88話
「触渡様!無事ですか!?」
「はい、何とか……」
「画竜点睛」に地上に下ろしてもらうと今の戦いを下から見ていた比野さんが駆け寄ってきた。
竜の乗り心地というのはまるでレールが自由に伸びるジェットコースターに乗っているような気分で些かワクワクは感じたがそれ以上に落ちないかという恐怖の方が強かった。トドメの一撃の時なんか今回ばかりは死ぬかと思ったぐらいだ。
するとやられて人間の姿に戻った同島兄弟の兄の方が落ちた「表裏一体」のパネルを今一度使おうと手を伸ばしている。
「こ、この……!」
急いでそれを拾い上げて回収、一度は手にしたことがあるこの四字熟語、あの時は針の特異怪字に奪われてしまったが今この手に再び戻ってきた。
例の呪いの力を抑える装置もついている。俺たちがここに持ってきてた明石鏡一郎の装置は既に炎に包まれているため取り返すことはできなかった。これで比野さんたちの研究も進むだろう。
そしてこれによって普段は「一」を共有している刀真先輩の分の「一」も手に入ったことになる。もうどっちが使うか持ってるか悩む必要は無くなった。
「さて……大人しくしてもらおうか」
「くっ……殺すんなら殺せ!こんなことをしてるんだ、いつでも死ぬ覚悟はできてる!」
「兄貴……俺死にたくねぇよ……」
「……影裏、俺たちは誓っただろ?いつでもどこでも、俺たち兄弟は一緒に行くって」
兄弟で考えがまとまっているのか違っているのか、良く分からないが俺はこいつらを殺そうとは思っていない。何もそこまでする程じゃないし何よりこいつらから情報も聞きたかった。
「とにかく、今は捕縛しないと……比野さん、縄とか持ってない?」
「すいませんが縄はちょっと……」
「ですよね、こんな時に勇義さんがいてくれればな~」
あの人なら人間用の手錠も持っているだろうし、こういう時に必要になるなら普段から持っていれば良かったと思う。
……仕方ない、少々不安だが抱える形で連行しよう、そう思ったその時……
ドピュッ!という音が周囲に鳴り響く。
「……は?」
「……何だと?」
一体何が起きたのか、音がした方向を見てみると、胸の辺りから血を噴き出している同島弟がいるだけだった。
「あ、兄……貴?」
「――影裏ぁ!!」
動かない体を引きずってでも兄の方は倒れた弟の元へ寄る。俺はハッとして比野さんに預けていた「金城鉄壁」を返してもらい、急いで兄弟たちと彼女ごと結界を作る。
案の定俺の予想は辺り、何かが遠くから飛んできて結界に弾かれた。それは弾丸、つまり狙撃だ。
(天空さんが言ってた……明石鏡一郎を始末した狙撃手……口封じにこいつらも殺すつもりか!)
明石鏡一郎の時も自分たちの情報の漏洩を防ぐために躊躇なく見方を撃ち殺したという。今回も同じような事なら兄の方にも撃たれる可能性が高い、そう思って結界を張ったのだ。
「影裏……おい!影裏ぁ!!」
「兄貴ぃ……俺死ぬのかな……へへっ、死にたくねぇよ俺」
そうこうしているうちに同島弟の胸からはダラダラと血が流れ続け、その顔色も徐々に青白くなり始めた。出血量がひどい、もうこれは助からないぞ。
この間にも狙撃手によって弾は撃たれ続け、何と金城鉄壁の結界にヒビが入る。一体何でできてるんだあの弾……
「俺……兄貴の弟に生まれてきて良かった……お袋と親父は屑みたいな人間だったけど……兄貴がいたから今まで生きていけたんだ……」
「……そうか、じゃあこれからも俺が付いて行ってやる!だから死ぬな!影裏ぁ!」
さっきは「殺すなら殺せ」と豪語していたがやはり弟の死は受け入れたくないのか必死に呼びかけている。確かに遠慮なく女性に手を出そうとする最低の輩だが、何もこんな終わり方は無いだろう。
「兄貴……寒いよ、あの日みたいにさ温めてくれよ……兄……貴……」
「影裏……?おい!!影裏!!影裏ぁ!!」
やがて同島弟はゆっくりと息を引き取り安らかに眠った。最後まで兄は弟の体を抱え、必死に声をかけていた。だが現実は非常で、そんなことで死が遅れたりするわけない。
さっきまで火照る程熱い戦いをしたというのに、結界内はひんやりとした冷たい空気になる。
「……触渡発彦、何で俺たちを守った?死んでいても良かっただろうに……」
「お前には聞きたいことがる!だからそれまで死ぬな!弟の分まで生きろ!」
まさかさっき戦った敵を励ますとは思ってもいなかった。だがこれからのためにもこいつは決して死なせない。
今はとにかく、狙撃されてる現状をどうにかしなければ。未だに銃弾は撃たれ続け、そろそろ結界に穴が開きそうだった。
(弾を1㎜もずらさず同じ所を何度も狙っているのか……だとしてもこの結界を破るなんて……それにどんな技術だ!勇義さんでもできないぞこんな芸当!)
