71話
「じゃあ、ここからは俺1人で行きます」
約束の9時の15分前、俺と刀真先輩、そして勇義さんは待ち合わせの場所である山の入り口へと訪れていた。すっかり暗くなり、この辺は街灯も無いのでほぼ暗闇だ。
「私たちはここまでしか来れないが……もし何かあったらすぐに呼ぶといい。というよりあまり待たせるなよ、刑事と長時間2人っきりは御免だ」
「こっちの台詞だ!お前の子守なんかしないからな!」
喧嘩しながら見送る2人をここで待たせ、俺は山の中へと入っていく。道らしきものも無く、ただ生えまくっている雑草と木々の中を泳ぐように進み、地図で見た滝の場所へと急ぐ。
道中滝と水の音が聞こえたところで目的地は近いと思ったその時、聞き覚えのある怒号と叫び声も耳に入ってきた。風成さんと奴の声だ。俺は声がした方へと走った。
そうするとある程度ひらけた場所に到達すると、まず最初に見えたのは巨大な滝、まさかここまで大きいサイズとは思っておらず、少し驚く。
「待て!俺なら今来たぞ!」
そして落ちると滝つぼに呑み込まれるであろう位置に吊るされている風成さん、その下で既に特異怪字の姿に変身している明石鏡一郎の姿も確認した。状況と会話の内容を聞くに奴が彼女に危害を加える直前だったのだろう。間に合ってよかった。
明石鏡一郎はこちらを見ると、元々笑っていた表情を更に歪ませ、拍手をしながら体を向けてくる。
「ナイスタイミングだよ王子様、約束の時間の10分前に来るとは中々人間ができてるじゃないか」
「今さっき約束を破ろうとしたお前よりかはな、まぁ人殺しに人間性を求めても無駄か?」
挑発には挑発、予め俺たちがこっちの事情を知っていると思わせておくことで少しでも精神的な余裕を無くせると良いだろう。
「なんだ、俺の名前知ってたのか?そういえばなんたら対策課の刑事がいるって言ってたな、そいつから聞いたのか?といっても指名手配だし今更だな」
しかし明石鏡一郎の様子は変わらず、何故知っている!?といった慌てた感じにはならない。冷静なのか何も考えていないだけなのか、その性格からどっちが正解か読み取るのは難しいだろう。
「さて早速本題に入ろうか、お前の持っているパネルをそこのデカい石の上に乗せな」
そう言って奴が指した方向には滝から伸びる小川の周りに転がっている石の中でも一際大きい石が転がっている。丁度者が置けるように平らに削られており、位置としては俺と奴の間の丁度中間ぐらいだった。
「先に風成さんを解放しろ!」
「何様だお前?自分の方が有利だと思うなよ、パネルの方が先だ」
「……ッ!」
人質がいる分確かにあっちの方が優勢だ。ここは大人しく従うとしよう。
俺はその石へとゆっくりと歩いて近づく。いつ奴が不意打ちしてくるか分からなかったので警戒もしていた。
「触渡君!私に構わないで!そんな奴に渡さなくていい!形見なんでしょ!?」
そう、俺が持っているパネルの中には2人も幼馴染の形見も含まれている。正直言ってこんな屑に触らせたくもない。だが――
「風成さん、すぐに助けるから待ってて」
そのせいで彼女の身が危なくなるのはもってのほか、形見を失うより友達を見捨てる行為の方が、あの世にいるあいつらに叱られるだろう。
俺は石に持っているパネル全部を乗せ、そのまま元の位置まで引き下がる。次に怪字もその石に近づき、俺が置いたパネルを拾い、枚数と漢字を確かめ始めた。
「『疾風迅雷』『怒涛』、『八方美人』に『金城鉄壁』、『葉』『知』『秋』……そして『一触即発』……約束通り全て持ってきたようだな」
「さぁ!風成さんを今すぐ返せ!」
「ああいいぜ……今解放してやるよ!!」
すると明石鏡一郎は持っていた鏡を後ろを振り向くと同時に上に投げ、そのままブーメランのように投げられた鏡は風成さんを吊るしていたロープを切断した。
「きゃああああああああ!!??」
当然彼女は真っ逆さまに落ち、その際目を瞑りながら悲鳴を上げている。その様子を見て奴は憎たらしい笑顔で笑い始める。
