161話
怒髪衝天態の赤い足で石畳を蹴り出し、目の前の特異怪字に跳びかかると同時に力強く振りかぶる。怒りに乗っ取られながらも奴に掴まっている天空さんをいち早く解放させることを考えていた。
すると特異怪字の一歩手前の足元から、この神社を囲っているものと同じような黒い針が数本こちらに向かって突き出てくる。
「ぐッ!!」
急いで宙で体を曲げその針を回避、1本肩を掠めたが残りの針は何とか躱すことができた。突然生えてきたこの針、これがこの特異怪字の能力なのだろうか?
すると奴は持っていた天空さんを放り投げてきたので、俺は「疾風迅雷」で加速し急いで捨てられた彼を受け止める。
「大丈夫ですか天空さん!?」
「は、発彦か……すまない、留守を守れなかった……」
どうやら鎧と長壁が言っていたことは本当らしい、あの2人が俺たちを足止めしその間にあの特異怪字が神社にいる不知火さんを捕まえに行くという作戦だ。
しかしあの天空さんがここまでボロボロになるなんて……改めて至近距離からその様子を見れば見るに堪えない姿であった。あの特異怪字はそれほどまでに強いということか!?
(何者だ……こいつ……!!)
目の前に君臨しているこの正体不明の特異怪字、天空さんをここまで追い詰めたという結果だけではなく、その雰囲気でも不気味さと恐怖を感じとる。強さもオーラも今までの刺客とは桁違いだ。
刀真先輩と勇義さんが横に並び加勢してくれるが、皆こいつに圧倒され後ろに後ずさりそうであった。逃げてはいけないとは分かっているがその雰囲気に飲まれている自分たちがいる。
「刀真君に任三郎刑事、君たちとも会いたいと思っていた。僕の生徒が何人かお世話になったからね」
「――生徒?何を言っているんだ貴様」
しかし今までのと違うのは雰囲気だけじゃない。口調や言葉遣い、そしてこちらの接し方が不気味な程に優しく、それでいて冷えた手で背中を触られるような薄気味悪さが感じられた。
それに加え「生徒」という発言、まさかだとは思った。しかし俺たちはその「生徒」という言葉の反対の敬称で呼ばれている存在を知っていたため、頭でこの特異怪字の正体を予想していた。
「ガハッ!『先生』だ……名前は無間――こいつがエイムのボスだ……!」
「「「なッ!?」」」
しかし天空さんの掠れるような声で教えてもらおうとも、例え頭の中で察していようが驚いてしまう。
こいつが、今目の前にいるこの特異怪字が、全ての元凶と言っても過言ではない男「先生」!まさかこうして敵のボス自らが出向いてくるとは思ってもいなかったのでますます信じられなかった。
「そう、僕が呪物研究協会エイムの会長……そして生徒たちの先生でもある無間だ。よろしく、発彦君」
そしてその名前は無間と言うらしい、まるで本当に先生のような口調で語りかけてくるがそこから気を許すことはできない。
正直今目の前に立っているこいつが恐ろしくてしょうがなかった。今までの刺客たちはよくこいつを尊敬できるなと思うぐらいだ。
「鎧たちは強かっただろう?あの2人は自慢の生徒だ」
「……だったら何故あいつらを足止めに使った。今まで隠れていた癖に今回は自分から姿を現して……それこそ鎧と長壁に任せればいいだろう?」
自慢の生徒とは言うが、実際のところこの無間という男はあの2人を俺たちの足止めに使っている。だったら小笠原さんやもう1人の刺客でも使って足止めし、鎧たちを不知火さんの捕獲に向かわせた方が効果的だと思う。わざわざ組織のボスが動く必要性は無い。
「確かにそれも良かったんだが……まだまだあの子たちは未熟さ。現に負けて君たちを解放させてしまっているじゃないか。勿論鎧たちも信頼してるが、一番信じられるのは自分自身だよ」
確かにあの2人は強いが、天空さんを倒せるとは思えない。しかしだからといって自分が出るなんてことを普通思いつくだろうか?そこまで負けない自信があるということだ。
これは挑発――いや、向こうにその意思はない。自信がありすぎる為自分が負けるなんてことは微塵も思っていない。それが無意識のうちに俺たちの逆鱗を逆撫でしていることも知らず。
「そうかい……じゃあお前は俺たちを倒して不知火さんを捕まえられる自信もあるというわけだな?」
「当然、君たちじゃあ僕には勝てないよ」
その言葉を聞いた瞬間、俺たち3人は一気に走り出す。さっきの戦いで消耗こそしているがだからといって休んでいる暇は無い。
俺は拳を振りかぶり、刀真先輩は承前啓後態になり「伝家宝刀」をかざす。そして勇義さんは十手を取り出し直接叩きこもうとしていた。相手はあの天空さんを倒す程の実力者、だが3人でかかればきっと倒せる筈だ。
「成る程、3人同時で向かってくるか……単純だけどこの場合なら良いアイディアだろう。これを言い表すなら……一致団結と言ったところかな!」
(なッ――避けた!?)
