70話
俺はその後、失念の中ゆっくりと歩み出し、神社へと向かう。普段上り慣れている石階段も、今日はやたらと長く感じた。
そうして神社の中に入り、俺は天空さんに情けなく泣きつく。本当に悔しかった。あの場で彼女を守れなかった自分が、奴に勝てなかった自身の弱さが。
膝を床につき、彼の足にしがみつきながら今あった事をその通りに話した。第2の特異怪字が現れたこと、そしてそいつに風成さんを攫われて人質にされてしまったこと、今夜9時に奴の元に行き自分のパネルを渡さないといけないこと全て。
最初こそ叱られると思った。今まで一般人に迷惑をかけないのがルールだったのに、俺はそれを破るどころか敵の策略に嵌り人質まで取られたのだから。しかし天空さんは――
「とにかく落ち着け、刀真君と任三郎君も呼ぶといい」
そう言って俺を諭し、冷静にさせてくれた。
そうだ、いつまでも嘆いている暇は無い。今こうしている間にも風成さんが苦しんでいるかもしれないのだ。
俺は電話で刀真先輩と勇義さんをこの神社へ呼び出し、事の顛末を話した。2人も俺を攻めたりせず、最初からその特異怪字と人質の話になる。
「しかし第2の特異怪字か……しかも牛倉一馬の仲間、近いうち衝突するだろうと思っていたが、まさか1か月も経たないとは」
「触渡、何かそいつの顔に特徴は無いか?そいつも牛倉一馬のように犯罪者だったら俺が顔と名前を知っているかもしれない」
「特徴……」
そう勇義さんに言われたので、俺は少し唸った後近くに置いてあった紙とペンを持ち、スラスラと憎たらしい奴の顔をそこに描く。
あの狡賢そうな悪人面を我ながら上手く描けたと思う、今すぐにでもこの似顔絵にナイフなりなんなり突き刺したかったが、それを堪えて3人に渡した。
「発彦……お前結構絵上手いな」
「!!、この顔なら知ってるぞ!」
すると牛倉一馬の時と同じように刑事としての活動中にその顔を見たことがあるのか勇義さんがそれに反応した。正直期待はしてなかったがまさかこんなに早く分かるとは思ってもいなかった。
「名前は『明石 鏡一郎』、3人の女性を殺して現在指名手配中の男だ!牛倉一馬とは違って最近罪を犯した奴だぞ!」
「また人殺しか……!」
まだ2人だけだが特異怪字は殺人犯などといったろくでなしばっかりだなと思うが、まぁそうでもないとあんな残虐性は見せられないか普通。
それよりも注目すべきはその犯行内容だ。女性3人、益々彼女のみが心配になってくる。
「……そいつがお前のクラスメートを人質にしてパネルを渡すように言ってきた――その時間まで後4時間か……」
もう辺りも暗くなりかけ夕日が出ていた。約束の時間は9時、南の山の滝で奴は待っているはずだ。後で地図を確認すればすぐにそれらしき場所を見つけられた。周りには何も無い、こちらとしても都合が良い。
とにかく今は後4時間でどうにか奴への対抗を考えなければならない。
「……触渡、刑事の経験から言うが、明石鏡一郎はそんな口約束守らないと思うぞ。言ってたんだろ?『目撃者は全員殺す』って」
「だから見捨てろというのか刑事ぃ!!」
「早とちりしすぎだお前はぁ!!」
先輩と勇義さんがいつも通り喧嘩している最中、俺はその事で悩んでいた。確かに勇義さんの言う通り奴は例え俺が言う通りにパネルを渡しても彼女を殺すだろう、奴らにとって生かすメリットが無いからだ。
だからといって俺がパネルを渡さなくても殺される、勿論彼女の身を優先するのは当然だ。しかし馬鹿正直にパネルを渡したら駄目なのは分かっている。
「俺もあんな奴の思い通りなんかになりたくない……皆さん、どうか力を貸してください!」
元々は俺の落ち度だ。3人に深く頭を下げて頼む。これは俺1人でどうにかできる問題じゃないのは明白だ。
