1話
東京の高校「英姿学園高等学校」の体育館にて。
学校生活において一日の始まりである朝礼にて、私は大層疲れていた。何故なら、陸上部に所属しており、今日も朝練に参加したからだ。
高校入学して、興味本位で陸上部に入り、そのまま辞めずに2年生となった。別に体を動かすのが好きという訳ではないが、嫌いでもない。しかし春もまだ続いている五月。あと2年も朝早く起きないといけないと思うと気が滅入る。
私——「風成 駆稲」は校長の話を綺麗に右から左へと流す。
『さて、今日から皆さんと一緒に学ぶ新しい生徒を紹介します!』
そう古典的な新入生の紹介をする校長。
新入生か…どんな人だろう。
興味が無いと言えば違うが、疲れていたのでそれほど気になることは無い。
そうこう思っている内に、舞台に一人の男子生徒が上がっていく。
結構離れていたので、どんな人かは分からない。それに前に人も沢山いて顔を確認するのは困難を極めるだろう。
『触渡 発彦です、よろしくお願いします』
その覇気の無い声は逆に印象的で、どんな顔をしているか気になってきた。
何というか中身の無いような声である。やる気が無いというか、心が籠もっていないというか。
『彼は2年B組の生徒となるので、どうか仲良くして下さい』
うちのクラスではないか。顔を見たいと思っていたら見ることができるようになった。
「朝礼で言われた通り、触渡 発彦君です。皆仲良くしてくださいね」
朝礼が終わり、クラスに戻ってHRをしていると、彼の紹介がされた。担任の隣にその男子は立っていた。
その顔は垂れ目が特徴的で、その声と同じように覇気が無い。どことなくか弱いイメージが印象に残る。
外見も短い黒髪に少し低い身長、至って秀でたものもなく普通の男子高校生であった。
HRが終わり一時間目開始までの休憩時間、クラスの人が一斉に彼へと集まった。
「どこから来たの?」「神奈川の高校から」
「趣味とかある?」「ゲームが好きだよ」
「これからよろしくね!」「こちらこそよろしく」
男女生徒の質問を丁寧に答えていく触渡君。そんな彼の席は私の隣だった。
クラスメイトの質問攻めから解放された彼は自分の席に座る。
一応隣なんだし、挨拶しなきゃ。
「私『風成 駆稲』、よろしくね」
「宜しくお願いします」
丁寧に頭を下げる。ここまで礼儀正しくされると何だか彼が可愛く見えてきた。
こうモジモジした所が愛くるしい、勿論LOVEでは無い。私の青春は一目惚れするほど豊かでは無い。
「貴方が転校生ね?」
彼と私の間に一番後ろの女子が割り込んできた。
気品溢れるその身だしなみ、綺麗な金髪ロングが輝いていた。
「君は?」
「私は疾東 美夏、随分と男らしくないね」
疾東は馬鹿にした笑みを見せて、触渡君の頭を小突いた。
この女は性格が悪く、いつも後ろに女子二人を付けている。
「あれれ、鈍足の『亀』成さんじゃん〜?」
その笑みは、私に向けられる。
彼女は私と同じ陸上部であり、部活の中で最も足が速かった。
対する私は平均より下。なのでいつも馬鹿にされている。
「今日も朝練ご苦労様、いくら練習したって亀は亀、遅いままなのにね?」
「…」
「ほら、何とか言いなさい亀?ほら!」
亀成なんていうあだ名まで付けられた私は、彼女に対して何も言い返せない。
憎たらしいことに彼女は所謂「お嬢様」というやつで、逆らったら逆らったらで酷い仕打ちを受けてしまう。
だから私は、ひたすら彼女の暴言を耐える。一応私も走るのが好きで陸上部に入っているのだ。勿論亀なんて言われたら悔しい。言い返したい。だけど無理だった。
「あの……そんな酷いこと言ったらいけないよ」
「——えっ?」
すると、触渡君が突然彼女に反論した。冷や汗を流しながらそう言ったのだ。
他の生徒も疾東を怖がって誰も弁解してくれなかったのに、初めて私と会った彼は、私を気遣ってくれた。
「……何ですって?」
すると彼女は笑うのを止めて真顔になり、触渡君の方を向く。
「クラスに入ったばかりの奴が言うじゃない……このクラスの生き方を教えてあげる」
そう言うと彼女は教室内の花瓶を持ち、そのまま中の水を彼にぶっかけた。
「ちょっと!?」
いきなりの酷い仕打ちに、私は耐えきれずに立ち上がった。
一方彼は水を掛けられたのに何の反応もしていない。
「いい?私に逆らっちゃいけないの?他生徒は私の言うことを黙って聞いていればいいの!」
本来なら怒るべきなのは触渡君だ。しかしこの場で激情していたのは疾東だけだった。
プライドを傷つけられたのだろう。何て下らないプライドだ。そう言いつけてやりたかった。
「これ、水入れときなさい」
疾東は空っぽになった花瓶を彼の机に置き、そのまま連れと共に教室を出て行く。
「触渡君大丈夫!?」
疾東が完全に姿を消した後、私は触渡君にハンカチを差し出す。
「大丈夫。自分ので拭く」
そうすると彼は自分のハンカチでずぶ濡れとなった全身を拭く。
彼の態度はまったく変わらず、先程と同じ覇気の無い声だった。
「……悔しくないの?」
だから私は聞いた。まるで触渡君が何も感じていないように見えたからだ。
私だったら普通怒る。イライラして物に当たってしまうかもしれない。しかし彼は出て行った疾東を怒ることもせず追いもしない。
「確かに悔しいけど……俺怒るの嫌いなんだ」
「怒るのが……嫌い?」
「うん、だから怒らない」
怒るのが嫌い、そんな人は初めて見た。
悪いことをした人を怒らない人は腑抜けだと思うが、彼は腑抜けに見えない。
何故なら、先程私のことを気遣って彼女に反論したからだ。
もし本当の腑抜けだったら無視していた筈だ。
しかし彼は恐がりもせず疾東に声を掛けた。
そうこうしている内にチャイムが鳴る。するとクラスは何事も無かったかのように静かになり、全員が席に着席した。