しかし無間は3人同時攻撃に対し逃げる様子も見せず、その場から一歩も動かず無駄のない動きでそれを躱す。俺の拳と先輩の刀、勇義さんの十手は奴の体ではなく、虚空を突いていた。
すると無間の腕が黒色の業火に包まれ、それを払うとその炎が襲い掛かってくる。
「熱ッ!!」
凄まじい熱風によって俺たちは吹き飛ばされ石畳を転がる。何とか火傷は免れたが体が焼けると思った。
そこから更に炎による追撃は続き、その手で燃え滾る黒い火が放たれ地面を伝いこちらに迫ってくる。俺は急いで「金城鉄壁」を使い結界を張り、他の2人と共にその炎から身を守った。
(あの針が能力じゃないのか!?何だこの炎!!)
「金城鉄壁」の結界を破りそうな程燃え盛る業火、確かに今までの怪字だって光線を発射したり遠距離攻撃をしてきたりなど能力外の特殊攻撃をしたことがあるが、それはあくまでのオプション。
しかし今無間が放っているこの炎はおまけというにはあまりにも強烈すぎる。じゃああの黒い針の方がそれだと思うが、だとしたら神社を囲むほど大きく数も多い針を作れない筈。
これじゃあ実質2つの能力を持っているようなものだ。一体こいつの能力は何なのか。
「地獄の猛火じゃその結界は破れないか……ならこれならどうかな?」
すると殺気と同じように黒い針が飛び出て、外から結界に穴を空けてきた。やはりこっちも協力だ、どちらもオプションなんかじゃない。
すると自分たちの足元にまで黒い針が突起し、石畳を突き破りこちらを攻撃してきた。
「くッ……!!」
刀真先輩と勇義さんは急ぎ地面を跳び針を回避、そして俺は「八方美人」を使い地面に立ったままその針の山を躱した。
「極熱地獄」
奴がそう呟くと生えてきた黒い針全てが発火し、そのままボウボウと一瞬で業火に包まれていく。刀真先輩と勇義さんは跳んでいたため逃げられたが、俺は燃える針に囲まれてしまった。
「のわッ――疾風迅雷ッ!!」
このままだと蒸し焼きにされる、そこで「疾風迅雷」を使い超スピードで燃える針を掻い潜り、猛火の中に突っ込み何とかその火事の山から脱出できた。
さっきの針と炎……合わせることもできるのか。しかしもう少しで本当に焼け死ぬところであった。
「随分と熱そうじゃないか、涼しくしてあげよう――極寒地獄」
誰のせいだと思っている、そんな文句を言う暇も無く無間は追撃してきた。今度はその右足から氷煙が噴き出し、次々と氷がこっちに向かって一直線に凍ってくる。
「今度は氷!?何でもありかよッ!!」
黒い針と炎に続き今度は凍てつく氷、さっきの猛火とは真逆の攻撃をしてきたため動揺が隠せない。燃やしたり凍らせたりと目まぐるしい程多種多様な攻撃をしてきた。
迫りくる氷塊を左右に分かれて躱す。するとその軌道上にあった燃える針までも巻き込み、何事もなかったかのように鎮火させた。
さっきから驚かされてばっかりで、一向にこちらから仕掛けることができない。針に炎に氷、奴には攻撃のレパートリーが多すぎる。
「俺が『八方美人』を使って奴に強行します。そして必ず隙を作るのでその後に援護をお願いします!」
「ああ――分かった!」
こうなったら無理やり突き進むしかないだろう、こっちには自動回避能力の「八方美人」がある。確かに凄まじい勢いの猛攻だが攻撃事態がそこまで速いという訳でもなかった。
なら十分これで避けられる。俺は早速使いそのまま単独で無間の元まで駆けだす。すると炎と氷の同時攻撃が襲い掛かってきたが難なく掻い潜り、やがてその目前まで接近した。
「これで――どうだッ!!!」
「『八方美人』の自動回避能力か……ならこれならどうかな?」
すると俺が攻撃を与える前にまた何かしてくるつもりらしい。しかし無駄だ、「八方美人」に避けられない攻撃はほぼ無い。この至近距離でも躱す自信が俺にはある。
そう言って出てきたのは赤い液体、どんどん奴の足元に広がっていきやがて広範囲にまで浸食していた。
攻撃性や毒のある液体だろうか?しかし今の俺は跳びかかっている状態なので地面には触れていないので大丈夫――そう思っていた。
「叫喚地獄」
奴がそう呟くと、その血の池に次々と波紋が広がっていく。そして何とその波紋から出てきたのは大量の人の顔が浮かび上がってきた。あまりの不気味さに攻撃の途中であることも忘れ、俺はゾッとしてしまう。
そしてその顔たちは瞬時に苦痛の顔になり、一斉大音量の声で叫び出した。
「ぐ、ぐああああああああああああああッ!!??」
今までに聞いたことの無い苦悶の叫び、出てきた顔たちは涙を流しながら叫び続けこちらの鼓膜をダイレクトに攻めてくる。流石の「八方美人」とはいえ実体の無い避けようがない。
後ろにいた刀真先輩と勇義さんも耳を塞ぐが、あの2人と比べて俺は音の出どころのすぐそこだ。手で覆っただけじゃこの悲痛な叫びに耐えることができず、僅か一瞬の間だろうが気がおかしくなりそうだった。
「どうかな?大釜に煮詰まれている罪人の声は」
すると無間が俺が耳を押さえている間に蹴り飛ばしてきた。そのまま大きく吹っ飛び石畳の上に転がる。
罪人とやらの叫びはまだ続き、すると奴は遠くにいた刀真先輩たちにほぼ一瞬で接近してきた。
「速ッ――ぐがぁ!!」
「ウッ!!!」
そして2人も同じように隙だらけの状態を突き、刀真先輩にはその腹部に思い切り拳を入れ、勇義さんは背中から蹴りを当てた。
そこからとんでもないスピードで俺たち3人を痛めつけてくる。「疾風迅雷」程ではないがとても目で追いきれない程の速さで、体中に痛みが走る。結果僅か数秒の間に瀕死の状態にされてしまった。
(ここまで強いのか……エイムのボスは!!)
