77話
突然現れたその女性は、長い茶髪を持っておりそれが寝ぐせのようにはねている。服装は地味な色の物を選んでおり、遠目から見てもあまり目立たないだろう。歳は二十歳後半辺りだろうか、勇義さんとほぼ同年代だろう。
女性は慣れた足で森から駐車場側に出て、そのままゆっくりと鳥の怪字へと近づいていく。
「ちょ!?危ないですよ!」
状況は掴めないが怪字はまだ活動中、危ないと警告をするがそれを無視して彼女は怪字のすぐ近くで止まり、そっとその毛深い皮膚に触れる。
「この人たちは大丈夫、もう戻っていいよ」
まるで母親のようにそう言われた怪字は2匹に分裂した後、何と一瞬で手乗りサイズにまで縮まった。
「「「なっ――!?」」」
小さくなった2匹の鳥怪字は、その女性の周りをしばらく飛び回った後、懐いた様子でその肩に留まる。両肩に1匹ずつという形ではなく、さっき見せた1匹に合体するかのように寄り添い、彼女の右肩に留まった。
とんでもないことが今目の前で簡単に起きたので軽くフリーズしかけるが、何とか意識を保つ。それでも開いた口が塞がらないし大きく開いた目は何度も瞬きをしてしまう。取り敢えず分かることは今目の前にいる女性があの鳥の怪字を操っているという事実に向き合わないといけない。
怪字を操れる――そんな芸当ができる輩は1つしか心当たりがない。
「……!」
俺たちは戦いでの疲れや痛みも気にせず、その女性を十分警戒する。どういう原理かは分からないがあの鳥の怪字をまるでマスコットキャラクターの如く小さくして肩に留まらせているので、またいつその怪字を差し向けてくるかは分からない。
そうしているとその女性が口を開いた。
「……触渡発彦様、宝塚刀真様、勇義任三郎様ですね?」
俺たちの名前を呼んでくる。名前はもう知られているが何だが行儀のいい話し方なので一瞬戸惑ってしまう。それに敵意も殺意も向けてこなかった。まるで旅館の娘が客を迎えるような感じである。
「お待ちしておりました。私当研究所に務めております『比野 翼』と申します」
「研究所……ってことは」
「はい!ここが『鶴歳研究所』です!」
どうやらこの人は例の組織の一員ではなく、研究所の人だったらしい。そして今初めてその研究所の名前を聞いた。
しかしそうは言ってもそんなことはいきなり信じられず、俺たちの心にはまだ疑いのものがあった。研究員を語ってこちらを油断させ、その隙に一気にやる!――という魂胆かもしれない。
「じゃあ、研究所までご案内しますので、後を付いてきてください」
だがずっと警戒していれば話が進まない。確かにこの比野さんが敵である可能性もあるが逆もまた然り今の話が本当である可能性もある。
取り敢えず今は彼女の言うことを聞くしかなかった。何かあったらその時はその時だ。
俺たちは警戒心を緩めることなく比野さんの後ろを追い、森の中へと入っていく。
「研究所への道は予め教えられてないとほぼ絶対に見つけられないんですよ。今回は私が案内しますね」
「……はぁ」
森に入ってから数分、比野さんに動きは見られず時折俺たちがちゃんと付いてきてるか確認するためにたまに振り向く程度だった。一方その右肩に留まっているさっきまで戦っていた鳥の怪字はこちらをずっと凝視していた。体は彼女と同じ向きなのだが梟のように首を180°回転させている。
比野さんも俺たちの様子で自分が疑われていることに気づいたのだろう、咄嗟に笑いながら説明してきた。
「さっきは申し訳ございません!この子たちは普段からこの森をパトロールさせてるんです」
「……ところで、それ何ですか?……怪字ですよね?」
そう、俺たちがさっきからずっと気になっていることだった。怪字なのに人に懐いているし小さくなっているしと理解が追い付かない。おまけに何故か「一葉知秋」も反応しないのだ。
「う~ん……ちょっと説明が難しいんですけど……簡単に言えばこれもパネルの力ですよ」
「どういうことです?」
「本来パネルは2つのタイプが存在するのはご存知ですよね?使用者に超人的な能力を与える『能力タイプ』と、その四字熟語自体が武器のような個々とした存在になる『武器タイプ』」
前者は俺が良く使う四字熟語のタイプだ。「疾風迅雷」は超スピードを可能にさせ「八方美人」は自動回避能力をくれる。というより俺が使う四字熟語は全部それだ。
後者は刀真先輩の「伝家宝刀」のタイプである。そのタイプの四字熟語は「伝家宝刀」以外見たことが無い。
「ですがその2つとは違うタイプのパネルがあるんですよ。それがこの子たち『式神タイプ』です」
そう言って紹介された2匹の鳥怪字は誇らしげに翼を広げ自己主張してきた。こうしてみると可愛く見えてきた。
「浄化される前は普通に怪字として活動してるんですけど、した後使ってみると使用者の式神……言わば仲間としてその命令を聞くんです。感情もあるんですよ」
「……にわかには信じられんな」
