あたしたちは如何にしてキスをするようになったか
その日はいつものように友達のスズの部屋でマンガや雑誌を読みながらだべっていた。
女子高生の話す話題といえばテレビかファッションか他人の恋愛と相場が決まっている。あたしたちも昨日観たドラマやバラエティの批評から始まり、ファッション誌に載っている服や小物を指でさしつつこれがいいこっちもいいと賑やかに語らい、学校の何組の誰それが付き合い始めたという噂話に花を咲かせていた。
「あ、そういえばさ、これも聞いた話なんだけど」
会話が落ち着いてきた頃、スズが切り出してきた。
「この前の放課後、誰もいない教室でキスしてる生徒を見た子がいてさぁ」
「マジ? 教室でって結構大胆じゃん」
「でしょ? しかもさ……キスしてたのが女子二人だったんだって!」
「ウソ!? え、誰と誰?」
「そこまでは分からなかったってさ。でも同じ学年っぽい」
「ふぇ~、それヤバいね~」
「ヤバいでしょ~? もしかしたら同じクラスの子だったりしてね」
「うわ、あたし狙われちゃったらどうしよ~」
「トモは大丈夫でしょ」
「それどういう意味」
二人で睨み合って、一拍おいて笑い合う。あたしとスズはいつもこんな感じだ。中学校から一緒だったから会話の呼吸もバッチリ。こうやって二人でバカな話をしているときが一番楽しい。
「キス、か……」
スズがぽつりと漏らした。ははーん、とあたしはほくそ笑む。
「もしかしてスズさんはキスに興味がおありで?」
「い、いや別に興味があるってわけじゃ」
「隠さなくていいじゃ~ん。スズも思春期のうら若き乙女なんだからさ、キスのひとつやふたつに興味が出るのも普通だって~」
「そういうトモはどうなの?」
顔を赤くしたスズが照れ隠しに睨んできた。あたしはふふんと鼻を鳴らしてみせる。
「そりゃ当然――あるに決まってんじゃん!」
スズががくりと肩を落とすのを尻目にあたしは言葉を続ける。
「誰もいない教室。夕焼けに照らされながら二人で談笑してたらとつぜん彼が言うの。『前髪に糸くずついてるよ。取ってあげるから目をつむって』って。そうしてあたしが目をつむった瞬間、ふっと唇を重ねてきて――最初あたしは驚くんだけど体を強ばらせたまま黙ってその唇を受け入れるの。長い長いキスを終えたあたしたちは気恥ずかしさから目を合わすことも出来ず、でも触れ合った指先で互いの愛を確かめ合いながら下校していく――みたいなみたいな?」
スズは話の途中からあたしにジト目を向けていた。
「なにそのシチュエーション。結局教室でキスしちゃってるし。ていうかトモの性格だったら黙って受け入れるってより自分から積極的にいきそう。恥ずかしくて目が合わせられないとか無いでしょ」
「うっさい! ファーストキスの妄想くらいあんたもしたことあるでしょ!?」
「まぁ、そりゃ一応は……」
「言いなさい! ほら!」
スズは恥ずかしそうに俯いていたが、あたしが何度も催促すると話し始めた。
「は、初デートで最後に別れるときに、いったん離れたかと思ったらすぐにこっちに戻ってきて、『ごめん、忘れ物した』って言いながら不意打ちで私にキスをするんだよ。それで彼は照れてるんだけど何事もなかったみたいに『また明日』って言って走り去っていって――ちょっと、なに笑ってんの」
笑いを噛み殺していたあたしをスズが見咎めた。あたしは口元を手の甲で覆いながら言い訳する。
「だ、だって、忘れ物って、くふ、スズの口は忘れ物入れかよ、みたいな、ぷふ」
「言葉の綾でしょうが! 忘れ物っていうのはただの理由、きっかけ! トモの方だって何が糸くずよ! あんたはずっと頭にゴミ付けたまま授業受けてんの!?」
「実際についてるわけないじゃん! 目をつむらせるならなんでもいいの!」
「だったら毒霧でも吹いてもらえ!」
「どくき――ぷっ、ちょっと、急に笑わすのやめてよ」
「ギャグで言ったんじゃない!」
二人でひとしきり掛け合いをして、疲労したあたしはローテーブルに突っ伏した。横ではスズがベッドに背中を預けて同じように息を切らしている。
部屋が静かになってからあたしはぽつりと呟いた。
「キス、かぁ……いつかはするのかな」
「そりゃいつかはするでしょ。逆に一生しないまま終わるとか考えたくない」
「はは、それ同感ー」
あたしたちもやがて恋人ができ、デートをして、キスをするだろう。どんなキスになるかはそのときになってみないと分からない。できるならなるべくロマンチックなものがいいのだけど。
スズが躊躇いがちに聞いてきた。
「ねぇトモ」
「んー?」
「キス、してみない?」
「――はぁ!?」
あたしは体を起こしてスズの方を向いた。いつでも逃げられるように腰を浮かしながら尋ねる。
「スズ、もしかしてそういう趣味だったの……?」
「ちがっ、別にそういうつもりじゃなくて!」
「いやいや、恋愛は自由でいいと思うよ。えっとスズ、じゃなかった、楠鈴穂さんがたとえ同性愛者でもあたしたちはずっと友達、いや知り合いだからね」
「あからさまに心の距離を置くんじゃない!」
肩を上下させるスズを見やりながらあたしは普通のトーンに戻した。
「で、なんでいきなりそんなことを?」
「……その、練習しといた方がいいんじゃないかと思って」
