53話
突如としてやってきた勇義さんに言われた「怪字退治から身を引け」、最初こそその言葉に呑み込まれそうになったが自分の意志を強く見せ、その言葉に反抗する。
それを予想していたのか意外だったのかは分からないが、勇義さんの表情は一切崩れない。そして溜息を吐くと同時に、まるで説教をするような口振りで話しかけてきた。
「いいか?これは大人のやるべきことであって、お前たちのような子供が死ぬ覚悟を持ってまでやることじゃないんだ!」
「人を助けるのに大人も子供も関係ない!自分が子供だからと言って目の前の怪字を放っておくなんてことはできません!」
「そんな綺麗ごとは、この傷をどうにかしてから言え!」
そう言って勇義さんは俺の右手を引っ張り、包帯が巻かれた右腕が周りに見えるようにする。さっき怪字に噛まれた痕だ。二重の意味で痛いところを突かれたので思わず目をそらしてしまう。
他にも噛み千切られた脇腹、刀真先輩の腹の噛み痕、他にも奴から受けた傷はまだまだある。これらが俺たちの未熟である証拠だった。
「俺は1人の刑事として市民の平和を守るのが仕事だ。その市民の中にお前たちも入ってることを忘れないでくれ」
「だからと言ってもう俺たちは下がれません!俺も子供の頃怪字の事件に巻き込まれた被害者のようなもんです!そんな今更……」
「発彦の言う通り、私たちはもうパネル使いとしての歩みを進めている。それを子供だからと言って足を止めるわけにはいかない」
さっきまで興奮していた刀真先輩も落ち着きを取り戻し、俺の言葉に便乗してきた。どうやら先輩も同じ想いのようだ。
そうだ、今ここで怪字退治を辞めてしまったら、今までの努力が全て水の泡だ。先輩の「怪字の呪いを終わらせる」という想いや、俺が2人の幼馴染を犠牲に手に入れた想いも消えてしまう。
――もう後には引けないのだ。
「任三郎君、今日は一回帰ったらどうだ?もしこいつらを説得する気なら1日じゃ足りない」
「――分かりました。今日の所はこれで」
勇義さんは溜息を吐いた後、荷物をまとめて帰る準備をする。しかし俺たちの想いが通じて観念したわけじゃないだろう、手は動いていてもその目はずっと俺たちを見ていた。
「……考えが改まったら警察署に来るといい、まぁすぐに来ると思うがな」
「俺たちの決心は絶対に変わりません、諦めてください」
「すぐに分かるさ、戦いの怖さが」
そう言った後、部屋から出ようと襖へと向かっていく。しかしその時、勇義さんは躓いてしまい、盛大にズッコケる。
「ぶけぇっ!」
瞬間、先ほどまでこの空間に張り付いていた冷たさが一気に消え、その後何とも言えない微妙な雰囲気になる。
勇義さんはしばらく転んだままの状態でいると、何事もなかったかのように立ち上がり……
「と、とにかく、また来るぞ!」
そう吐き捨てて帰っていった。
最後まで格好がつかない人だったなぁとその背中を何も言わずに見送り、また沈黙が始まる。
いけない、このままだと何も喋れない。話を進めなければ。
「すいません天空さん!お知り合いにあんな大きな態度してしまって……」
「いや構わない。任三郎君も言い過ぎた節があるし、何しろ初対面だからな」
「発彦、お前良く怒れずに済んだな。私は腹が立って仕方なかったぞ!」
一見冷静そうに見える刀真先輩だが、こうしてみるとその時の感情に流されやすいというか意外と感情を出す人だ。あんなに怒りを見せている先輩は始めて見たかもしれない。
「まぁ確かに少しだけイラッとはしましたけど怒るの嫌いなんで……」
「そう言えばそんなキャラだったな」
「キャラって……」
それだと俺が自分のキャラ付けのために怒りを抑えているように聞こえるので止めてほしい。先輩の言うことも最もだ。しかし俺は、勇義さんの言葉が分かったような気がする。
「でも……あんな言い方をするのは俺たちのことを本気で心配しているってことだと思うんです」
「心配してる……?」
「言ってたじゃないですか、『刑事として』って……俺たちを守るべき存在として見てくれているんですよ」
じゃないとあんな言い方はしない。ただ子供を目障りに思っているだけならもっと他に言い方がある。だけど勇義さんは俺たちの身を案じているような口ぶりだった。
「うーん、お前の言いたいことは分かったが、それでも私はどうしてもあの人のことが気に食わない!まるでこちらの事情をまったく理解しようとしてないように見える!」
「……それ、先輩が言います?」
勇義さんのあれを「事情を理解しようとしていない」と言うのなら、初めて会った時の刀真先輩も大概だ。あの時は「一のパネルを寄越せ」としか言っていないような気がする。まぁ今となってはお互いの家に遊びに行くくらい仲が良くなっているが。
