していることだけはわかる。

 頭の中で何かが這い回っているような感覚に白目を剥いてしまいそうになる。不気味で、恐ろしくて、おぞましい。――なのに、不快感はないことが一番の恐怖を煽っていた。

 頭の中で蠢く度に背骨が震わされるような感触が走り抜け、小刻みに震える身体が何度か打ち上げられたような魚のように跳ね回る。


「ぁ、ぁぁ、ぁ、ぁっ、ぁっ……?」


 不気味で、おぞましくて、おかしくて、絶対に変なのに、嫌じゃない。

 ぐるぐる、思考が回る。けれど何か考えようとするとぼやけていくように意識が溶けていく。

 ぐーる、ぐる、ぐーる、ぐる。

 頭の中、ぐーる、ぐーる、ぐるぐる、ぐるぐる、パー。

 くちゅくちゅで、ぐちゅぐちゅの、くちゅり。

 くちゅくちゅされて、ぐーる、くちゅ、ぐちゅ、繰り返し、繰り返し、何度も、何度も。

 ぞーり、ぞーり、かきかき、ぞーり、かき、かき、くちゅ、ぐちゅ、もう一回どうぞ!


「ァ……ヒゃ……」

「おっとォ、元に戻していくよォ……身体に力入れると余韻が残って酷いことになるから楽にねェ」

「ひぃ、ひぃっぃぃぃっぃぃっぃっっぁ、ァッ、あ? おっ、ぁ……はぁ……はぁ……?」


 耳の中から這い回るようにして何かが出て行った。耳の穴が解放されると、途端に意識が鮮明になった。

 力が入っていたのか、その瞬間に身体が大きく震えた。腹の底から込み上げて来る不快感に嘔吐しそうになり、クラリッサは口元を抑える。


「あー、こうなったか。仕方ない、仕方ない。ほら、吐いちゃいな。無理はよくないねェ」


 魔女に深掘りの皿のような器を差し出されて、背中を撫でられるままにクラリッサは吐き出した。

 込み上げて来たものを吐き出した後に、ぶるりと身体を震わせる。少しだけ口の中が胃液の味がするけれども、気分だけはすっきりしていた。


「ほらァ、口をゆすぎなァ」

「……あ、ありがとう」


 いつの間に取り出したのか、水の入ったカップを受け取ってクラリッサは口の中を清めた。


「どうだィ? 気分は」

「……えぇ、なんというか、スッキリしたわ」

「あいよォ。確かに買い取らせて頂きましたよォ」


 ニヤニヤと、やっぱり少女の顔には似付かわしくない表情を浮かべる魔女。

 クラリッサは思考を巡らせてみても、さっぱり悲しい気持ちにはならなかった。まるで色を失ったように記憶が風化してしまっている。〝そんなこともあったな〟と思う程度だ。


「……凄いわね」

「ふふン。これで食ってる魔女だからねェ」

「……ところで、私に何をしたの?」

「それは魔女の秘密さねェ。で? 売るもんは売ったんだろゥ? 帰らないのかィ?」


 仕事は終わった、と言うようにクラリッサを立たせようと手を伸ばした魔女に、クラリッサは咄嗟に魔女の手を掴み返してしまう。


「……ぁ、ぁの」

「んン?」

「……貴方の名前は?」

「私? そうだねぇ……クエルって呼ばれてたっけねェ?」

「クエルね。……その、また来ても良いかしら?」

「あァン? またこの魔女の店に来たいってェ? そりゃ物好きなお嬢さんだ」


 どうして自分がこんな事を聞いてしまうのかわからなかったが、クラリッサは自分の直感に従ってしまった。

 こんな感情的になったことなんて、婚約者を取られそうになった時ぐらいしかない。それまで王子の婚約者として恥ずかしくない振る舞いを心がけていたから。

 けれど、魔女になら――クエルになら、そんな必要はない。そう思えば、これを最後にしてしまうのは酷く心惜しく思ってしまった。


「……だ、だって、また感情を売りたくなるかもしれないじゃない?」

「……ふぅン?」


 訝しげな表情を浮かべていたクエルは、その表情を妖しげな微笑へと変える。

