第4話 あおいともものすれ違い プリジェクションキュレーター解散の危機?(前編) Aパート
埼北市には早稲由大学付属高校がある。
ここではたまに学者や文化人の講演が開かれる。
埼北市が実験都市となってからは割とよく開かれるようになった。
今日、わたしはある講演を聞きに付属高校へやってきた。
講演者は誰あろう、わたしのお父さん、葵上蒼介だ。
と、言っても内容はお父さんの研究ではなく、行方不明になったAI研究の第一人者、二択陽一博士の未公開論文。
メモや走り書きの類いまでまとめた未公開論文を、二択博士の家族の許可を得て今回発表する事になったんだ。
大きな教室に満員の人達。
国内外のAI研究者が天才科学者である二択博士の未公開論文を求めて集まっている。
ストリーミング配信も行われていて、カメラも用意されていた。
教室にお父さんが入って来た。いつにない緊張の面持ちだ。
わたしまで胸がドキドキしてきちゃう。
「今日は多くの方々にお集まり頂き、ありがとうございます。わたしも二択陽一の友人として誇らしく思います」
わたしのお父さんは実験都市アドバイザーの仕事のかたわら、二択博士の未公開論文をまとめていた。
お父さんは二択博士なら自律型AIを完成させると信じていた。その博士の論文を公表する事で自律型AIを完成させたいと思っているのだ。
「それでは早速、始めましょう。彼の論文の要約です」
ガヤガヤしていた会場が静まり返る。わたしも含めて会場のだれもが固唾を飲んで、檀上のお父さんに注目する。
「最近はAIが将棋や囲碁のプロに勝つ事などからAI研究の成果が知られるようになりました。
AIの精度と容量を増やす事ばかりが注目されています。
しかし、わたしはそれを続けてもAIが人間のパートナーになる日は来ないと考えます。
AIには、『生きる事に執着する本能』がありません。
世界から自己を形成する身体的な構造の強さがありません。
いくら高速で計算できても、人工知能は自己の存在に結びついた責任や役割というものを自覚することができません。
感情を世界に向けた態度と位置付けるならば、感情は環境に誘発されるものと考えられます。
世界に対する立場と行動を決定する事は、自分自身を定義することでもあるのです。
今、わたしが注目しているのはAIの性能を上げると同時に環境を、人間が成長するのと同じ環境を与える事なのです。
世界に対する自己の存在を認識させる事なのです。
AIに五感のようなものを与え、その精度を上げても、本能も自我も芽生えません。
並行して自分の存在する世界をどう認識させ、どう役割を与えるかが重要なのです。
子供が成長してやがて社会を背負っていくようにAIにも社会を、世界を学ばせるのです。
『世界』に対する『自分』を知る事に成功すれば、AIは『自我』を獲得します。
『社会』に対する自分の『役割と責任』を知れば、AIは『人格』を獲得します。
その上でAIの精度と容量を上げ続けて行けば、AIが『魂』を獲得する可能性がある、とわたしは考えます」
わたしは鳥肌が立ってきた。
いずれは自律型AIを作っていたはず、と言うのも大袈裟な話じゃない。
「しかしながら今のところは『世界』という膨大なデータをAIに与える方法が見つかっていません。ビッグデータによって実現する方法もあるのかも知れませんが、一つの大きな問題があります。
先ほど述べたAIが、『生きる事に執着する本能』を持たない問題です。
『目的意識』と置き換えてもいい。自己を突き動かすだけの渇望をAIに与える方法がありません。
『生きる事に執着する本能』を獲得した知能は、実質的に魂を獲得したと言えるでしょう。
今現在のわたしの課題はAIに「目的意識」を与える事なのです」
本能、目的意識、そして魂を創り出す。これこそ究極のイノベーションだ。
わたしは身体が震えてきた。
いや、震えているのは身体だけではなかった。
何だかバッグが振動していた。
電源を入れてみるとスマホに5回ほど着信があったみたい。
松木いろちゃんからだった。また着信があった。
わたしは電話に出た。
いま、いいところなんだけど。
「今、どこ?!ミムベェも見当たらないって言うから心配したよ」
この講演では大きなプロジェクターを利用してデータを表示していた。
そういう場合、エモーショナルプロジェクションマッピングは切るのが通例だ。
この教室にミムベェは来る事ができない。
「ああ、ごめんね。つい夢中になっちゃって」
いつでも連絡が取れるように、と以前ミムベェに言われていたのだった。
「青いエモバグが出たの。本庄駅に来て」
「本庄駅に?」
今から本庄に行き、エモバグとのバトルに参加したら間違いなくこの講演は終わっている。
この最高にイノベーティブなお父さんの講演が。
こんなにすごい話を聞くのをここで中断なんて、そんなの嫌過ぎる。
「今はももちゃんが食い止めてるけどあおいちゃんもお願い!」
梅桃ももちゃんが?
あんなに強いももちゃんがすでにバトルしているなら別にわたしがいなくても構わないんじゃ?
本庄なら彼女にとっては地元だし。
「ちょっと急用なんだ。ごめんね」
わたしは通話を切った。
イノベーティブな講演に集中したかった。
でも切った後になってやっぱりエモバグの事が気になってきた。
もう一度かかってきたらやっぱり行こう。そんな都合のいい事も考えた。
でもその後、着信はなかった。
きっと上手くエモバグはやっつけられたのだろう。
梅桃ももちゃんなら楽勝のはず。
「これが行方不明になった二択陽一博士の論文の要約です。
彼はこれを発表しなかった。もしかしたら発表したくなかったのかも知れません。
しかしわたしは彼の研究のその先が見たいのです。
ここにお集まり頂いている皆さんの中に彼の研究を引き継ぐ天才が現われるかも知れない。
ここにいなくても、いつの日か自律型AIを創り出す人物が現れるかも知れない。
それがわたしが彼の研究を世に出そうと思った理由です」
お父さんの講演は大盛況で幕を閉じた。
お父さんはいろんな人に話しかけられていて忙しそうだったのでわたしはバスで一人で帰宅した。
二択博士の未公開論文の興奮はなかなか冷めなかった。
エモバグの事もちょっとは思い出したが、きっと問題なかったのだろうと思った。
次の日、メールが来た。
松木いろちゃんからだった。
放課後、ミーティングをやるから本庄コミュニティセンターに来て欲しいとの事だった。
<つづく>
※作中の論文はPLANETSチャンネルのメールマガジン、三宅陽一郎氏の「オートマトン・フィロソフィア―人工知能が『生命』になるとき」を参考にしました。