24話
「おはよう風成さん……」
「……お、おはよう……」
今日の朝、触渡君は約束通り私の家にやってくる。しかしその顔はボロボロになっていたので挨拶が遅れる。
傷だけならそうだが、いつも温厚な彼にしては珍しく不機嫌な表情をしていた。眉をひそめてこっちを見ていた。
ひょっとして迷惑かけている私に苛立ちを……⁉︎
「ご、ごめんなさい!」
「えぇ⁉︎」
私のことで彼に朝足を運ばせているのは事実、つまり私のせいだ。それで怒るのが嫌いな触渡君をイライラが顔に出るまで迷惑かけたのだ。ちゃんと謝らないと……!
「私のせいで毎朝大変にして……怒ってるんでしょ?」
「違う違う!別にそんなことを思っていないよ!」
だけど彼は急な謝罪をしてきた私に驚き、慌ててその事を否定した。
一緒に登校している時に苛立っている理由を教えてくれる。何でも昨日、私を助けてくれた宝塚先輩が家に来て軽い喧嘩になったそうだ。しかもその先輩は触渡君と同じようにパネルを使って怪字を倒したらしい。
「へぇ~大変だったんだね……」
「本当にね……」
客観的にしか言えないが同情する。傷を見てればどれぐらいやられたかが分かった。
「それにしても、自分のことで怒れって言ったその日に喧嘩するなんて……触渡君本当に怒るの嫌い?」
「え⁉︎嫌いだよ!本当に嫌いだよ!」
少しからかってみただけだったけど、焦って必死に否定している彼の姿を見ていると自分が今狙われていることを忘れそうだ。
そうだ、そのことを再確認して思い出した。
「今日だね、ダンス大会」
「うん……何も起こんなきゃいいけど」
今日行われるダンス大会、授業を午前で終了し生徒は一度自宅に帰って好きな服で来てもいい。開始は18時、授業が終わったら結構時間ができる。
またこのダンス大会は、もしかしたら私を襲った犯人を見つけられるかもしれない。
犯行理由を学校のマドンナ神崎先輩と一緒に踊れる私への嫉妬と睨み、もしそうだとしたら今日中にまた狙ってくるはずだ。
その前に触渡君は神崎先輩に犯人の心当たりが無いかを聞こうとしていた。
「風成さん、学校に着いたら神崎先輩の教室に案内してくれない?」
「当然!」
かくして学校に到着し、風成さんの後を付いて神崎先輩がいるであろう3年の教室へと向かう。しかし神崎先輩の姿はそこに無い。聞くとさっき来たばっかりで荷物を置いてどこかに行ったらしい。
「どうする?」
「一時間目終わったらまた来よう」
そう提案し、自分たちの教室に帰る。道中、彼女がこんなことを聞いてきた。
「パネルってさ……1つの漢字につき1枚しかないの?」
「いや……詳しい数は分からないけど複数あるはずだよ」
例えるなら宝塚先輩が同じ漢字のパネルを2枚持っている。天空さんから聞いた話によると先輩のあの刀は「伝家宝刀」というパネルで形成された物。しかしあの人はその刀で「一刀両断」のパネルの技を繰り出した。だからあの人は「刀」のパネルを2枚持っているはずだ。
「じゃあなんで宝塚先輩は触渡君の『一』にそこまで拘るんだろう……」
「さぁ……」
歩きながら話していると、綺麗な黒髪を生やした女性と対面する。その美しい見た目を見て直感した。多分この人が……
「神崎先輩!」
頭で思うよりも風成さんのほうが早くその名を口にした。この人が神崎先輩。
想像以上に綺麗な人だ。
しかしその美しい顔は青色に染まっていて元気が無さそうだ。やたらと周囲を気にして挙動不審だった。
「風成ちゃん……!」
神崎先輩はこちらに気づくといきなり風成さんに跳びかかるように抱き着いた。
「先輩⁉︎いきなりどうしたんですか⁉︎」
風成さんの胸の中に頭を埋め、両手で彼女の体を放さないようにする。すると風成さんが気づいた。
「先輩……震えて……」
神崎先輩は怯えていた。それもこんなに動揺するほど。
何かあったに違いない。この怯え方は普通じゃなかった。