「キスの?」
スズがこくりと頷く。
「ほら、初めてのキスで失敗したって話よく聞くでしょ? 歯が当たったとか鼻が押し潰されて豚っ鼻になったとか。だからちょっとくらいはやり方を学んどいてもいいかなぁ、と」
「だからってなんであたしなのよ」
「だって、同性のキスはノーカンって言うじゃん。それにこんなことトモ以外に頼めないでしょ」
まぁ同性のキスを含めないのは分かる。小さいころの家族とのキスと同じでこんなのは日常のコミュニケーションの一種だ。親友だからこそ恥をしのんで頼むというのも理解できる。
「ん~……そんなにしたい?」
「トモがイヤじゃなければ」
「別に言うほどイヤじゃないんだよね。ほら、ファミレスでも残ったやつお互いに食べたりするじゃん。ようはあれの延長でしょ」
「そうそう、こんなのキスのうちにも入らないしさ。軽くさっとやって、あぁこんな感じかって分かればいいんだよ」
「じゃあ――やってみる?」
そしてあたしたちはキスをすることになった。
お互い正座で向かい合い、しばし呼吸を整える。あらたまって正面から顔を突き合わすのは初めてかもしれない。
「こっちはいつでもいいよ」
そう言ったスズの顔は若干赤い。練習だコミュニケーションだと言いながらしっかり意識しているじゃないか。そう考えたらあたしの方まで恥ずかしくなってきた。
「あたしも、いける」
恥ずかしさを振り切って言葉を発した。それを合図にあたしとスズの顔が近づいていく。鼻と鼻が触れ合いそうな距離になってスズが呟いた。
「これ、このままだと鼻が当たるよね」
「映画とかだと顔を斜めにしてぶつからないようにしてたはず」
「そっか。じゃあ――」
くい、と二人で首を傾けたのだが、その方向がおんなじだった。傾いた視界のまま互いの目がぱちりと合う。
我慢出来ずにあたしは吹き出した。
「ぷははは、ち、ちょっと、くく、な、なんで一緒な方に、顔、か、かたむけてんの、あは、あはは」
「そ、それ、ぷっ、こっちのセリフ、だって、くっ、あはははは」
床にうずくまってお腹を押さえて笑い転げた。スズも同じようにして笑っている。
ひーひー言いながらひとしきり笑ったあと、改めて仕切り直すことにした。
「こほん。はい、もう真面目にいくよ」
「トモが笑い始めたくせに。私はちゃんとしてました」
「なに言ってんの。スズがバカみたいにあたしとおなじ方向に首、首を……ぷ、ぷふ」
いかん。思いのほかツボに入ってしまったようで思い出し笑いをしてしまう。あたしは大きく息を吸って笑いを抑え込む。
「はぁー……ふぅ、このままだと顔近づいたらまた笑っちゃいそうだわ」
「もう笑いながらでもいいよ」
「ダメダメ。そんなんじゃ練習になんないじゃん」
やるからにはちゃんとやらないと。少し考えてからあたしは提案した。
「これさ、雰囲気をもっとそれっぽくすればいいんじゃない?」
「雰囲気って?」
「恋人同士がこんなニワトリみたいに首だけ伸ばしてキスする? 普通は先にイチャイチャしてから、いい雰囲気になったところで流れに任せてキスするもんでしょ」
「なるほど。つまり私たちもイチャイチャするところから始める、と。具体的には?」
「そんなの知るわけないじゃん。まぁ最初は手でも握るんじゃないの」
あたしが右手を差し出すと、スズが右手で握手してきた。ばしっとその手を払いのける。
「握手してどうすんの! 恋人だっつってんでしょ!」
「いや今のはトモの手の出し方が悪いよー。絶対狙ってたって」
「……じゃあこうやって手のひらを相手に向けるようにして」
右手を顔の高さまで上げる。スズもそれに倣って左手を上げた。
「これでお互いの指を交差させるように握ろう。恋人つなぎみたいな」
言いながらスズと手を合わせた途端、あたしの心臓が大きく脈打った。
二人きりの部屋で向かい合ったまま手を握っているこの状況は、もしかしなくてもヤバいのではないか。冷静に状況を分析すればするほど胸の鼓動が早くなっていく。
「トモ、こ、この後は?」
「へ!? え、えっと、どうなんだろ。て、適当に指でも絡ませてみる?」
「わ、わかった」
スズが指を動かし始めた。スズの親指と人差し指があたしの人差し指を挟んですりすりと動く。
「――――」
ヤバい。ヤバいしか言葉が出ないけどこれはヤバい。スズの指があたしの指を撫でるたびに力が抜けそうになる。
「トモは動かさないの?」
「う、動かすから待ってよ」
見よう見まねであたしも指を動かしてみる。すでに手を握っているというよりかは互いの指先を弄んでいるような感じだ。
よくこんなことを何も言わずにやるもんだとスズの顔を窺うと、見たことないくらい真っ赤になっていた。
あたしはすぐに目を逸らした。そんな状態のスズと目を合わせてしまってはどうしていいか分からない。顔が熱くてたまらない。もしかしてあたしもスズの顔みたいに真っ赤になっているんだろうか。
「トモ、これいつまで続ければいい?」
「あ、え、うん、そろそろいい、かも?」
「次は?」
「次……なんだろうね、はは」
「ハグ、しとく?」
「あーハグねハグ、うん、いいんじゃない?」
あたしが言い終わるのと同時にスズがあたしを抱き締めた。
(わーーーっ! わーーーーっ!!)