 椅子に座ったままのクラリッサに手を伸ばし、顎を持ち上げる。そのまま、クラリッサはクエルとの距離が零になったのを茫然と受け入れるしかなかった。



「魔女の若さは、若い娘の生気で出来てるんだよねェ? それでも?」



 試すように笑ったクエルに、クラリッサは喉をこくりと鳴らしながら――小さく、頷いた。



 * * *



 それからというもの、クラリッサはクエルに多くの物を売りつけていきました。


「この前の久しぶりに社交会に出たのだけど、皆、私を蔑むのよ! とても頭に来たけれど、無駄に疲れるから怒りを買い取って!」


「ねぇ、クエル。貴方なら不満も買い取ってくれるのかしら? お父様が次の婚約者を選べって言うのだけど、どの人も年配なのよねぇ。後妻しかないみたいなの」


「クエル! この前買い取ってもらった不快感、大丈夫だったわ! でも、やっぱり後妻って嫌よ。どうしたらいいのかしら?」


「クエル、私って間違ってる? せめて同年代の、身分が低くても一緒に寄り添える人がいいって言う私、そんなにおかしい?」


「クエル! 私、家族が嫌いになりそう。ねぇ、この感情も要らないから買い取って欲しいの。え? 好きになることもなくなるけどいいかって? もういいわ! どうせ私のこと、政略の駒ぐらいにしか思ってないのよ!」


 売っては、売って。削っては、削り。

 感情を売りました。多くの感情を。

 常識を売りました。感情を軋ませるから。

 たくさん売って、たくさん削って、たくさん無くなって。


「ねぇ、クエル。クエルだけは私のこと、見捨てないよね?」

「魔女は薄情だよォ」


「……どうしたらずっと一緒にいてくれる?」

「魔女は怖い生き物なのに、よくそんなこと聞くねェ」

「だって、怖いって感情も売り払っちゃったもの。ねぇ、ねぇ、クエル。私を捨てないでよ。クエルが私を捨てるなら、私、クエルを殺したくなっちゃう……」


「ねぇ、クエル」

「なにさねェ」

「私も、クエルと同じ魔女になりたい」

「家はどうするんだい? 貴族の娘が魔女になるだなんて前代未聞だよォ?」

「だって、貴族を大事に思う気持ちも、全部、全部、売っちゃったでしょ?」


「酷い、酷いわ。クエル。こんなにも私、貴方と一緒になりたいのに」

「そりゃぁ、私がクラリッサの感情をいっぱい、いっぱい買い取ってあげたからねぇ」

「ねぇ、何を売れば、貴方を買えるかしら?」



「――本当に、私が欲しいのかィ? クラリッサ」

「えぇ、その為なら――何を売っても構わないわ」



 * * *



「――ッ、何が婚約破棄ブームだ! 馬鹿らしい!」


 その日、かつてクラリッサの婚約者であった王子、いいや、若き国王となった男は苛立ちに任せて執務机に拳を叩き付けた。

 彼は愛すべき運命の少女と出会い、幸福の絶頂にいた。しかし、ここ最近の彼の人生には不穏なものが立ちこめていた。それは次々と彼を襲った悲劇が原因である。


 まず王子の両親、つまり先代の国王夫妻が突然亡くなったこと。元より王子の頃から病状が優れないと思っていた国王が突然気力を失ったようにこの世を去ってしまった。

 そして、その後を追うように王妃も気力が尽きたように亡くなり、新たな婚約者を王妃に迎える為に後ろ盾を探していた王子は一気に窮地へと立たされた。


 それでも国王は必要だ。突然の死に誰もが混乱する中、国王へと即位した彼を襲ったのは醜い権力闘争だった。

 身分が低く、後ろ盾もなかった愛すべき少女では王妃たり得ないと反対する者。愛する少女が王妃になることを支援するので自分の娘を側室として迎えるように取引を持ちかける者、またあるいは自分が要職に就こうとする者が後を絶たなかった。