震える先輩を落ち着かせ、廊下の片隅に移動させる。とりあえず話をしよう。
「先輩、この人は私のクラスの触渡君」
「初めまして、触渡です」
「うん……よろしくね」
まだ震えながらも笑顔で対応してくれる神崎先輩。数分休み、懐から一枚の封筒を差し出してきた。封は既に開けられており、カッターで切られた跡がある。そして大きく「僕の神崎 美出へ」と書かれていた。
「これは……えぇと……」
「僕の」という字を見た瞬間嫌な気がした。今の神崎先輩の状態を見れば尚更だ。
中には三つ折りにされた一枚の手紙。内容は何となく予想できたが一応目を通す。書かれていたのは……
「うわっ……!」
「ひっ……!」
神崎先輩に対する愛、そしてダンス大会で一緒に踊ろうという誘い。そう言えばただのラブレターだと思うが、A4紙の上から下までびっしり文章で埋っていた。
風成さんは小さい悲鳴を漏らし、俺はドン引きする。まさしくストーカーからの手紙と呼ぶに相応しいものだった。
長い文章の中で「愛」「君は僕のものだ」といった言葉が多く見られる。挙句の果てに最後の文章では「僕の愛を受け取らないと殺してやる」といった脅迫じみたことまで書かれていた。
「今朝これが10通ぐらいポスト入っていて……」
「10通⁉︎」
その数字に驚きながらも、残りの9通も見せてもらう。ご丁寧なことに全て違う内容だったが、必ず最後には脅迫の言葉が書いてある。
「『今日学校が終わったら梶野橋の下で返事を待っている』……」
そしてその脅迫だけが共通していることではなかった。全ての分に「梶野橋に来い」と書かれている。
梶野橋というのは学校近くにある大きな橋のことだ。自分は使ったことないが多くの生徒が学校の登校下校時にその橋を使っているらしい。
「ねぇ触渡君……これって……」
「……うん」
恐らく高確率でこの手紙を出した人と風成さんを狙う人は同一人物だろう。その異常性、そして二つの問題には「ダンス大会」という共通点があった。
「実はですね神崎先輩、数日前から風成さんは誰かから狙われているんです。レンガやポリバケツを落とされたりと……陰湿なものを」
「えぇ⁉︎大丈夫なの⁉︎」
ここで彼女に風成さんに今起こっている現状を話す。するとすぐに風成さんの心配をした。二人の仲が良いのもあるだろうが、やっぱり神崎先輩が優しい人だからでもある。
「はい先輩!触渡君が助けてくれました!」
風成さんが自慢するかのように俺の名前を出す。正確にはポリバケツの件は俺ではなく宝塚先輩のおかげだが、まぁ宝塚先輩の名前を神崎先輩に教えても意味が無いので今は黙っておく。
「それで、推測なんですけどその犯人とこのストーカー、同一人物の可能性が高いんです」
「同一人物……何で?」
「多分犯人は神崎先輩に異常なほどの恋心を持っていて、神崎先輩と踊ることになった風成さんに嫉妬している……そういう推理です」
「でも……たかがダンスだけで……」
神崎先輩は納得しきれていない様子。本当に「たかが」であった。ダンス大会ごときで命を狙うなど言語道断である。だから犯人は歪んだ愛情を持っている人かただの馬鹿に限定されていた。
「それが本当だとしたら……私風成ちゃんに迷惑かけて……」
「いやいや!先輩のせいになんかしませんよ!悪いのはストーカーです!」
そう、全ての元凶はストーカーだ。ここで呼称が「犯人」から「ストーカー」へと変わる。
今回の事件で悪いのはストーカーのみ。神崎先輩でも風成さんでもない。
なので、少し懲らしめよう。
「神崎先輩、提案があるんですけど……」
「えっ……?」
4時限目終了後、生徒たちが下校する中、神崎美出は手紙に記載されていた通り梶野橋で差出人を待つ。
その心境は不安が多く占めているが、勇気を出してここへやってきた。
すると、誰かの足音がこっちに近づいてくる。後ろを振り返ると、そこには一人の男子生徒がいた。