「発彦、それに刀真くん。心配しているという部分では任三郎君と同じだ」
「天空さん……」
そう言って険しい表情をした天空さんが自分たちの傷を見つめてくる。
やばい――また酷い傷を受けてきたから叱られるかもしれない。合宿の時の傷で入院した時もめっちゃ病室で怒られたというのに。
「私は戦うなとは言わない……だけどお前たちが無茶をするたびに心配し、悲しむ人がいることを忘れるな」
「……はい」
「多分彼も、こんなことを伝えようとしていたんじゃないかな?」
「どうだか……」
どうやら刀真先輩はとことん勇義さんのことが嫌いになったらしい、天空さんの弁護も素直に受け取っていない。
だけど俺は、もう一度話がしたいと思った。今日はこんな急な日だったからお互いの気持ちが整理できていないだけで、落ち着いて話し合えばきっと理解し合える。
俺は怒るのが嫌いだ。だから、他人を理解することを大切にしていかないと――
そう言えば、考えが改まったら警察署に来るといいと言っていた。別に今の気持ちが変わったわけじゃないが、明日にでも行ってみようかな。
まったく、想像以上に話が通じ合わないガキ共だった。少しは叱ってやれば大人しく引き下がると思っていたが、中々強情だった。世間的にはあいつらを勇敢と褒めたたえるかもしれない。だけど俺には、無謀としか捉えられない。
ただ天空さんや宝塚家先代当主、他のパネル使いが何と言おうが、俺は1人の刑事としてあの2人は見過ごせない。
俺たちの仕事は、市民の平和を守ることだからな。
他のパネル使い、そこから虎鉄さんと鷹目さんのことを思い出した。
5年前、俺が前代未聞対策課に所属したばかりの時に課長に命じられてあの孤島へ修行しに行ったのだ。そこで戦闘技術、パネルの本質を学びまくった。
そして先日、久方ぶりに電話越しで話した。どうやら特異怪字に自分たちのパネルを奪われ、しばらく怪字退治から引退するそうだ。
その時、何だか嬉しそうな声でとある少年たちの名前を出してきた。自分たちが戦えない状態になっているというのに呑気なものだ。と最初は思っていたが話を聞いていると次第に興味がわいてきた。
かつてお世話になったこともある海代天空さんの弟子である「触渡 発彦」、代々怪字退治を行っている宝塚家の17代目若当主「宝塚 刀真」、虎鉄さんたちはその2人が最後の教え子になるかもしれないと。まだまだ若いが才能があって決意が強いとも聞いた。
……今の感情を言葉で言い合わすとするなら、「怒り」に似ている。
誰に対してだ?ガキのくせに戦っているあいつらか、それともそんな子供に全てを託した虎鉄さんたちに対してか?
否――子供に戦わせている現状をどうにもできない自分に対してと、その現状を生んでいる怪字とパネルに対してだ!
寧ろ、子供を戦わせないといけないレベルにまでパネル使いの減少も問題かもしれない。
パネル使いや俺たちのような対怪字部隊の人間、怪字による戦死での年間死亡者数は約50人、日本の総死亡者数を分母にすればほんの少しだろう、しかしパネル使いの残り数から見れば中々の大きな数字だ。
それに加え怪字との命懸けの戦闘を経験して、戦うことが恐ろしくなり、次々と引退していく人も増えつつある。
昔はパネル使いがもっといたらしいが大正時代から一気に減っている。時代と共に衰退しつつあるのだ。
だから彼らのような子供を戦わせるのはしょうがないことか?否、断じて否――
俺たちの戦う理由、それは「市民や未来ある子供たちの平和を守ること」だ。そのために、その子供たちを戦場に連れ出すというなんて本末転倒だ。
――これは天空さんから聞いた話だが、どうやら触渡発彦はとても自己犠牲の念が強いらしい。前回の戦いでは、自分の左手を犠牲にするつもりで怪字を倒したという――
そしてさっきの怪字戦でも、俺の手助けをするために危ない状況に突っ込んできた。
そして右腕を噛まれ、脇腹は噛み千切られる。あの刀真とかいう生意気な奴も腹に包帯を巻いていた。普通の高校生なら、あんな傷は負わないだろう。
さっきは少し厳しい言い方をしてしまったかもしれない。しかしそれは彼らの為でもある。
怪字や呪いのパネル、それらが何の悪意で生み出されたかは俺は知らない。しかし、彼らも含めて数多の不幸を呼んでいるのは事実。
――これ以上、危険な目に遭わせられない!
やはり、ここは俺の出番だ。大人で頼れる刑事の俺が――
さてと、とにかく今は警察署に行かなければ……ん?
「どうわぁ!!犬の糞!!」