 この不幸によって、彼が愛する少女はいたく傷ついてしまった。その距離も次第に遠くなってしまった。王子であった頃は許された振る舞いも、国王ともなれば許されないと咎められることも増えた。

 彼女を王妃として迎える為には、自分が強くなるしかないと彼は奮起した。権力を掌握する為、政務に打ち込み、若き王と侮る貴族達の掌握に努めた。


 次第に手紙でのやり取りも減り、心が離れてしまう恐怖に怯えながらも国王として奮闘した彼の働きは見事と言っても差し支えがなかっただろう。

 自分の派閥の勢力を強固する為の家同士の縁を結ばせ、結束を高めて反感を持つ貴族の頭を押さえる。それは順調に進んでいる、その筈だった。


 そして、最後の悲劇が彼を襲う。――国王を支える派閥の貴族、その令息や令嬢たちが婚約破棄を連鎖的に始めたのだ。

 時には夜会で、時には貴族が通う学校で、時には逢瀬の最中で。それは時と場所を選ばず、多くの者たちが熱に浮かれたようにして婚約破棄を高らかに叫んだ。


 勢力として結束しなければならないという時に婚約破棄は連鎖的に続き、ほぼ全ての婚約が破棄、或いは破棄を巡る騒動で荒れ果てることになった。そんな惨状に若き国王はこれが現実なのかと正気を失いかけてしまった。

 しかも婚約破棄を告げた令息や令嬢たちは、皆満足げに国王を讃え始めるのだ。



 ――真実の愛はここにあり! 国王陛下、万歳! と。



「……報いだとでも、言うのかぁッ!!」


 国王は拳を執務机に叩き付けながら叫ぶ。その目は血走り、歯は今にも砕けそうなほどに力が込められている。

 最早、国王派の貴族の連携などという言葉は存在しない。家同士で対立し合う者もいれば、どうしてこのような事になったのか嘆く者もいる。そして国王を見限り、距離を取った家もある。派閥として致命的に崩壊してしまっているのだ。

 こうなってしまえば国王と言えども飾りの王でしかない。彼は王でありながらも傀儡であり、道化でしかなかった。日々、国が荒れていく様を報告され、荒れることしか出来ない。