そうだ、今の状況は中学時代のような友達や仲間を作らなかった時にはできなかったことである
勿論風成さんという友達も作らなければ攫われることにはならなかっただろう、しかし俺は彼女と知り合えたことに後悔などしていない。寧ろ誇りに思っていた。
「……当然のことを頼むな、私たちにできることがあれば何でも言ってくれ」
「ああ、俺も刑事として、1人の男として、お前のために動こう」
「先輩……勇義さん……」
俺は力を貸してくれと頼んだ身でありながら、この2人ならそう答えるだろうと予想していた。それ程までにこの人たちを信頼し理解し合っているのだ。
「まずはそいつの能力を教えてくれ、まず話はそれからだ」
「はい、奴の四字熟語は『明鏡止水』、その能力は鏡の世界に入ることです!」
明石鏡一郎が持つ「明鏡止水」、その能力は鏡の世界に入れるというメルヘンチックなものだった。
現実で傷つけば鏡に映るそれも傷つくと同じように、鏡の世界でダメージを受ければ同じように現実の世界にいる自分たちも受けることになる。奴はそれを利用し完全に姿を見せない状況からこちらをジワジワと攻めてくるのだ。
ならば鏡を壊せばいいという話だが、奴自身背中から鏡を自由に出せるのでそれはほぼ無理だった。
しかもそれだけに終わらず、鏡間を光速で移動することができただ鏡に入るだけのものじゃない。
「鏡……か、今回も厄介な能力だな。『暗中飛躍』を思い出す」
これと似たような能力を持っていた怪字を以前出会ったことがある。影の中を魚のように潜水して泳ぐ「暗中飛躍」の怪字だ。姿を消せるという点においては同じである。
そんな奴をどうやって倒したのか、正確には倒したのは勇義さんだが、影を潜るといっても自分以外のものを影の中に入れることはできなかった。それを利用して倒したのだ。
(そうだ、絶対にあの能力には隙や弱点がある……それを探さないと)
俺は奴を倒すために、何か対抗策は無いかと必死に考えた。そしてさっきの戦いの様子を振り返り、疑問に思ったことや分かった事を整理する。
まず予想できるのは、「暗中飛躍」と同じように自分以外のものを鏡の中に入れられないということだ。明石鏡一郎は風成さんを攫う際、鏡の世界に入らずそのまま逃げていった。もし自由に物を出し入れできるなら俺の追跡を逃れるために一緒に入っているはずだ。
それに奴はこう言っていた。「鏡に映らない、だから鏡の中に入れる」と、その理屈はよく分からないが、ようするに鏡の世界と現実世界、どちらかに存在していない者だけが入れるという訳だ。それだと風成さんは無理である。
(待てよ……そもそも何で戦いの真っ最中でも鏡を出入れしてるんだ?ずっと入っていれば簡単に勝てるはずだぞ?)
そして考えている内に最も不思議なことに気づいた。鏡の世界から一方的にこちらを攻められるなら頻繁に現実の世界に戻らないほうが有利に立てるのに、挑発のつもりなのかこっち側の世界にいる方が多かった。
(もしかして……ずっと鏡の世界にいられるわけじゃないのか?)
もしそうだとしたら何故なのか、もしかしたらその理由に何か勝機が見つけられるかもしれなかった。ヒントがないか奴の行動、言動を思い返す。
『だがこの姿は鏡に映らない。だから俺は鏡の中に入れる!鏡の中に入れば当然現実の世界から姿が消える。それが「明鏡止水」の能力だ!』
『さぁね、でも運良く雨が降ってくれて助かったぜ』
『こんな風に鏡の間をまるで反射する光のように移動することもできる!別に鏡に入るだけが『明鏡止水』の能力じゃないのよ!』
『ふぅ……ならこれならどうだ!?』
(……まさか!)
ふとその予想が頭をよぎる。これが当たっていたとしたら勝てる方法が幾つも出てくる。
もしかしたら、何とかなるかもしれない……!
