69話
突如として現れたその怪しい男は、俺たちの目の前でパネルの力を使い特異怪字へと変貌を遂げる。
その姿は全身が鏡のように物を映す水晶で固められており、目も口もその間からはみ出ている形になっていた。
姿勢としては若干猫背でこちらの頭1つ分向こうの方がデカい。そして魔導士のようなローブを羽織っており両手の甲には何か発射できそうな穴があった。
明鏡止水……邪念、曇りが一切無く静かに澄み切った心のこと。曇りの無い「鏡」、静かな「水」の意味。
奴の使った四字熟語を見たがそれは「明鏡止水」、その意味と奴の性格はまったくと言っていい程マッチしてない。その外見だって意味に似合っていなかった。まぁ怪字にそんなことを求めても意味が無い。
それよりも問題は風成さんだった。俺たちでさえあまり慣れていない人が怪字になるという現象に対し驚きが隠せないのか、腰を抜かして奴をただずっと見ていた。無理もない、俺も始めて見た時同じような感想を言うだろう。
「あぁあ……っ」
すると怪字になった男は肩が凝ったように両肩を回し、両腕を地面に伸ばす。その時声を漏らしていたが、やはりこいつも喋るのか。特異怪字になっても言葉を発せられるのは牛倉一馬の件で分かっている。
「これさぁ……パネル入れる時結構痛いんだよな~」
そういえば奴の使ったパネルにも例の装飾品が付いていた。やはりあれに何かカラクリがあると見た。
怪字は余裕のつもりなのか、俺と対峙しているのにも関わらず柔軟体操やストレッチで体を動かしている。こうしてみると中々シュールな光景だが、決して笑えたりするものじゃないが。
すると奴の足元にある大きな水溜りに自然と目が行った。踏まれたせいで大きな波紋ができていたが、注目すべきところはそこではない。
(……鏡に映っていない!?)
その水溜りは、鏡のように景色を映し出しているが何故か真上にいる怪字だけ見えない、元からそこに存在してないように映っていなかった。
そして次の瞬間、怪字が水溜りに吸い込まれた。
「なっ!?」
勿論その水溜りに怪字が入れるほどの深さは無い。しかしまるで潜水したかのように奴はそこに姿を消し、俺の目の前からいなくなった。
一体どこへ行ったのか、辺りを見渡すがその姿は無い。念のため後ろの方向を振り向くと、この場から逃げようとしている風成さんだけではなく、今さっき水溜りに潜った怪字が彼女の真後ろにいた。
「――だらぁああ!!」
気づけば俺は奴へと突撃し、彼女に振り降ろされている拳を急いで払いのけた。もう少し遅ければ彼女に当たっていただろう、危なかった。いやそれよりも、何故彼女を狙ったのか、俺はそれに対する怒りで一杯である。
俺は怪字の腕を抑えながら睨みつけた。
「伊達にパネル使いとして戦ってきたわけじゃないか……中々のパワーだ」
「そいつはどうも……風成さん早く逃げて!」
「う、うん!」
俺が奴を抑えている間に風成さんを逃がし、それを確認すると改めて目の前の敵に集中した。
すると怪字がもう片方の腕でこちらを殴りつけてきたので、俺も片手でそれを受け止める。いつの間にか俺たちは相撲のように掴み合ってる形になっている。
「何故彼女を狙ったぁ!?」
「なぁに……ちょっとお前と彼女との仲に嫉妬してねぇ!!」
奴は両腕を大きく広げ俺の手を外し、そのまま右足で掬い上げるかのように蹴ってきた。それを腕で受け止め、カウンターとしてその腹を殴ろうとしたがまたもや水溜りに潜られて避けられた。
(また消えた!どんな能力だ一体!!)