「ぎゃはははは!!これだよこれ!!やっぱ女はあんな風に悲鳴上げてるのがお似合いだ!お前もそう思うだ――!?」
そして約束を破られた俺の反応を見ようとこっちに振り向いた途端、奴の表情は笑顔から声も出ない驚いたものとなる。
それもそのはず、遠くにいた俺が目の前にいるのだから。
「なっ――!?」
奴が驚いてる隙に奪われたパネルを一瞬で取り返し、そのまま横を素通りした。そのまま地面を蹴って跳び滝壺に落ちる寸前だった風成さんをキャッチし、反対側の地面に着地する。
「はぁ……はぁ……大丈夫?怪我はない?」
見たところ外傷はなく少し服が汚れているだけだったが、俺の顔を見た途端涙を流し嗚咽しだした。
「ごめんね触渡君……こんな迷惑かけて……」
「いや大丈夫だよ、歩ける?」
俺はゆっくりと彼女を下ろし、何とか間に合ったことに安堵していると、横から鏡のブーメランが飛んできた。
「どりゃあ!!」
それを蹴って弾き飛ばし、彼女の身を守るように前へ出る。明石鏡一郎は怪字の凶悪そうな面構えをより鬼のようにしこちらを睨みつけていた。どうやら相当お怒りのようだ。
「外に刀真先輩と勇義さんっていう刑事さんがいるから、急いで逃げて!」
「う、うん!」
そして今度こそ彼女を安全な場所へと逃がし、再び奴と1対1の状況になる。明石鏡一郎は歯軋りをし、両拳を握ってすぐにでもこっちに襲い掛かりそうな様子だった。
「てめぇ!今のは『疾風迅雷』の超高速だっただろ!!その四字熟語はさっきまで俺が持っていたはずだ!!どうなってやがる!!」
そう、今俺がしてみせた救出劇は「疾風迅雷」の超スピードを使って行ったもの、じゃないと風成さんが滝壺に落ちる前に奴からパネルを奪った後で助けるなんて芸当はできないにきまっていた。
しかしそのためには「疾風迅雷」の4枚のパネルが必要、その時俺の全てのパネルは明石鏡一郎の手の中にあったはず、どうやって高速で移動できたのか。
「これのことだろ……ふんぬっ!」
そして俺が奴に見せたのは「疾風迅雷」の4枚、俺はそのまま片手でパネルを握りつぶした。それを見た明石鏡一郎は驚く。パネルは燃やしても叩いても決して壊れたり無くなったりしない物、しかし俺はそれを片手だけで粉砕したのだから驚かずにはいられないだろう。
「偽物だよ。お前の渡したパネルはほぼ全部本物、だけど『疾風迅雷』だけは形だけ似せたフェイク、同じように加工した木の板に墨で漢字を書いただけのものだ」
予め俺たちは「疾風迅雷」だけ偽物を渡すように考えていた。先輩の伝家宝刀で木を程よく加工し、そこに天空さんが墨で書く。何故「疾風迅雷」かというと、風成さんがどんな感じで捕らえられているか分からないため、どんな状況でも彼女を救えるであろう「疾風迅雷」にしたのだ。
現に作戦は成功、奴はまんまと騙され、予想通り先に約束を破って彼女を殺そうとした。ならばこちらも破るのみ。
「お前があんな約束を守らないのは目に見えていたからな、それを逆に利用させてもらった」
「このぉ……!!よくもこの俺を……騙したなぁああ!!」
遂に我慢の限界が訪れた明石鏡一郎は鏡を投げてくるわけでもなく、そのまま真正面から殴りかかってきた。頭脳がある分特異怪字がまだ楽かもしれない。何故なら、こんな簡単に激情してくれるのだから――
「プロンプトスマッシュ!!!!」
俺は奴が触れてくる前に「一触即発」を使用、待機状態で迎え撃ち、カウンターとして重い一撃でぶん殴った。
結果奴が纏っていた鏡の水晶に大きくヒビが入り、そのままぶっ飛んで地面に激突、土煙を盛大に上げた。
「ようやくお前に一撃ぶっ放せた……いいか!今の俺は風成さんに手を出されて非常に腹が立っているぞ!!!」
すると土煙の中から2枚の鏡が飛んできたので、それを殴って軌道をずらして避ける。するとその鏡に奴の姿が映っていた。
(もう鏡の世界に――!?)
