32話
合宿が決定された一週間後、俺たちは今船に乗って海を横断していた。潮風が頬にかすり、何とも心地の良い雰囲気だ。船に乗っているのは俺と刀真先輩と天空さん、そして操縦している人の4人。全員が爽やかな気分を味わっていたと思ったが、一人だけ顔色を悪くしている人がいた。
「ぬおお……吐きそうだ」
刀真先輩だ。青色の顔でずっと海を眺めている。所謂船酔いというやつだ。
先輩が初めて乗った船がこの船で、今まで船なんか乗ったことなかったので自分が船酔いに弱い体質だと気づけなかったらしい。
「まさか私が船酔いするなんて……不覚」
「あとちょっとですよ、頑張ってください」
しかしどんなに気持ち悪くても先輩が帰ると一言も言っていない。それほど目的地の孤島に着くのが楽しみなんだろう。それは俺自身も同じだった。
宝塚さんは「息子にはまだあの孤島での修行は早すぎるのでは?」と、少し渋っていたが刀真先輩の必死な説得によって何とか認めてくれた。
今日はいよいよ合宿当日。今日から一週間の泊まり込み修行が始まるのだ。
「島が見えてきたぞっー!」
すると同伴している天空さんが島の方向を指す。船の先頭に行き、その孤島を目にする。
「うおお……」
そこは孤島といっても思ったより広く、更には木が生い茂った大きな山が聳え立っていた。
今自分たちが向かっている方向は断崖絶壁なので船が大きく旋回する。すると島の向こう側が見えた。太陽の光を反射してくる砂浜を沿っていき、木で作られた船着き場に泊まる。
こっちの方は人の手で開拓されており、私有地なので他の住人がいないことは当然だが少し離れた場所に小屋があった。あそこが居住場所なのだろう。
「ほら着きましたよ先輩!もう大丈夫です!」
「うぷっ……もう二度と船には乗らん」
帰りにまた乗るのでそれは叶わぬ願いだ。数分千鳥足でそこら辺をウロチョロしていると酔いが回復し、いつもの先輩に戻った。
「さて行くか」
「回復早っ!」
普段はあまり感じられない圧倒的な自然に圧巻している時、小屋の方から二人の男女が歩いてきた。
男性の方はそれはもう真っ黒に日焼けして更に着ているのはアロハシャツといったいかにも夏を満喫中という自己主張の激しい男だ。ガタイもよく、刀真先輩よりもでかい。
女性の方はスラリとしたモデル体型。涼しい恰好で麦わら帽子が長い茶髪を隠している。
どちらも旅行に来ている夫婦感があるがここに一般人はいない。するとどちらかがこの孤島の土地の持ち主なのだろう。
「お久しぶりです虎鉄さん、鷹目さん」
天空さんが敬語で話しかけたので確信した。この人が俺たちを鍛えてくれる人だ。
「久しぶりだな天空!!まったくたまには顔を見せに来い!」
「調子はどう?無理だけはしないでね」
虎鉄と呼ばれた男性は、その見た目から予想された通り大らかな性格で、鷹目と呼ばれた女性はおしとやかだった。話を聞くに天空さんの修行の時も2人がいたのだろうか?
「紹介しよう二人とも、この人が孤島の持ち主である『銅 虎鉄』さんで、こちらの女性が『猿飛 鷹目』さんだ」
「「よろしくお願いします!」」
「おう!お前が刀頼の息子か?」
「父を知っているんですか?」
「ああ、あいつとは同期みたいなもんでよ、昔この島の私有権を取り合って喧嘩したこともある」
「私有権?」
「虎鉄さんはこの島の前の持ち主の弟子でな、その人から貰い受けたんだ」
てっきり虎鉄さんが昔買った土地だと思っていたが、どうやら譲り受けたものらしい。それよりも宝塚さんと同期と言っていたが、どう見ても同い年ではない。宝塚さんの方が歳を取っている。それに対し虎鉄さんはあの人と同期と言うには若すぎる。
「鷹目さんと虎鉄さんはどんな関係なんですか?」
「同期よ、昔はよく刀頼君も含めてこの島を駆け巡っていたわ」
「父上と同期……?とてもそうは見えませんが……一体おいくつで――」
「女性に歳を聞くと痛い目見るわよ」
「あっはい」
天空さんにとっては先輩、そして宝塚さんと同期、これだけでこの2人がかなりのベテランだと分かる。
自分たちの先輩、その強さへの興味が更に深まる。
「じゃあ一週間、この子たちをお願いします。手加減しなくてもいいですよ」
「若い世代を鍛えるなんて久しぶりだ!ウズウズしてきやがる!」
「私はサポート専門だけど……頑張るわ」
「じゃあ発彦に刀真、英姿町の方は任せて思う存分鍛えられて来い」
「「はい!」」
そうして天空さんは船で英姿町へと帰っていく。向こうには宝塚さんもいるしどんなに強い怪字が現れても大丈夫だろう。気にする必要もない。
自分たちがもっとも気にするのは、今日から始まる一週間の合宿だ。
「じゃあ二人とも、早速始めるわよ」
鷹目さんの言葉に固唾を飲む。この日を楽しみにしていたとはいえ、あの厳しい宝塚さんが刀真先輩を行かせるのに少し躊躇したぐらいだ。余程厳しい修行なのだろう。
そう思っていた――だが
「今から座学の時間よ」
「「……えっ?」」
気が付けば俺たちは、小屋の中の席についていた。目の前には黒板があり、長い指し棒を思った鷹目さんが立っている。
窓から入る海風が何とも心地よく、少し暑かったが気にするほどでもない。まさに勉強するにはピッタリの環境だが問題はそこじゃない。