普通の髪型で普通の顔、身長も高校生として平均的だ。特徴が無いがしいて言うなら体系が少しぽっちゃりだった。
「いやぁ、待たせたね」
神崎の顔を見た瞬間、その顔はいやらしい笑顔となり、普通じゃなくなる。その表情を見て神崎は身震いをする。
「来てくれて嬉しいよ美出……やっぱり僕たちは結ばれる運命なんだ」
「……」
その言葉に神崎は何も答えない。ただ黙っていた。
「ははっ、何もしゃべらないで……照れているのかな?笑った顔が僕は好きかな」
付き合ってもいないのにまるで恋人目線で話すその男は自分の名前を言った。
「僕の名前は『鬼塚 没夢』。まぁ知っているか」
勿論神崎は彼の名前など知らない。今日初めて顔を見た男だ。だが鬼塚は前から会っていたようにしていた。
「ここに来たってことは……僕は踊ってくれるということだね?嬉しいよ、ようやく僕の愛が君に届く。改めて告白しなおすよ……」
「……」
「僕と付き合ってくれ、美出」
すると鬼塚は片膝を付き、まるで王子のように手を差し出した。傍から見たら感動的な告白シーンだろう。しかしその内側は、そんな綺麗なものではない。もっと歪んだものだった。
その狂った告白の返事を神崎が言う前に……
「やめておいた方がいいですよ先輩」
誰かがそれを遮った。声の主たちは隠れていた草むらから姿を見せる。
それは触渡発彦と風成駆稲。ずっとそこで二人は待っていたのだ。
「っ⁉︎誰だお前は!僕の告白の邪魔をするな!」
「その人は先輩と踊りたいがために一人の女性生徒を傷つけようとしたんですから!」
「なっ⁉︎」
その言葉を聞いた瞬間、鬼塚の顔色が青くなる。その色を見て発彦は確信した。
(やっぱりこの人が犯人か……)
「いきなり現れて変なことを言うな!美出、信じちゃだめだ!僕はそんなことしていない!」
当然鬼塚はそれを否定する。告白時に自分の黒い部分を見せたくないのは当然だ。
すると彼は目を赤くし、憤怒の表情で風成を指さす。
「大体、僕がこいつにそんなことをした証拠が無いじゃないか!ろくでもない嘘で僕たちの愛の時間に入り込むなぁあ‼︎」
「風成さんにそんなことをした……?一体何のことです?」
「今お前が言ってたじゃないか!こいつを傷つけようとしたって……」
「僕は女子生徒って言いましたが風成さんとは言ってませんよ!」
「……はっ⁉︎」
かかった。鎌をかけてみたがものの見事にボロを出してくれた。これで犯人がようやく判明した。触渡の推理通り神崎絡みの犯行だった。
「鬼塚先輩、もう言い逃れはできませんよ」
「……くっ!」
何も言い貸せないのか、鬼塚は黙り込み、顔を赤くした。やがて強く地団駄を踏み始める。目を充血させ唾を飛び散らせながら思い切り叫ぶ。
「仕方ねぇだろ‼︎僕はどうしても美出と踊りたかった!だけどこの糞女が邪魔をしてきたんだ‼︎そんな奴は死ねばいいんだ‼︎僕と美出の愛の邪魔をする奴は皆死んでしまえばいいんだぁ‼︎」
そして半狂乱になり、神崎先輩に近づいて彼女の両手を強く握った。突然の出来事に先輩は小さく悲鳴を漏らす。
「美出!僕の美出‼︎君なら分かってくれるよね!君と踊りたかった、愛を確認したかった!ただそれだけなんだ!許してくれ、ちょっと暴走しちゃっただけなんだよ!」
怒気の表情から許しを請う笑みになり、目線を合わせる。どうやら本当に許してくれると思っているらしい。しかし……
「……触らないで」
「……えっ?」
当然そんなことはない。神崎は鬼塚の両手を振り解いた。
「私は風成ちゃんと踊りたかっただけ、貴方とは踊らないし、そもそも貴方のことなんか知らない!」
そう強く言い放ち、彼を突き放す。先ほどまで怯えていた神崎が強く言ったことに、触渡と風成は驚いた。きっと物凄く怖かったのだろう。足が震えている。
「……は、何言ってるんだよ?」
鬼塚の感情はさっきから不安定に変化している。今度は戸惑っていた。