瞬間、俺は見えない何かに殴られ、そのまま小川に突っ込んで水浸しになる。土煙に紛れた明石鏡一郎は一旦鏡の世界に入ってその後に鏡を投げてきたのだ。
すると小川の水面を鏡に見立てて奴が飛び出してきた。そのまま殴ってきたので転がってそれを回避、起き上がると同時に跳びかかってその首を思い切り蹴る。
するとまたもや奴は鏡の世界に入った。また向こうの世界から一方的に攻撃するつもりだろう。そうはさせない――
「疾風怒濤!ゲイルインパクト!!」
俺は疾風怒濤で足元の水面を殴りまくる。まるで水中で爆発が起きたかのように水飛沫が上がり、水が辺りに降りかかる。
すると、水滴がまるで人の形の枠のように浮かんでる部分があった。俺がそこを思い切り蹴ると、鏡の世界にいるであろう明石鏡一郎にヒットする。
鏡の世界に入ると言っても現実の世界から完全に姿を消すわけじゃない。鏡の世界にいる奴に水がかかれば、現実世界からはその水が浮かんでいるように見えるのだ。
「糞がっ!!見えない筈の俺の攻撃しやがって!!そこもムカつく!!」
すると奴が現実の世界に戻ってきた。そして何枚も鏡を背中から出し、一斉に俺へと飛ばしてくる。流石にこの数は避けないと駄目だ……と思ったその時――
「はぁっ!!」
横からなんと刀真先輩が飛び出し、刀で何枚もの鏡を全て斬り落として粉々にした。
「先輩、風成さんは!?」
「彼女なら無事だ!だからこうして助太刀に来たぞ!」
どうやら風成さんの身は安全になったようだ。安堵してると刀真先輩の死角から数枚の鏡が飛んでくる。危ない、と声をかけようとした途端、銃声と共に鏡は撃ち抜かれる。
「勇義さん!」
離れたところで勇義さんが狙撃してくれたのだ。そして俺たちと合流する。
「油断大敵だぞ、宝塚」
「気づいてたよ、アンタほどドジじゃないんでね」
そうしてまた喧嘩しそうになるも、俺たち3人は並んで怪字と対峙する。状況は3対1、これなら少し有利だろう。
「ちっ……宝塚刀真となんとか対策課の刑事まで来やがったか……!」
すると明石鏡一郎は、どこから取り出したのか何と大量のパネルをこちらに見せてきた。それを見た瞬間、一気に警戒モードに入る。あんな量のパネルを何に使う気だろうか。
しかも驚くべきことに「兵」と、全て同じ漢字だった。あれなら四字熟語など作れないのに、何を企んでいる?
「後始末が面倒だからあんま使いたくなかったが……仕方ねぇ!!」
次の瞬間奴は持っているパネルを全部上に放り投げる。するとパネル1枚1枚が体を構成していき、いつしか大量の怪字が一度に出現した。
「なっ!?どうなってるんだ!?」
怪字は四字熟語でないと出現しない、しかし突如現れたあの大量の怪字は「兵」の1枚で現れ、しかも1枚1枚が怪字になった。こんなあり得ない光景を目にするのは初めてだ。俺と同様刀真先輩と勇義さんも驚いてる。
「俺らが作った人造パネルだよ、1匹1匹は雑魚だが数の有利で使えるのさ。といっても、『兵』の漢字しか作れないが……」
「人造!?パネルって作れるのか!?」
あまりの驚愕に馬鹿正直にそのまま奴に聞いてしまう。ただでさえ「パネルを使って怪字になる」ということも未だに疑問なことなのに、「パネルを作る」だなんてことは考えたことも無かった。そもそもどういう物質と物理法則でその存在が成り立っているのかすら分かっていないというのに、作ることなんかできるわけない。そもそも作る必要が無い。
突如現れたその怪字、呼称するなら「怪字兵」といったところか。その見た目はまるで古代中国の兵士のように山吹色の和服を身にまとい、その手には薙刀が握られている。皆頭部は鉄仮面に包まれており、サイズは人1人分と怪字にしては小さい。
怪字兵はこちらを確認すると、一斉にこっちへ突撃してきた。その数は両手で数えきれない程おり、まるで明石鏡一郎を隊長とした軍隊のようだった。
「怯えるな!全部倒せばいい話だ!」
するとこちら側は勇義さんがそう鼓舞し、十手を構えてその軍勢を迎え撃とうしている。俺と先輩もそれに乗り、刀と拳を構えた。
とにかく今は驚いている暇は無い。何としても奴を倒し、情報を手に入れなければ――