プロローグ
ここは埼玉県の北端、埼北市。
本庄市(旧児玉町含む)、美里町、上里町、神川町が合併してできた新しい自治体。
街中がプロジェクションマッピングに照らされた実験都市、風光明媚なる現代のエルドラド。
その繁栄の象徴とも呼ぶべき本庄早稲由駅。駅ビルには世界の名店が軒を連ね、首都東京との玄関口でもある市の中心。
夜の7時とは言え、帰宅する人々と憩いを求める人々でごった返している。
その美しきターミナルに現れる大きな影。
街の平和を脅かすその青い巨人はエモーショナルバグ。通称エモバグ。
プロジェクションマッピングから出現する、人々の内なる悪意が具現化した邪悪の権化だ。
エモバグから音声合成したような抑揚のない大声が発せられる。
『女性専用車両は男性差別だー!』
エモバグが邪悪なる雄叫びと共に拳を繰り出すと街灯がたやすくへし折られる。
『女はどの車両にも乗れるのに、男は乗りたい所に乗れないなんてひどいー!』
エモバグは凶暴極まりない。街灯では飽きたらず駅ビルに狙いを定める。
このままではくつろぎの一時を過ごす人々が危険に晒され、駅の利用者にまで被害が及び兼ねない!
『痴漢をするのはほんの一部なのに男性全体を痴漢扱いするなー!』
それを遠くから見やる一人の少女。紺のブレザーのまとった黒い長髪の少女だった。
少女はスマートフォンを取り出す。
「行くよ!ミムベェ」
そう言うと彼女のそばの街灯に照らされた地面から青い鳥のようなマスコットキャラクターが現れる。
両手が葉っぱのようなその姿は埼北市美里町のゆるキャラ、ミムベェだ。
「行けるベェ!」
マスコットキャラクターの声を受け、少女はスマートフォンを取り出す。
「キュレーティン!」
そう言うと少女はスマートフォンを前に構え、器用に画面を見ずにアプリを押して起動させた。
すると街の各所に設置されたプロジェクターの一つから青い光が少女に向けて照射される。
すると、少女のブレザーに変化が現れた。
プロジェクションマッピングの光に照らされた少女のブレザーが変化していく。
紺色のブレザーが鮮やかなシアンに変わる。
Yシャツも同じ色になり、ブレザーと区別が付かなくなる。
胸元のリボンの位置には大きな宝石型のブローチが。
服の袖とスカートの裾には白いフリルが付く。
さらに髪の毛、眉毛、まつ毛、唇も青くなった。
そして、髪には羽飾りの付いたカチューシャが。
巨人の暗い青とは違う鮮やかなシアンだ。
「はじけるキュレーター、プリジェクションソーダ!」
少女は名乗りを挙げると跳躍した。一足飛びで逃げる人々を飛び越え、怪物と駅ビルの間に着地した。
その跳躍は人間業ではない。
「わたしが相手だよ!」
「またアイツ出てきたー。ぞっとするんだけどー」
「楽しんでる邪魔すんなよー。ぞっとしないんだけどー」
駅ビル二階のビアガーデン。もう人々が避難したテラスに二人の人影。
黒いドレスとヘルメット。どちらも刺々しく、禍々しい。
ヘルメットは仮面のように素顔を隠している。
エモバグを生み出した張本人、セゾン姉妹だ。
「プリジェクションソーダをやっつけろー!」
街灯と同じサイズの巨大なエモバグが少女にパンチを繰り出して来る。
『女性専用車両は男性差別だー!』
少女はそれをひらりとかわす。青い長髪がなびく。そして、
「女性が感じてる恐怖を知らないからそんな事が言えるのよ!」
エモバグの顎に少女のアッパーがクリーンヒット。
怪物はあお向けに倒れ込む。
「キッレキレだベェ!」
ミムベェの感嘆する声がする。
とても少女の力とは思えない重い一撃。
身体能力が飛躍的に向上している。
これがエモーショナルプロジェクションマッピングの力なのだ。
「負けるな、エモバグー!」
「あんな奴ぶちのめせー!」
セゾン姉妹の命令にエモバグは立ち上がり、プリジェクションソーダに突進して来る。
『女はどの車両にも乗れるのに、男は乗りたい場所に乗れないなんてひどいー!』
「専用車両は痴漢冤罪の回避にも効果的なんだよ!もっと増やして欲しい声もあるんだから!」
少女の飛び蹴りがエモバグの腹部にヒット。
エモバグはぶっ飛ばされる。
やはり脅威的な威力だ。
すると少女の胸元のブローチが光輝いた。
「あおい、この調子で行くベェ!」
「うん!ミムベェ」
『痴漢をするのはほんの一部なのに男性全体を痴漢扱いするなー!』
エモバグは再度突進して来る。
「それは歪んだ平等主義!悪平等だよ!」
少女は両手を前にかざした。
「大前提は痴漢対策になる事でしょ!」
ブローチの輝きが増していく。
「エモーショナルパワーがチャージされたベェ!」
「いっくよー!」
少女は両腕を前に突き出し、両手を広げると、叫んだ。
「ソーダスプラッシュ!」
ブローチの輝きが炭酸水に変化して噴出する。
これは本物の炭酸水ではない。
エモーショナルプロジェクションマッピングによるエモーショナルな炭酸水だ。
激流と化したエモーショナルな炭酸水がエモバグを直撃すると、その姿はかき消えていく。
『だったら…男性…専用車両……』
「それは結局同じ話でしょ!」
「何なの?アイツー!ぞっとするよね」
「あたしたちの邪魔ばっかして!ぞっとしないよね」
セゾン姉妹は捨て台詞を残し、ジャンプを繰り返しながら夜の闇へ消えていく。
エモバグが消えた後には青く光る球体が残された。
「サイスフィアゲットだベェ!」
ミムベェはその球体をどこからか取り出した箱のような物体にしまい込んだ。鍵付きで金庫のようにも見える。
「これでよし」
ミムベェがそう言うと箱はかき消えた。
人々の感謝の声援に手を振って答えるとプリジェクションソーダも闇に消えた。
それから。
駅から少し離れた大久保山の坂道に置かれた自転車の前に少女は着地する。
周りに誰もいない事を確認すると少女はスマートフォンを取り出し、アプリを操作した。
するとコスチュームがブレザーの制服に戻っていく。
少女はブレザーのポケットから自転車の鍵を取り出し、鍵を開け、乗り込んだ。
「カーリヴァリくカーリヴァリくカーリヴァリく~ん♪」
自転車をこいで帰宅する少女。自転車の後部には美里中学校のステッカー。色は青。
美里中学校二年一組、葵上あおい。
わたしだった。