「あの……鷹目さん?」
「鷹目先生と呼びなさい」
「た、鷹目先生。何で俺たちは今勉強してるんですか?」
「それが合宿の日程だからよ。午前中の間1時間勉強して午後に体を動かす修行、それを一週間やってもらうわ」
「いやそうじゃなくて……」
「勉強する意義が知りたいのです」
ここで刀真先輩が立ち上がり、この時間への不満を言う。確かにこんな机に向かって必死に勉強しているぐらいなら体を動かした方が良いと思う。
「体を動かした方が良いって思っているでしょ、勿論そうだけど、この時間は今自分たちが持っているパネルをより良く理解するためなの」
「より良く理解するため……?」
「どんなに強い能力のパネルを持っていてもそれを使いこなせないんじゃ意味が無い、2人が持っているパネルとその能力は天空君と刀頼君から教えてもらったわ。だから、その効率の良い使え方を教えてあげる」
そう言うと彼女は黒板に向き直し、チョークで二つの四字熟語を書く。一つは俺の「八方美人」、そしてもう一つは先輩の「剣山刀樹」といった俺たちが持っているパネルだった。
「例えば君の『剣山刀樹』は広範囲に同時攻撃が可能な所が強み、だけど刀を生やす距離、位置、本数の数が多い程制御が精密になる。つまり剣山刀樹で味方を刺さず敵だけに攻撃するには、精密性と集中力、そしてそれを瞬時に判断できる判断力と瞬発力を鍛える必要があるわ」
剣山刀樹は「神出鬼没」の怪字戦の際使われ、先輩は俺を刺さずに怪字だけ攻撃するという芸当を見せたが、それが結構難しい事だと分かる。そういえばそれをした直後の先輩の顔はやたらと疲労していたようなしないでもない。
「そして発彦君の『八方美人』は四方八方からの攻撃に回避と防御、そしてカウンターが可能になる……言わば回避面においては最高と言っても過言でもない。だけど連続攻撃を受けた場合自分で避けるのを止めることができなくなるのが難点ね」
その点は俺も理解している。「疾風迅雷(怒涛)」の怪字の時に嫌という程分かった。
「だから貴方も、いつどういう場面で『八方美人』を使ったらいいかが分かるように判断力を鍛えた方が良いわ。そしてこれだけに言えることじゃないけど回避行動を長時間続けられるようにスタミナも鍛えること」
続々と自分たちが今成すべき修行が理解できる。プロの目線で自分たちの長所と短所を指摘されることによってその意味をより深く分かるのだ。
「それに2人は知らないかもしれないけど、昔のパネル使いたちはそんなに多くのパネルを持っていなかったわ。多く持っていても12枚ぐらい。それだけで怪字に勝てるほど自分を鍛えたのよ。まぁだからといって所持しているパネルを少なくしろとは言わないけど」
「なるほど!よくわかりました!」
すると先輩は納得と満足した顔で席に着く。正直言っていらないと思っていた座学の時間の重要性に気づけた。
それでも今俺たちが一番楽しみにしているのは体を動かす、つまり本格的な修行だった。
「すぐに体を動かしたくなるのは腕白男子の習性ね。でも、明日にはこの座学の時間が天国に思えるわ」
「……え?」
鷹目さんが言ったその言葉が理解できずモヤモヤしながらもキチンと彼女の教えを受けた。長いと思っていた1時間もあっという間に過ぎる。
そして待ちに待った修行が始まる――
(理解できた理解できた!!なるほどそういうことね!!)
時はまた1時間経ち、俺はさっき彼女に言われたあの言葉の意味を、森の中を駆け巡りながらようやく理解する。
その横で刀真先輩も走っており、普段冷静なその顔には焦りから出る汗が流れていた。同じく俺も逃げるように走っていた。いや実際逃げている。
「どうしたどうしたぁ!!逃げているばかりじゃいつになっても終わらないぞぉ!!」
後ろの方から俺たちを追っている人の声がする。その皮膚は銀色に輝き、次々と眼前にある大木を体当たりでへし折るといった、どんな障害物があってもまっすぐ俺たちを追ってきていた。
すると少し開けた場所へとたどり着く。周りが木々で覆われた隔離された場所だ。
あの人の言う通り、いつまでも逃げている場合じゃない。そのことをアイコンタクトで先輩と共有しここで迎え撃つことにした。
「行くぞ若造共ぉおおおおおおおおおおお!!!!」
そうして跳び出してきたのは、「銅頭鉄額」で全身硬化した虎鉄さんだった。
虎鉄さんは空中で上半身を引き、着地すると共に頭部を思い切り地面に叩きつけた。
「鉄額ッ!!」
その瞬間、地面には大きなクレーターができ、その衝撃と風圧で周りの草花が吹き飛ぶ。俺たちもそれで後ろに押された。
銀色の隕石が落ちてきたと思ってしまいそうな程強烈な威力。さっきまでここは草の絨毯だったのに整地されたみたいに荒れ果てている。
土煙の中を歩いて出てくる虎鉄さんは、まるで怪物のように見える。遠目で見たら怪字と勘違いしそうだ。
銅頭鉄額……勇敢で強いこと。槍や刀を通さない甲冑、またはそれを身に着ける勇敢な兵士のこと。銅の頭と鉄の額という意味から。
「さてお二人さん、もしかしたら君たちを殺してしまうかもしれないけど、その時は許してくれ」