狙撃手が見えないということは俺たちが思っているよりも遠い場所から狙われているということ、そんな位置から的確に同じ場所を集中的に狙うなど人間業じゃない。やはり特異怪字の仕業か。
「……ふん、悪いが俺を助けても……無駄だ……ガハッ!」
「なっ……おい!?」
すると今度は同島兄の方が吐血した。撃たれてもいない、俺が付けた傷だって生命に関わるほどの重症じゃないはずだ。なのに何故――!?
「俺たちは……予め毒を飲んでいるのさ……任務に失敗して……捕まりそうになった時……どこからでもスイッチ1つで体中に猛毒が回る……特殊なカプセル剤をな」
「毒……!?」
するとこんな時に限って狙撃された弾が結界を貫通。開いた穴から広がるようにヒビができ結界が崩壊してしまう。やばい、今度こそ撃ち殺されると思ったその時――
「『画竜点睛』!?」
竜が自分たちを囲むようにとぐろを巻き、狙撃から俺たちを守ってくれた。銃弾は鱗に全て弾かれ全然効かない。同じところを狙われないよう竜は常にとぐろを巻き続けている。
それよりも今はこいつだ。もう毒に侵されているのか死ぬ寸前であった。まだ何も喋らせていないのにここで死なすわけにはいかない。
「……お前が守ってくれなきゃ……俺は弟を看取れなかった……その礼に……1つだけ教えてやる……1つだけだ……これでもあいつらには……忠誠心ってやつが……あるからな……」
「お前……殺されかけてるのに何でそんなことを……」
普通自分たちを始末しようとしてくる連中に忠誠心など抱かない。まず最初に思うのは怒りの筈だ。こんな理不尽な真似されてどうしてこいつはそんなことを言えるのだろうか?
「あいつらは……両親に虐待され……捨てられた俺たちを……救ってくれたんだ……だからだ……」
「……!!」
両親に捨てられて救ってくれた。それはまさしく俺と天空さんの関係とまったく一緒であった。
同島兄弟を救った奴ら、それが例の組織ということだ。つまり感謝しているからこそ今この場で何も言わずに殺されるというわけである。
「奴らは……パネルの研究を独自でしている組織……名を『呪物研究協会 エイム』……!」
「……エイム、それが奴らの名前」
今まで「組織」「奴ら」としか呼称できなかったが初めてその名前を教えられた。呪物研究協会エイム――当然だが聞いたことも無い名前だ。
「これだけ……教えれば良いだろう……後は1人で……頑張ることだな」
「おい!名前だけかよ!もっと大事な事を……!」
名前は分かった。だがそれだけじゃ何も分からないと等しい。もっと他に情報があるはずだ。居場所、何を企んでいるのか、人数、そのトップは誰か。こっちは知りたいことがいくつもある。
「影裏……お前を1人で逝かせはしない……三途の川も……兄ちゃんと渡ろう」
『アンタ!またこんなに遅く帰って……どうせ他の女のとこに行ってたんでしょ!!』
『うるせぇな……休日に俺がどこ行こうが勝手だろ……てめぇと薄気味悪いガキ2人いるこの家より居心地が良いところなんて星の数だけある』
『兄ちゃん……僕お腹減ったよ……もう3日も食べてないよ……』
『アンタらさえ生まなければこんなことにはならなかった!!謝れ!生まれてきてごめんなさいと土下座しろ!!そしてこの家から出てけ!』
『兄ちゃん……寒いよ……家に帰りたいよ』
……分かった。俺とくっつけ、少しは暖かいだろ?
『そうだね……だったらずっと兄ちゃんといるよ』
そうだな、俺たち兄弟はどこに行っても一緒だ……
「地獄……まで……俺たちは……表裏一体だ……影……裏」
そう言い残すと、同島兄は眠るように静かに死んだ。最期まで先に逝った弟の手を掴み、冷たくなった体を自分の方へ寄せながら。
……俺は、こんなに間近で人が死ぬところを見たのは初めてかもしれない。
いっちゃんやつーちゃんの時とは違う。死ぬ瞬間だというのに恐怖の言葉の1つも言わず、静寂の中息を引き取る死に方。
こいつらは確かに俺たちを殺そうとしてきた。なのに、何だか死ぬ瞬間を見ると、胸が締め付けられてるように感じ、ポッカリ穴が開いたようにも思える。
人生の終わり、人の死、それらがどんなに悲しいことか、俺はまた再確認させられた。
(人が死んだ……今目の前で……)
すると目的を果たしたのか、それとも竜に邪魔されてこれ以上は無駄だと判断したのか狙撃の弾が止まった。
着弾の音も響かなくなり、ただ空虚感だけが現場を支配していく。
「触渡様……行きましょう。今は逃げることを最優先に」
「――はい!」
だけど俺たちは、止まることは許されない。
正直同島兄弟が殺されたことに対し、怒りを抱いていた。
自分たちを殺そうとしてきた者たちの死に悲しみを感じ、それを実行した者を怒るということは確かに変なことかもしれない。
俺が一番怒っているのは、奴らの命の扱いに対してだ。
いくら情報の漏洩を恐れているからとはいえ、仲間の命を何だと思っている。これでは死んでいった同島兄弟……そして一応明石鏡一郎も報われないではないか。
呪物研究協会エイム……俺は絶対、お前らを許さない!