目先の出来事が信じられないのか、目を回しゆっくりと後退する。呼吸を荒らし、苦笑いを始めた。
「そんなことない、美出が僕を受け入れないなんて……嘘だ!嘘に決まってる!僕の美出が……美出がぁ……‼︎嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……嘘だぁああ‼︎」
遂に常時不安定だった感情が爆発する。白目を向き、獣のように暴れ始めた。その目は、風成を捉えた。歯を食いしばり、怒りを目線で表す。
「お前だなぁ‼︎お前が美出を誑かしたんだなぁ‼︎」
「えっ……⁉︎」
「ふざんけんなぁあ‼︎今度こそぶっ殺してやるぅう‼︎」
そして逆切れして風成に殴りかかってきた。その拳が彼女の顔に当たりそうになった瞬間……
「させるかぁ!」
触渡が逆に殴ってそれを阻止する。殴られた鬼塚はそのまま地面に倒れてた。
触渡は倒れた鬼塚の胸倉を掴み、顔を近づけてこう言った。
「俺は怒るのが嫌いなんだ……これ以上……俺を怒らせるな!」
ここで彼のポケットから何かが零れ落ちる。生徒手帳だ。それを拾って読んでみると……
「……2年生⁉︎神崎先輩にタメだったから3年かと思った……」
自分とこいつが同い年なことに驚く。性格は我儘な子供のようだったが言葉遣いのせいで年上だと誤解していた。
「怪我はない?風成さん」
「何とか、ありがとね触渡君」
万事解決、全てが解決したので風成はホッと胸をなでおろす。これで不安要素は全て消えた。
触渡が神崎の方を向き、頭を下げた。
「すいません先輩、危険なことは分かっていたのにこんなことをやらせてしまって……」
「大丈夫、誰も怪我してないんだし」
この場所へ来る前、3人は作戦を立てた。神崎が犯人の話を聞いている途中に触渡と風成が鎌をかける。結果は見事上手くいった。感情が高まっていた分鬼塚も冷静な判断ができなかったのだろう。
「じゃあこいつ学校に連れていくか……」
今回の事件の全容を学校側に話し、この男には然るべき処罰を受けてもらわないと駄目だ。そう思った触渡は倒れている鬼塚に近づくと……
「……んだ」
「……はっ?」
「美出は……僕の物なんだ……誰が何と言おうが……僕だけの女なんだぁあーー‼︎」
鬼塚が急に立ち上がり、近くにいた触渡を押し飛ばした。その力は人間離れした怪力。鍛えているはずの触渡を簡単に倒す。
「ぐあっ⁉︎」
邪魔者がいなくなった、鬼塚は神崎に襲い掛かる。そして彼女の首を両手で絞める。
「きゃっ⁉︎」
「僕の物にならない君なんて……消えてしまえっ‼︎」
すると鬼塚の目が、理性を失い光が消える。それを見た触渡が気づく。
「嘘だろ……まさか!」
鬼塚はそのまま彼女の胸へと手を突っ込み、中から2枚のパネルを無理やり取り出した。描かれている漢字は「神」と「出」。
「パネル……ってことは」
そして今度は自分の体からも2枚のパネルを取り出す。鬼塚のパネルは「鬼」と「没」。不運にも神崎と鬼塚のパネルは四字熟語ができる組み合わせだったのだ。4枚のパネルでできる四字熟語は「神出鬼没」、パネルがどんどん体を形成していった。
その姿は、今まで見てきた怪字の中では珍しい姿をしていた。「疾風迅雷 疾風怒濤」の怪字は鳥の姿、昨晩の「猪突猛進」の怪字は猪だったが、この怪字は黒いマントを靡かせ、顔には白い仮面といった風体だった。両手からは長く鋭い爪が伸び、手足も異常に細い。何故立っていられるか不思議なくらい。
「そうか……だからあんなに興奮していたんだ」
パネルが体の中に入っていたというなら、鬼塚のあの性格も納得できる。あんな狂った性格ならもっと前にも同じようなことをするはず。しかし恋した女性がたまたま自分のパネルと適合するやつで、パネルに感情を乗っ取られていたのだ。
その怪字は叫ばず、暴れず、ただ静かに触渡を見ていた。