さっきみたいにまた予想もつかない場所から現れるかもしれない。周囲に警戒するが、奴の姿は見えない。
しかし俺は、見えない何かに頬を思い切りぶん殴られた。
「つぁあっ!?」
そしてそれに伴い、腹、肩、背中、全方位から殴打が押し寄せてきた。まるで見えない何かに痛めつけられているようだ。
「八方美人!!」
そこで俺は八方美人になり、自動回避能力で見えない攻撃をどんどん避けていく。そのまま避けると同時に蹴りを放つ。
すると俺の足は、見えないがそこにいる何かに命中し、その感触と反動も足から伝わってきた。
見えないだけでちゃんとそこに存在はしているのだろうか?そう思ってた矢先、怪字がその姿を現す。
何と奴はさっきのとはまた違う水溜りから姿を現し、肩から上を水溜りから露出させた。
「……もしも鏡の世界ってやつがあるなら、人間は何故そこに入れないと思う?」
そして一気に水溜りから飛び出て俺に飛び膝蹴りを放ってきた。それに対し両手を重ねて防ぐが、その威力によって後ろの壁まで追い詰められてしまう。
そこで怪字は右手を握って殴ってくる。それを避けるとパンチは壁に当たり、その部分を粉砕した。
「それはな、鏡から入ろうとすると鏡の世界にいる自分が自分と同じ動きをして邪魔してくるからだよ!!」
奴のパンチを避けたが、追撃のキックは回避できずそのまま腹部に見事命中する。そして怪字は俺の頭を掴みそのまま地面に叩きつけた。地面は凹み、まるでクレーターのようになる。
「ぐはがっ!?」
「右手を鏡に付けると、向こうの自分もそれに重ねるように左手を付ける。頭から入ろうとすると向こうの頭部がそれを邪魔する。つまり、鏡の中の自分が邪魔で入れないんだ!」
怪字は倒れている俺を何度も踏みつけ、念入りにダメージを与えていく。やがて飽きたのか踏むのを止め、俺の腕を握って体を持ち上げた。
「だがこの姿は鏡に映らない。だから俺は鏡の中に入れる!鏡の中に入れば当然現実の世界から姿が消える。それが『明鏡止水』の能力だ!」
(か……がみ……!)
合点がいった。奴の姿が見えなかったのは鏡の世界から俺を攻撃していたというわけだ。何ともメルヘンチックな能力だ。
「鏡の世界と現実の世界の違いは左右対称だけ、現実の世界でお前が傷つけば当然鏡の中のお前も傷つく。逆に鏡の中のお前が攻撃を受ければ、現実のお前も受けることと同じってわけ」
そうして無防備になった俺にもう一発拳を食らわせようとしたが、上手く体を反らせたことにより何とか回避、その勢いのまま俺は奴の手から抜け出した。その際、片足が水溜りを思い切り踏みズボンが濡れたのを見て、あることに俺は気づいた。
「もしかして、この時を狙って襲ってきたのか?」
「さぁね、でも運良く雨が降ってくれて助かったぜ」
やっぱり雨上がりのこの時を選んだのか。
普通鏡と言ってもそんじゃそこらに転がっているわけでもなく、場所を間違えればその能力も使えないに等しい。
しかし何もしなくても鏡ができることがある、それが雨による水溜りだ。水面を鏡として扱えれる。話を聞くに鏡が入り口らしいからな。
「といっても、こんな手もあるんだぜ!」
すると突然怪字が蹲ると、その広い背中を計8つの突起物が突き出し、そのまま奴の背中から分離した。
それは大きな鏡、正六角形で怪字の周りを浮遊している。そのサイズも奴が難なく通れそうな広さだ。
一体あんな大きな物をどうやって背中に収めていたを疑問に思っていると、8枚の鏡はブーメランのように回転しこっちに飛んで来た。
「がぁあっ!?」
最初に来た2枚はジャンプして回避できたが、その次の3枚目に右肩を斬り裂かれてしまう。血飛沫が上がりながらも残りの鏡はパンチやキックで軌道を逸らして避けた。
そうして俺を通過した8枚の鏡は各々で軌道を変え、俺を取り囲む形の位置で静止した。
(何をする気だ……!)