「どうして、どうしてこうなったのだ……? 私が婚約破棄をしたからか? しかし、クラリッサは、あの女は! 浅ましい手で彼女を……!」

「――貶めようとした、ですかィ?」


 突如、聞こえてきた声に国王は驚きながらも剣を抜いて振り向いた。

 そこには褐色の少女が立っていた。しかし、少女と言うには纏う気配が不気味が過ぎる。強かな老練の貴族を思わせる佇まいのちぐはぐさに国王は眉を顰める。


「何者だ、貴様!」

「私はしがない雇われ魔女ですよ。本日は、国王陛下にお届けものがございましてねェ」

「届けもの……だと? 己、不気味な小娘め! 誰か、誰かいないのか!」

「呼んでも誰も来ませんよォ? 今の国王様は、裸の王様のようなものなんですからねぇ」

「貴様ッ! むぐぉっ!?」


 侮辱されたことに激昂しかけた国王は、剣で少女を斬り払おうとする。しかし、それよりも早く少女が動き、口へと何かを叩き込んだ。

 突然の衝撃に口の中に入れてもらったものを呑み込んでしまい、国王は喉を抑えて咳き込んだ。吐き出そうとするも、すでに溶けてしまったかのように存在しない。


「一体、何を――ッ!?」


 飲ませた、と続く筈の言葉は続かなかった。国王の脳裏に直接刷り込むような情報が叩き込まれたからだ。

 それは、ある一人の貴族令嬢の恋物語だった。とある〝王子〟の婚約者として選ばれ、その身分に恥じないように努力を続けた少女の軌跡。

 熱を帯びた視線を向けるのが自分だけだとしても、この人に仕え、国を率いる者として強くあらなければならないと鼓舞した。

 振り向かないその視線に焦がれながらも待ち続け、進み続けて、――あっさりと、その恋が奪われてしまう絶望。

 それが濁流のように国王へと襲いかかる。そして、最後に、その脳裏に浮かんだ映像は決定的な場面を映す。



『クラリッサ・オルファーノ公爵令嬢! ここに宣言する、貴様との婚約を破棄すると!』



「やぁめぇろぉぉおおおおおおっ!!」


 頭を掻きむしりながら国王は叫んだ。それはあまりにも生々しく、しかし自分の感情ではない感情に無理矢理体感させられるような苦痛。拒絶反応のように指先が震え、足が崩れ落ちる。

 無様に跪いた国王を、魔女は口元に軽薄な笑みを浮かべて見下ろしている。


「はぁ……っ、はぁ……っ! なにを、何をした……なんなのだこれは!」

「これは、とある令嬢の『悲劇の恋』に纏わる感情、そのものですよ。それをお届けに参りました」

「……なん、だと?」

「――お楽しみ頂けましたか? 殿下。いえ、国王陛下」


 茫然とする国王に、鈴のように軽やかな声が聞こえてきた。靴音を鳴らせ、部屋に入って来たのは喪服のように真っ黒でありながら、艶やかで扇情的なドレスに身を包んだクラリッサだった。


「……クラリッサ……なのか……?」


 信じられない、と言うように国王は呟く。だって、何故ならば――〝まったく老けていない〟からだ。

 若々しい、あの日から時を止めてしまったように。しかし、クラリッサが浮かべている表情は国王がまったく知らない表情だった。思わず、後ずさりをしてしまいそうな程の蠱惑的で残忍な笑顔。


「お前は……お前は! 心を壊して別邸で監禁されていたと、公爵は私を謀ったのか!?」

「あぁ、お父様にはそのように〝お願い〟しました。あまりにもしつこいので、ちょっとばかし躾けたら、ちゃんと私の言うことを聞くようになったんですよ? ふふ、ちょっと可愛かったです」