確かに先の戦いのせいで完璧な状態とはいえずかなり消耗していた。だからといって実力差をここまで突き付けられることになるとは思ってもいなかった。
それに強いのはその能力もだ。針、炎、氷、そしてさっきの騒音攻撃。まるで今までの怪字の能力が集結したようである。
「僕の四字熟語は『無間地獄』、その能力は他の四字熟語と引けを取らないもの。地獄の苦しみを現世に伝えることができる。まぁこの四字熟語の最大の強みは別だが……」
地獄の苦しみを伝える……?そんな非科学的な説明でどう納得しろというのか。だが四字熟語の能力に現実味なんて最初から抱けないものだ、地獄の苦しみうんぬんかんぬんなんてことも信じなければならない。
だがこのままだと不味い、これじゃあ不知火さんも守れずに殺されてしまう。何とか奴を倒せる手を考えなければ。
(ゲイルインパクトかプロンプトブレイクで無理やり攻めるか!?それとも耳を塞ぎながら「八方美人」で突撃……駄目だどれも曖昧な作戦すぎる!!何か他に手は無いのか!?)
いっそ「疾風迅雷」を使ってこいつから逃げることもありだとは思ったが、刀真先輩と勇義さん、そして倒れている天空さんに後ろに避難している不知火さんと駆稲、合計5人の人間を一度に運ぶなんてことはパワーは足りても流石にできない。それに逃げたところでどこに行く?きっと地獄の先まで追ってくるはずだ。
「一触即発」や「金城鉄壁」、「疾風迅雷」に「疾風怒濤」、「怒髪衝天」も「八方美人」も通用しない。リョウちゃんだって今は戦えない。
俺の四字熟語が、俺のパワーが、まったく通用しない。そんな相手にどう戦えばいいのか?
(考えろ考えろ――俺が皆を守らなくちゃ!!)
そして俺は打開策を考えるのに夢中になり、奴が足を上げる動作をしていることに気づかず考え込んでいた。
そうして笑みを浮かべた無間は上げた足を力強く踏み込む。そこから瞬時に黒い液体が流れ、地中を通り俺の足元から針として飛び出してきた。
「しまッ――!」
ここで「疾風迅雷」を使っているわけでもないのに時の流れがゆっくりに感じ始める。地面から生えてきた黒い針がゆっくり迫ってきた。遅く見えてるからとはいえ勿論俺自身が速くなったわけでもない。針の先端がすくそこまで来ているのに体が言うことを聞かなかった。
やがてその針の先端が俺の体に突き刺さる――その瞬間であった。
「発彦――!!!」
突如として誰かに横から押され、何とか針の軌道上から逃れることができた。助かったと思うや否や、一体何があったのかとさっきまで俺がいた場所を振り返る。
そこには、俺を押し出した天空さんがいた。
「――あ」
そこから更に時間の流れを鈍く感じ、そんな中でも俺は救ってくれた天空さんに手を伸ばす。届かないことは分かっている、でも伸ばさずにはいられない。
そして俺は、天空さんが破顔する数コンマの流れをゆっくりとこの目で見た。こちらを包んでくれそうな優しい笑顔、俺はこの顔を見るのが好きだ。
しかし一転、俺を狙っていた黒い針がその肩に突き刺さる。
「あ、あ……」
次に脇腹、腕、胸、どんどんその体に打ち込まれていく。やがて体中に針が突き刺さった頃、最後の1本はその喉元に食い込みそのままうなじから貫通して出てきた。
天空さんの微笑みは、その際の吐血によって真っ赤に汚されてしまう。あの顔は、俺が何かを成し遂げた時に笑ってくれた顔だ。あの腕は、俺を抱いてくれた腕だ。あの足は、酷く悲しんだ時に枕として使わせてくれた足だ。
あの腹は、あの目は、あの背中は、あの肩は、あの耳は、あの手は、あの首は、あの口は――
「あ、ああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
そこでようやく時の流れが正常なものへと変わり、伸ばしていた手もようやくその体に届いた。さっきはあんなに綺麗な笑顔を見せてくれたのに、それが嘘のように体から体温が失われていくのを感じた。