嫌な予感がした俺は鏡の間を通って抜け出そうとするも、突如の横からの攻撃それを阻止された。
怪字が鏡から飛び出しその勢いで俺を殴り、そのまま進行上にあった鏡の中に入る。それを高速で何度も繰り返し、俺を手足も出ない状態にしてジワジワと攻めてきた。
「こんな風に鏡の間をまるで反射する光のように移動することもできる!別に鏡に入るだけが『明鏡止水』の能力じゃないのよ!」
奴の言う通りまるで光速のように鏡でできた包囲網の中を飛び交い、俺に攻撃してくる。目で追おうとしてもあまりにも速すぎて次の動きが予測できないのだ。
「どうよ!?この速さについてこれるかなぁ!?」
「別に……結構簡単なことだ!」
ここで俺はさっきと同じように「八方美人」を発動、攻撃を自動で察知して自動で回避する能力、これならこの速さにも対応できるだろう。
しかし最初こそ奴の攻撃を避けたりカウンターとして一撃与えることができていたが、次第にどんどんそのスピードが凄まじくなり攻撃を受けることも増えてきた。
(「八方美人」でも捌ききれない!?こんなスピード初めてだ!)
「できるわけねぇだろ!!光速だぜ!?どんなに優れたパネルでもこのスピードにはついてこれねぇよ!」
すると1枚の鏡が俺の足元に移動し、そこからいつの間にか鏡の中に入っていた怪字が飛び出して俺の顎に重いアッパーを食らわせる。そして空中で回り蹴り飛ばした。
蹴り飛ばされた俺はその先にあった鏡に当たるも粉砕し、そのまま地面を転がる。その破片も体中に突き刺さった。
俺はすぐに立ち上がり、左手に刺さった鏡の破片を抜き、痰のように血反吐を吐く。気づけば残りの鏡も全て粉々になっていた。それと同時に奴の姿も消えていることに気づく。
また鏡の世界に行ったのだろう、姿が見えないのでどこにいるのかまったく分からない――そう思っていた。
「そこかっ!!」
「ぐほがっ!?」
俺が裏拳で後ろを殴ると見えない何かに当たった。恐らく奴だろう、しかも感触と位置からして顔にブチ当てれた。
「この……結構やるじゃねぇか!」
見えないが声がする。そこにいるのは分かっている。しかし何故最初に奴の位置が分かったのか。
俺は持っていた鏡の破片を通して後ろを見ると、そこにはこちらに向かってくる怪字の姿が映ったのだ。だから背後から殴ってくることを察知して逆にこっちが先に殴ったというわけだ。
次も鏡の世界から攻撃してくるだろうと思っていたが、遠くにあった水溜りから姿を現してくる。
「ふぅ……ならこれならどうだ!?」
すると奴はまた背中から6枚の鏡を発射、空中に向かって飛んでいくそれを警戒したが、本当の意図はそれじゃなかった。
「ビーム!?」
奴が右手を突き出し左手でその手首を握ると、そこから光線を発射してきた。真っ直ぐこちらへ飛んでくる。
それを高く跳んで回避したが、ビームは俺の後ろにあった鏡に反射、斜め上に伸び空中の俺に再び向かった。
「おっと」
しかしそんなことは読んでいたので、体を曲げてギリギリのところで避けることができた。
2度目も避けられた光線は、再びその先にあった別の鏡に反射しまたこっちに飛んできて真下にいる俺に降り注いだ。
「疾風迅雷!」
しかし「疾風迅雷」で当たる前に着弾点から離れ、そのまま怪字のところまで走り去りその腹を殴る。しかし右手で受け止められてしまった。
「よくビームの軌道が分かったな……結構不意打ちのつもりだったんだけど」
「ビーム撃ってきたことは驚いたが、鏡で反射させてくるのは分かってたよ。如何にも鏡を操れる奴が使う手だ!」