「んっ……何これ……?」
目が覚めると私は、何故か吊るされていた。場所は大きな滝がある場所で、その滝の近くで上にある木の枝に巻いてある縄で吊るされている。しかも高さも結構あり、落ちたら滝つぼに真っ逆さま、まず助からないだろう。
あまりにも現実離れした目覚めだったので最初は状況が理解できずボツーとしてたが、完全に起きるとゾッとする。下手に暴れたらおしまいだ、怖いけどジッとしておかないと……
「何でこんなことになってるの……?」
落ち着いて整理しよう。私は確か触渡君と一緒に下校していて、それで突然知らない男の人に……
「お目覚めか?」
声がした下の方を見ると、吊るされている私を見上げている男がそこにいた。
……思い出した。信じられないけどあの人が怪字になった時のことを、映像のように頭の中で再生する。
そいつは今は人間の姿になっており、愉快そうに私を見ていた。薄れていく意識の中で聞いたのは、私を人質にして彼のパネルを奪うという内容。
(そうだ、私攫われて……触渡君の足手まといに……)
私が早く逃げなかったばっかりこうして人質になり、彼の迷惑になってしまっている。私なんかが心配して見ていてもどうにもならないというのに……
――気になったのだ、彼の戦う姿が。最初に見たのは彼と出会ったばっかりの頃の病院で、その次は夏休みの入る前の橋の下で。それでていて逃げるのに必死で彼の戦う様子をあまり詳しく見ていないことに気づいた。
――私たちの為に戦う彼の姿を、今一度きちんと見たかった。しかしその結果逆に彼の迷惑となってしまった。
「なんだ?何でだんまりなんだよ」
すると今までヘラヘラと笑っていた様子の男が、突然真顔になってそんなことを聞いてきた。
「普通よぉ……『助けてー!』とか『殺さないでー!』とか、泣き叫んで助けを求める場面だろうがっ!何で何も言わない!」
そして段々とイライラしていき、突然逆ギレして私に怒鳴ってきた。いきなりのことで何て返したらいいか分からない私は困惑を隠せない。
「今まで殺してきたメス共はぁ!殺される最期まで俺に命乞いしてきた!俺のご機嫌を取るために、愛する夫を持つのに『俺のことを愛してる』とか馬鹿みたいなことを言ってきた女もいた!!」
殺してきた……?ひょっとしてこの人はもしかしなくてもとんでもない人なのでは……?
「それなのにお前はぁ!この状況でも平然としてよぉ!馬鹿じゃねぇの!?ムカつくんだよ……女なら男に媚びれよぉ!!」
そう言って更に怒り地団駄を踏みまくる。以上の言葉とその様子を見て私は、珍しく人に嫌悪感を抱く。
「……そんな子供みたいなこと言って、恥ずかしいとか思わないんですか!?サイテーですよ!男性として、人として!!」
そして精一杯の反抗を、叫び声としてそいつにぶつけた。そうして更に怒ると思ったが、逆にニカッと笑ってきた。
「ああそうかい……そんな糞みたいな強がり、これを見ても言えるのかよぉ!?」
そう言って男は何かを自分の胸に挿入する。すると男の体は見る見るうちに新たな肉体に包まれていき、触渡君と戦っていた怪字の姿になった。その一部始終を見た私は恐怖し息は呑んだが、叫び声は絶叫なんか上げずに堪えた。今ここでそんなことをしたら、こいつの思うつぼだ。それだけは悔しくてたまらない。
「へっ、あいつが来る前に痛めつけておくか……それなら少しは怖がるだろうよ!」
次に背中から大きな鏡を2枚出し、それを片手ずつで持ってこっちに投げようとしてきた。私は両目を瞑って覚悟したが……
「待て!俺なら今来たぞ!」
聞き覚えのある声、いや今一番聞きたかった声が辺りに響いた。その瞬間男も投げる動作を中止し、声の出どころの方を見る。
そこには、必死な表情の触渡君がいた――