「何を……何を言っているんだ……?」


 何かがおかしい、しかし、何がおかしいのかわからない。先程の衝撃な体験が国王から冷静さを奪っていた。

 後退る国王を追い詰める蛇のように、ゆらりとクラリッサが足を一歩前に踏み出す。


「ところで、私の初恋のお味はいかがでしたか? 国王陛下」

「な、に……?」

「取り出した記憶や感情は他者に植え付けることができるんですよ! 魔女の技とは凄いでしょう! 本当に素敵だわ、クエル!」

「ひひひ、そりゃどうもォ」


 はしゃぐ少女のように目をキラキラとさせながらクラリッサが微笑む。それにクエルが肩を竦めながら奇妙な笑い声を零す。


「記憶や、感情を、取り出す……? そんな、馬鹿な……!」

「でも、先程私の初恋を追体験したでしょう?」

「幻惑の魔法か、それとも薬か! 国王にこのような事をして、タダで済むと思っているのか!?」


 怒りに気が狂いそうになりながらも、国王は叫ぶ。そんな国王の怒りなどまるで気にした様子もなく、クラリッサは首を傾げてみせた。


「いえ、いえ? でも、そうですねぇ。酷いことになるのは貴方の方ではございませんか? 国王陛下」

「何!?」

「ご自身の派閥は、見事にズタボロになってしまいましたものねぇ? ふふ、面白かったですわよ。あの見事な婚約破棄の数々!」


 まさか、と言う予感が国王に過った。身体が小刻みに震え始め、クラリッサから視線を逸らせなくなる。

 そんな予感を実現させるかのように、不吉に見える笑みを浮かべながらクラリッサが告げた。


「貴様が……貴様が仕掛けたのか!」

「その通りでございますわ! 真実の愛を貫く若人たちの頑張りにどうか拍手を送って頂けませんか? 貴方に続く勇敢な子たちに!」

「――巫山戯るなァッ!」


 高らかに告げた後、拍手をしだしたクラリッサに掴みかかろうと起き上がった国王。

 しかし国王がクラリッサに手が届く前にクエルが腕を振るう。その腕から伸びた〝触手〟が強かに国王の顎を打ち抜いた。


「おぉっと、失礼。この子は既に〝売約済み〟でね。傷の一つもつけさせたくないんだよォ」

「き、きさ、ま……!」


 顎を打ち抜かれ、脳が揺らされた国王は無様に転がりながら血走った目でクラリッサとクエルの二人を睨み付ける。


「そんなに睨まないでください。私だって仕方なくやったんですよ? だって……――〝国を滅ぼすぐらいやらないと魔女として認めない〟って言われたら、滅ぼすしかないでしょう?」

「……は……?」

「常識も、倫理観も、罪悪感も、みーんな魔女になる為に捨てちゃいました! 以前の私はさぞつまらない女かとは思いますが、今ならどうでしょう? 素敵に見えますか?」


 花が開くかのような笑顔を浮かべるクラリッサに、国王の血の気が引いていく。

 この女は、既にイカれていると。狂い果てて、言葉の通じない化物に成り果てていると。


「この国はもうおしまいです。貴族達は総崩れ、国王も権威が真っ逆さま。標をなくした民たちの不安も不満も爆発寸前。それは全て国王や貴族の怠慢と考えたら、さて国民は何をするでしょうか? 陛下?」

「……そ、そこまで、そこまで狂い果てたというのか!」

「えぇ、私は魔女ですから? もう貴族なんて止めてやりましたわ!」


 ケタケタ、ケタケタ。御伽話の魔女らしく笑うクラリッサに国王は絶望を感じるしかなかった。ただ恐ろしく、悍ましい。

 先程、彼女の初恋だと言われて体感した感情を抱いた女だとは思えない。最初から狂っていたのに違いないと、国王は自らの心を守る為に思い込もうとした。


「国王陛下には心よりの感謝を。貴方に捨てられたお陰で、私はこのように幸せです!」

「ぁ……あぁぁ、あぁぁああああっ!!」

「あぁ、まだ発狂しないでください。私の話は終わってないのですよ?」

「やめろ、来るな! 私が、私が悪かった! もう許してくれ……! 近づくな……!」


 恐怖に怯え、震えながら国王はクラリッサを遠ざけようとする。その無様な姿に何ら感情を見せることなく、クラリッサは溜息を吐いた。


「では、本題を済ませましょう。貴方にお届けものがあるのです」

「と、届けもの……? まだ、何があると言うのだ!」

「セレイネさんからの預かり物です」


 セレイネ。それは国王が王子の時に出会い、クラリッサを押しのけて愛した少女の名だった。

 今は手紙のやり取りしか出来ていないが、いつか必ず迎えに行くと、そう約束した最愛の人。


「貴様……セレイネにまで手をかけたのか!」

「手をかけるなど! 私は直接誰も殺してませんよ?」

「詭弁を言うな、化物!」

「セレイネさんも同じことを言いましたよ。本当に似たもの同士なんですね、惹かれ合ったのも無理ありません」


 うんうん、と何度かクラリッサは頷いた後、懐から何かを取り出した。それは、淡い光を放つガラス玉のような何かだった。


「これは、先程陛下が体感した私の記憶や感情と同じものです」

「…………何を」

「セレイネさんからの預かりものと言ったでしょう? 是非とも貴方に届けなければと思って持って来たんです」

「セレイネに何をした!!」

「何も? ただ、この国の状況を説明して、多分クーデターが起きるので、そうなったら陛下は死んでしまうかもしれません。でも、逆に言えば今なら誰が咎めることもなく、陛下との真実の愛を貫けますよ? とご提案しただけです」