「じゃあ……これは読めていたかな!?」
すると突然背中に激痛が走る。振り向けば1枚の鏡が知らぬ間にこっちに飛んできて俺の背中を切っていたのだ。
俺は振り向くと同時にその鏡を叩き割り、そのまま落ちていた石を投げて宙に浮いていた残りの鏡も割った。
するとまたもや奴は鏡に入り、こちらを殴ってくる。俺も殴られた直後にカウンターを入れるが虚空を突き抜けるだけで怪字に当たらない。
「この……見えない所から……!」
そこで俺は足元の水溜りでその位置を確認、それで俺の右側にいることが分かったのでその方向に蹴りを放った。
しばらくすると俺から離れた位置で姿を現し、キックが当たったであろう個所摩りながらこっちを睨んでいる。
「なんだよ……結構強いじゃなぇか。もうちょっと弱いかと思ってたぜ。やっぱこういう真正面から戦うのは駄目だな俺」
「はっ――どの口が言うか。鏡の中でコソコソと」
「そういう意味じゃないんだよ。俺のやり方は……ちょっとずるい手を使うのが主流なんでね」
すると怪字は後ろを振り向く、そっちに何かあるのかと俺も体をずらして同じ方向を見てみるとそこには……
「か、風成さん!?」
逃げていたかと思われていた風成さんが、路地裏に姿を隠しながら俺たちを見ていた。彼女も見つかったことに気づいたらしく大変驚いていた。
まさか、俺のことを心配して……
「……まさか!!」
ずるい手、その言葉の意味がようやく分かった。急いで彼女の元に駆けつけようとするも、既に奴が彼女の目前まで迫っている。
「させるかぁあああ!!」
俺は「疾風迅雷」でその場へ一瞬で移動しようとするも、奴が作った鏡に遮られて少しの間遅れてしまう。鏡を跳び越えた時には、彼女は気絶させられ奴に抱えられていた。
それを見た瞬間、俺の怒りは頂点に達する――
「貴様ぁああああああああ!!!」
「おっと動くなよ、ベタな台詞だが彼女の可愛い顔が台無しになるぜ?」
すぐに助け出そうとするも、風成さん自身を人質にされ無暗に動けなくなり、ただその場で立っていることしかできなくなる。
「人目を気にしないとは言ったが、そうのんびりしてるとお前のお仲間さんに来られちゃうかもな」
「彼女をどうするつもりだ!?」
「今日の夜9時、この町の南にある山の滝でこいつと一緒に待ってる。そこにお前1人で来て持っているパネル全部渡しな。いいか?少しでも遅れたら容赦は無いと思え」
最悪だ、俺が油断していたせいで彼女を危険な目に遭わせてしまった。何とか取り返そうもこいつが本当に容赦しないことはこの戦いのやり取りで理解している、下手には動けない。
「宝塚刀真の分はお前の後でいいや、絶対に1人で来いよ。この能力じゃ複数相手はキツイからな」
怪字は風成さんを脇に抱えたまま背中から大量の鏡を取り出し南の方角の空へ並べていく。それに加え奴の足元にも鏡が置かれた。
「バイバイ、俺も彼女もお前を信じてるからよ!」
そう言って勢いよく足元の鏡を踏みつけ、次の鏡へと一瞬で移動、それを繰り返してあっという間に空へと消えていった。
奴が移動として使い終わった鏡が順々に割れて降りかかる中、俺はただ後悔に心を呑まれ、情けない自分に対しての叱咤がそこで響き渡った。
「あああああああああああああ!!!!」
いっそ誰かに叱られていた方がマシだったかもしれない。きっと天空さんならその後に慰めてくれただろう。
鏡の破片が散らばる地面を拳で何度も殴るのを止められない、例え血だらけになっても俺の怒りが治まることはなかった。
「畜生がぁっーー!!」