78話
「画竜点睛に……為虎添翼……?」
比野さんが俺たちに見せてくれたのは、ガラスケースに収められている2つの四字熟語のパネル、彼女によるとこのパネルが「比翼連理」のように使用者の式神として操れる「式神タイプ」のパネルらしい。そのパネル以外にも薄汚れて年季が入った巻物や墨で書かれた絵などそれに纏わる資料らしきものも入っていた。
すると比野さんは傍にある機械を操作しガラスケースを開けて中のパネルを持ってこちらに間近で見せてきた。
「はい、これが私たちの研究対象であるパネルです。数年前この山の中で発見された物で未だその実態は分かっていないんです」
「これが式神タイプの……」
差し出してきたので恐る恐る手を伸ばし、俺は「画竜点睛」の方を触り、「為虎添翼」の方は刀真先輩が持った。
手に取って触ってみても他のパネルと違いは見られず、いたって普通のパネルであった。
「ちょっと使ってみてください」
「え?ここでですか?」
もしここで使って「比翼連理」と同じような式神が現れたらどんな大惨事になるか分かったもんじゃないと思ったが、しかしここの研究員である比野さん自身がそう言っているし、俺もどうなるか少し気になっていた。
受け取った「画竜点睛」の4枚を重ねそのまま右拳で握り、いつもしているように使ってみる。刀真先輩も「為虎添翼」を同じように使用してみた。
しかしいつになっても変化は訪れず、ただ沈黙した時間が流れるだけ。2つの四字熟語とも何にも怒らなかった。
「……あれ?」
「……このように何故か使えないんですよ。浄化も済ましてる筈なのに……」
そう言って比野さんは俺たちからパネルを返してもらった後、その四字熟語について説明を続けた。そして同じくガラスケースに入っていた巻物も手に取る。
「実はこのパネル、発見された時には既に浄化されていたんです。そこからこのパネルについて調べてみたところ、大昔に陰陽師が使っていたことが分かりました」
見せてきたその巻物には、緑色の龍に乗った陰陽師と翼の生えた虎に乗った陰陽師が、目の前の妖怪たちに立ち向かっている様子が見られた。
「怪字の事を昔では妖怪や物の怪といった扱いをされ、それに戦う陰陽師が今で言うとパネル使いだと思われます」
「でもパネルは中国の賢者が戦国時代に持ってきた物ですよね?陰陽師とか妖怪とかって普通平安時代のものなんじゃ……」
「確かに世間一般的には平安時代のことですが、資料に残されていないだけで戦国時代にも陰陽師や怪字はいるんです。元々妖怪というものが怪字にも言われたんだと……」
確かに今まで出くわした怪字を妖怪だと説明されても違和感はないかもしれない。どっちにしろ化け物や怪物という類では同じなのだから。
しかし本題はその怪字ではなく、その怪字の大群と戦っている2人の陰陽師とそれを乗せている2匹の式神についてだ。
「『画竜点睛』と『為虎添翼』はその時に浄化され、2人の陰陽師に使われたんだと思うんです。それが何らかの形で使用者の手から離れ現代にてこの山の中で発見された……としか予想ができませんが」
「比野さんの『比翼連理』も同じようなものなんですか?」
「はい!この子たちは中国で発見されたもので研究対象としてこの研究所に運ばれ、今となっては私の相棒みたいになっています」
すると再び紹介されたことに気づいた比翼連理の2匹の式神は、またもや誇らしげに翼を広げて俺たちに見せつけてくる。小さくなる前のものは大きくそして広く強い圧力を感じたが、こうなってしまえば中々愛くるしい仕草だ。
「式神は怪字とも言える怪字とは違うとも言える……中間的な存在なんです。だから触渡様の『一葉知秋』も反応しなかったのかと……」
「成る程……」
「一葉知秋」は浄化されていないパネル、もしくは活動している怪字に反応して発光する四字熟語、聞くに式神は既に浄化されたパネルだから「比翼連理」には反応しなかったのだろう。
「で、結局こいつらは使えないってわけだな?」
勇義さんがきつめの言葉を言いながら「画竜点睛」と「為虎添翼」のパネルを指さす。
「はい、ちなみに能力タイプや武器タイプは漢字さえあっていれば使えるんですけど式神タイプだけは例え漢字があっていても特定のパネル同士でしか使えないんです。この間『比翼連理』の翼を『為虎添翼』の翼で代用してみたんですけど何にも起きませんでした」
「なんだ使えない……」
さっきから式神に対して勇義さんが厳しめなのは、彼にとって怪字やパネルは恋人を殺した存在、だから彼はパネルも四字熟語を使わない。それが式神という形で味方になっても許せないものがあるのだろう。
そういう俺も幼馴染を殺されたに近いし、刀真先輩だってお兄さんを殺されている。しかしその部分はある程度もう終わっているので式神に対しては何も思わなかった。
「そんなことないですよ、比野さんの『比翼連理』みたいに頼もしい味方になってくれると思います」
そう言って俺は再び『画竜点睛』を持つ。もしかしたらこの四字熟語がこれからの怪字退治に大きく貢献するかもしれない。そう思うと何だか許せるような気がした。
「今は何故か使えないんですけど……きっと……」
「……私、感動しました!」
すると急に比野さんが嬉しそうな顔をして俺の両手を掴んできてぶんぶんと回し始める。