 ただ淡々と、今日の天気の話をするぐらいの気軽さでクラリッサが告げた言葉。だが、国王にはまったく理解が出来ない。いいや、理解を拒もうとした。

 けれどクラリッサの声は耳に滑り込み、脳髄を直接犯すように国王に現実を認識させていく。


「そしたら命だけは助けて欲しい、なんでもするからと言われまして。別にして欲しいことがなかったので、逆にどうしたいですか? と聞いたら、この国から逃げたいということで、亡命して頂きました」

「――――」

「その時、真実の愛を抱えたままでは辛いですよね。その感情や記憶、お預かりしますか? と聞いたんですよ。そしたら、すぐに了承したのでこちらをお預かりしました」

「……では、それは、セレイネの――」

「――貴方への〝真実の愛〟です」


 何かが、罅が入ったような音が国王には聞こえた気がした。

 もう、何が聞こえても理解しようとも思えない。ただ、ただ縋るように手を伸ばす。

 クラリッサの手の中にあるガラス玉らしきものに触れる――その間際で、クラリッサがその球を握りつぶした。



「――でも真実の愛なんて嘘だったので、貴方には要りませんよね? だって、貴方は真実の愛を求めていたんですから。これは嘘っぱちの愛だったんです、ないないしましょうね?」



 その魔女の囁きを最後に――国王は、発狂した。




 * * *




 ――燃ゆる、燃ゆる。燃ゆるのは、国王が住まいし城。それが無残にも火に包まれていく。

 城の周囲には熱狂に声を上げる者たちがいる。誰もが燃えさかる城に向けて拳を突き上げている。


 ――報いを、報いを、報いを、愚かな王権に報いあらんことを!

 そんな熱狂の渦を、小高い丘の上から見つめている魔女が二人。


「これで私も魔女ですね!」

「あァ。見事な〝傾国の魔女〟だよォ。ここまで壊れられるなら、素質はあったんだろうねェ」

「じゃあ、これでずっとクエルと一緒にいられますよね!」


 クエルを抱き締めながら、縋るように目を潤ませてクラリッサが問う。

 そんなクラリッサの頭を撫でながら、神妙な顔を浮かべたクエルが呟く。


「――人としての軛を自らで砕ける者ならば、同胞として歓迎しようじゃないかァ、クラリッサ」


 魔女は人にあらず。人より魔女は生まれども、魔女は人であってはならない。

 魔女たるならば、人である事を捨てなければならない。魔女の力は破滅を容易く招くのだから。それは周囲にだけに留まらず、自分自身でさえも

 故に〝人の心〟ある者に魔女は務まらない。人捨てられぬ魔女は、やがて全てを滅ぼすしかないのだから。


「やった! クエル、クエル! 大好きです! 私を(あい)してくれてありがとうございます! これからも、ずっと、ずっと一緒ですよ!」

「あぁ、狂う程に愛してあげようじゃないかァ。お互い、堕ちる所まで堕ちるしかないんだからねェ」


 人を捨てられぬ魔女は、破滅する。――あぁ、それでも魔女は人より生まれるのだ。

 人であるから、愛さずにはいられない。例え、その愛によって滅びたのだとしても。この感情は理屈ではないのだ。

 それは魔女とて変わらない。捨てて、捨てて、何度も捨てて、壊れても、それでも残る愛があるならば――。



 ――この愛が世界を焼き尽くすその日まで、蕩け溺れる夢に沈もう。





 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 一途な愛で万難を排して運命の人と一緒に幸せになるから圧倒的ハッピーエンド!
[良い点] すごく面白くて、スッキリしました!
[良い点] 退廃的で背徳的で、悍ましいこと。 ヒロインの魔女化する時に、善悪ではなく売り払ってしまったはずの感情で行動している事。 国王(殿下)がそこそこ善良で、でも自己中なこと。 [一言] 言い訳…
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