勇義さんは奇怪な物を見る目で彼女の肩に留まっている鳥の式神に近づき、恐る恐る人差し指で突こうとするも、2匹ともに嘴で逆に突かれてしまった。
「あいたーーっ!?」
「すいません!人見知りなんですよ!普段は侵入者らしき人を見た瞬間先に私に教えに来るはずなんですけど……」
「……怪字に人見知りとか世も末だな」
刀真先輩がそう言い零したが怪字なんてものが存在する時点着実に世の末とやらに近づいてる気がすると俺は思う。
兎にも角にも話をしているうちに敵ではなさそうだ。優しそうな人だし研究員だからパネルのことも詳しそうだ。
「で、この子たちは『比翼連理』の四字熟語から生まれた式神なんです」
比翼連理……夫婦仲が良いこと、男女間での関係の良さ。「比翼」とは雄と雌が翼と目を片方ずつ持ちまるで1匹の鳥のように寄り添っている空想上の鳥のこと。
「私たちの研究所では勿論全般的なパネルや怪字の事も研究していますが、一番力を入れているのはこの式神タイプのパネルについてです」
「他にも式神タイプのパネルとかあるんですか?」
「はい、私たちが管理しているもので他に2つの四字熟語がござますよ、しかしまだ問題がございまして……って着きましたよ!」
すると一行は庭のような開けた場所に到着し、そこにはいかにも田舎の家という雰囲気を出しに出しまくった家がポツンとそこに建っていた。
想像してたのと随分違ったので、俺たちは「え?」と呆気に取られてその場で立ち尽くしてしまう。
瓦の屋根にそこら中苔と傷がありまくる柱、振動が来ればギシギシという音が鳴りそうだ。しかし広さは中々あり、そこがまたしょっぱさを更に引き出している。
「……本当にここですか?」
「カモフラージュですよ!いくら山の中とは言えある程度隠しておかないと駄目ってことです!」
成る程、確かにあれなら「研究所」だって言われても気づけないし信じられない。しかしどこからどう見てもただの一軒家である、一体どこでその研究とやら行われているのか見当もつかなかった。
「じゃあ早速例の物を研究所内で見せてもらいますね!」
そう言って比野さんが庭内にあるマンホールのようなものを取っ手で持ち上げると、そこには梯子がかけられた地下への入り口が存在していた。
「うおっ隠し入り口!」
「じゃあここを進みますよー」
男の身であるためこういうゲームのダンジョンのような通路些か興奮してくる。野郎という者は隠し扉といった感じの物に心奪われるのが宿命というやつだ。
しばらく梯子を下りて床に到達すると、そこには頑丈そうで大きな扉があり、比野さんがカードキーをそこに通すとその扉は盛大な機械音を響かせながらすぐに開かれた。
「おお……ここはなんか研究所っぽい!」
地上の家とは全然異なり、この空間はなんとも未来感溢れる見た目となっていた白い天井に床に壁、蔦のように張り巡らされている菅、ひんやりとした空気など。
扉の先に会ったのは長い廊下で、そこを渡っていると今度は自動ドアに対面し、その先には幾つもの廊下に続く扉がある1つの部屋があった。置かれている機械も普段は見ない作りであり、下手に触ると壊れそうで怖かった。
すると別の廊下の扉から白衣を着た1人の男性が書類を持って入ってくる。
「翼、彼らが今日来る予定の人たち?」
「紹介します、私の同僚の『小笠原 大樹』さんです」
スラッとした長身長で顔立ちの整ったイケメン、銀髪でありまるで住む世界が違うとも思えるような綺麗な人だった。
「今から例の装置を受け取る予定です。大樹さんは気にしないで仕事してても良いですよ」
「じゃあそれも含めて案内は翼に任せよっかな」
そう言って小笠原さんは入ってきた時とは別の廊下に行ってしまう。そう言えば研究所というのに他に人気が無いことに気づいた。
「ここは私と彼、そして所長の3人しかいないんです」
「3人!?そんなに少ないんですか!?」
「はい……恥ずかしながら人手不足でして……」
確かにパネルの研究や専門知識を持つ人間などそういるわけがないだろう。そう思えば3人という少ない数字も納得がいく。
ここで本来の目的であるあの装置を比野さんに手渡し、見事ミッションコンプリートとなる。後はそこから何か分かったことがあるか聞くだけだ。
「ありがとうございます!じゃあ研究所内を案内しますね」
そう言ってまた彼女の後をついて今度は小道具や発明品なんかがたくさん置かれている部屋へと案内された。中心には長方形のガラスケースがある。
「折角だから皆さまにも見せようと思います。これが先ほど言った他の式神タイプのパネルです」
ガラスケースの中を覗かせてもらうと、彼女の言う通りその中にはクッションの上に置かれた8枚のパネル、つまり2つの四字熟語が作れる数のパネルが大事そうに置かれていた。他にも古そうな巻物や絵も飾ってある。
その四字熟語とは――「画竜点睛」と「為虎添翼」というものであった。