脳内で大声で叫ぶ。そうしないと飛びあがってしまいそうだった。
すでに心臓は早鐘を打ち、全身は湯気が出そうなほどに熱い。たかが友達に抱き締められただけなのに、なんであたしはこんなにドキドキしているのだろう。これはあくまで練習だ。あたしにもスズにも変な気なんて1ミリもない……はず。
「…………」
一分ほど無言で抱き合っていた。すると唐突にスズが腕の力をゆるめてすっと体を離した。あたしの両肩に手を乗せたまままっすぐに見つめてくる。長いまつげ、潤んだ瞳、通った鼻筋に艶のある唇。
あれ、スズってこんなに可愛かったっけ?
思わず見惚れたあたしに、スズがキスをした。
「――――」
心構えをする暇もなかった。それまで考えていたことはすべて霧散し、かわりに唇が感じている弾力、温度、触感が脳内を支配していく。あたしの体から力が完全に抜けてしまった。体重をスズに預けたままあたしはその行為に身を委ねた。
このままずっとキスしていたい――。
あたしがそう思い始めたとき、スズが唇を離した。離れるときに、ちゅぷ、と小さな音がした。
「…………」
「…………」
すぐさま元の位置に戻ったあたしたちはしばらく一言も喋らずに居住まいを正していた。
半ば無意識に自分の唇を撫でた。柔らかくてあたたかくて、少しぬるっとしていたスズの唇。思い出せば思い出すほど顔と体が沸騰してしまいそうになる。
単純な恥ずかしさだけではない。キスを終えた今、口が寂しく感じている自分がいたことが何よりもあたしを恥ずかしくさせた。
(もう一回キスしたい、なんて言ったらやらしいヤツだって思われちゃうよね……)
でもキスがしたいのは本心だ。もっとしたい。一回と言わず何回でも。
ちらりとスズの方を窺うとちょうどスズもあたしの方を見ていた。目が合って互いにえへへと笑い合う。
笑いながらもあたしの視線はスズの唇に向かっていた。こんな悶々とした気持ちのままじゃ絶対にスズとまともに話せない。あたしは意を決して口を開いた。
「あのさっ」
「な、なに?」
「す、スズさえ良かったら、その……」
しかし先の言葉が出てこない。その単語を口にしてしまったら何かが終わってしまうんじゃないかと体が震えてくる。
「トモ」
そんなあたしをスズの言葉が救ってくれた。
「前髪に糸くずついてるから、目つむって」
「――――」
何も言わずに目を閉じたあたしに、スズが優しくキスをした。
今度はもういっぱいいっぱいにはならなかった。あたしもスズの背中に腕を回し、キスを受け入れる。
二度目の長いキスを終えて、湿った吐息を吐きながらあたしは聞いた。
「……忘れ物のくだりもやっとく?」
「帰るときに、ね」
そうしてあたしたちは三度目のキスをした。
人なんてちょっとしたきっかけで案外簡単に変わってしまうものだ。それは偶然だったり意図的なものだったりするけど、良い変化であるならどちらでも構わないだろう。
あたし? あたしは変わってない。これまで通りスズとくだらないことで笑いあったりツッコミを入れあったりして仲良く過ごしてる。当たり前だ。あれはキスの練習であって告白でもなければ恋愛感情の確認でもない。だからあたしとスズは友達のまま。これはこれから先あたしたちが大人になったとしても変わることはない。
ただまぁ、ひとつだけ変わったことをあげるとするなら、二人きりのときにキスの練習をするのが当たり前になったことだろうか。
終