「今までにも多くのパネル使いに式神タイプを見せて説明してきましたが、そういった意見を言ったのは貴方で初めてです!初めて分かち合える人と出会ったような気がします!」
「そ、そうなんですか?」
「他の方は式神を他のタイプのパネルのように道具扱いするのが多いです。私も最初はそうでしたが、『比翼連理』の2匹を手に入れて、この子たちと長く過ごす間に……あることが分かったんです」
比野さんは自分に頬ずりしてくる2匹の式神の頭を人差し指で優しく撫で、それに加え顎も撫でたりする。こうしてみると犬と飼い主の関係と比べてそう違いは無いことに気づく。
「ちゃんとこの子たちには感情がある。自分の使用者の役に立とうとしてることに気づくと、何だか可愛らしく思って……」
「ははっ、何だかペットみたいですね」
「そーなんですよ!!」
するとまるで火がついたように比野さんは興奮しだし、そこに置いていたファイルのような物を取って俺に押し付けるように見せてきた。そのファイルには「比翼連理」の2匹の写真がズラッーと保管されている。
「右側の子を『ウヨクちゃん』、左側の子を『サヨクちゃん』と名付けているんですけどそれがもうラブラブで可愛らしくてこの写真なんか寝る時も寄り添っていて片時も離れないんですよ!!だから私の肩に留まる時は左右に分かれるんじゃなくて留まる時も寄り添っていてそれが本当に可愛くてだけど私に撫でられるときはどっちが先に撫でられるか競い合う部分もあるんです!それでそれで――!」
「はぁ……」
そして次々とその魅力を超早口で語り始め、その様子はまるで可愛い我が子をママ友に自慢する母親のようであったが、あまりにも激しく興奮していた為若干引いてしまう。
それは数分に渡り続き、彼女が息継ぎした時ようやく終わりを迎えた。
「はぁ……はぁ…………あっ!すいませんお疲れの時に!」
「い、いえ……」
そこでようやく自分が暴走してたのに気づいたのかハッとし、元の落ち着いた感じに戻った。
「長旅でお疲れでしょう、私はこの装置を見ていますのでその間に地上の家で休んでいてください」
「じゃあお願いしてそうさせてもらいます」
そう言って比野さんは例の装置を持って研究室へと入っていく。俺たちは来た道を戻って梯子を上り地上に出た後、その家の縁側に並んで腰かけた。すると相当疲れていたのか勇義さんはそのまま背中を床に付ける。ずっと運転していたから俺と刀真先輩より疲れが溜まるのは必然的だった。
「そう言えば、運転ありがとうございました。お疲れ様です」
「ああ……そうだな」
お礼ぐらいは言っておかないと駄目だ。すると俺に礼を言われた勇義さんは一向に何も話そうとしない隣の刀真先輩をジッと見つめた。
「おい、お前も何か俺に言うことがあんじゃないのか?」
「ぐぬぬ……アリガトウゴザイマシタ」
「感情が籠ってない!!」
それでも先輩と喧嘩する元気は残っているのか、すぐに起き上がっていつも通り刀真先輩といがみ合う。それを横に俺は吹いてくる風を感じながらゆっくりと深呼吸した。空気も新鮮で美味しい、こんなにゆったりできるのは久しぶりだ。
何しろ特異怪字やら組織やら、立て続けに色んな事が起きたためしばらくのんびりできる日が無かったのだ。これを機に十分に休もう。
そんなことをしてると、突然俺の隣に1人のお婆さんが座った。
「……」
あまりにも突然だったため俺も喧嘩をしていた2人も言葉を失い、そんなことは知らず優雅に茶を飲んでいるその人に視線を奪われる。至って普通のお婆さんだが、ここにいるということは研究所関係の人だろう。
「……煎餅いるかい?」
「あ、いただきます」
すると持っていた煎餅を分けてもらったので素直にそれを受け取って頬張る。完全に誰か尋ねるタイミングを逃し、ただ向こうが自己紹介するのを待ったが一向に名乗る気配は無く、ただ煎餅を食べ茶を飲んでいるだけだった。
「それ、ここの所長の鶴歳さんね」
「え!?」
やがていつの間にか後ろにいた小笠原さんが代わりに紹介してくれた。何とこの研究所で最も偉い人であり、とてもじゃないがそんな風には見えなかった。いや、もしかしたらこれもカモフラージュの1つであり、実は変装した姿で真の姿を隠しているとか……?
「今年で75になるけど、未だその知識は健在。昔は一流の浄化師として活躍していたらしい」
「あ、そうなんですか」
しかしそんなことはなく、これが本当の姿だった。だがそう聞けば何だか貫禄があるように見えてきた。静かな分それがベテランぽさを醸し出していた。
「あ、そうそう。触渡君に用があるんだけど……誰?」
「俺です。何でしょうか?」
するとどうやら小笠原さんは俺に用があるらしく、その手には綺麗に包装された箱が持たされている。
「これ、天空さんに作るよう依頼されていたんだ。さっきサイズの調整が終わったところ」
「天空さんが……?」
そう言えば出発する時にプレゼントがあるとか言っていたな、俺は渡されたそれの包装を綺麗に剥がしていき、一体なんだろうとその箱の中を見てみると……
「これは……手袋、いやグローブ?」
そこには1双のグローブが入っていた。全体的に黒で染まっており甲の部分には見たことのある文字がマークのようにデザインされて描かれていた。厚さも結構あり頑丈そうであった。
「君専用に作った新しい武器だ。ちゃんと天空さんの要望通りに作られているぞ!」
「俺の……武器!?」