156話
寒さに負け布団の中で包まっていると、何者かが俺の鼻に齧り付いてきた。そんなリョウちゃんを優しく振り解き、俺は上半身を起こす。
「いった……おはようリョウりゃん」
リョウちゃんに乱暴に起こされ、俺は渋々と布団から出る。肌寒い中肌を服の上から擦って少しでも暖かくなろうとしていると、ふと壁のカレンダーが目に入る。
英姿学校の3学期開始の日は他の学校と比べて随分と遅く、この色々あった冬休みもあと五日もあった。まぁ確かにこの頃退屈はしていたが休みが長いことは良いことなので何も言わない。それに退屈という状況は1週間前に吹き飛んで行った。
布団をしまった後自室を出てそのまま朝食を食べに居間へと向かった。いざその部屋の襖を開けると、そこに座っているのは天空さんではなく1人の女性、あの人はまだ調理場に立っていた。
「おはようございます発彦さん、先にいただいています」
「あぁ……おはよう不知火さん」
俺もその向かい側に座り同じように朝食を食べ始める。
彼女――不知火さんがここに住むことになってもう7日経った。始めはこんな美女と同じ屋根の下で住むことになって落ち着かなかったが、数日経てば次第と慣れるものだ。それに俺には駆稲がいる。
「不老不死」の力で文字通り不死身の体になってしまった彼女は、エイムからその四字熟語を狙われそれから守るべくこの神社で匿っているという。
ちなみにあの後別に神社じゃなくてもいいのではないかという話が持ち出されたが、刀真先輩の家は彼のお母さんがそれを認めてくれず、勇義さんは1人暮らしなので長い時間単独にさせてしまうから駄目だった。結果ここに住まわせることになった。
いざこうして同じ家で生活してみても、とても彼女が不老不死で怪字に近い存在とは思えない。見た目も心も人柄も、全て人間のそれそのものであった。
不知火さんは自分のことを怪字と名乗っていたが別にそんなことはない。この1週間過ごしてみて分かったがとても優しい人だ。気遣いもできとても礼儀正しく、まるで姉ができたような時間であった。流石は人を守るために不老不死の体になることを選んだだけはある。
「触渡さんは今日どうするんですか?」
「今日は一段と寒いからなぁ、ずっと家の中にいるつもりです」
こんな風に何気ない会話をし合う程この神社に馴染んでいる。まるで本当に家族が増えたようであった。
俺は両親に捨てられたこともあり、こういう父親(天空さん)以外の家族という存在に対し淡い願望を抱いていた。頼れる兄と姉も欲しいし可愛い弟や妹も欲しかった。パネル使いになるため中学の同級生などの交友関係は作り辛かったので少しだけ孤独であった。最近は天空さんと駆稲がいるから大丈夫だと思っていたが、いざこう年の離れた存在ができると少しだけ心がほんわかした。
まぁ不知火さんに本当に姉のような親愛を抱いても仕方ない、取り敢えず今はこの人を守るという決意だけを持っていればいい。
(それにしてもエイムめ……まさか「不老不死」を狙っていたとは)
彼女と出会ったことにより呪物研究協会エイム、その目的と企みが明らかになった。
奴らはこれまでも不知火さんの四字熟語を狙ってきた人たちと同じように、「不老不死」の能力を「人を不死身にできる」といったものに勘違いして、その能力欲しさに不知火さんを捕まえようとしているのだ。
能力で自分たちを不老不死の存在にしようと企んでいるのだろう、しかしその野望も虚しく、「不老不死」にそんなことはできない。不知火さんが不死身でいられるのは、賢者蒼頡の血とその力を持っているからだ。
そう、不知火さんの家はあの呪いのパネルを作った中国の賢者蒼頡の家系。パネル使いにとって蒼頡とは全ての元凶であり悪の根源である。そいつが何のためにパネルを作りそれを日本をもたらしたのかは分からないが、蒼頡さえいなかったら今頃俺たちは平和に暮らしていた筈だ。
確かに俺たちは蒼頡を憎んでいるが、だからといってその子孫である不知火さんを恨むというのは筋違いだ。さっきも言った通り彼女の優しさに蒼頡への憎悪は重ねられない。それに彼女は言っていた。
『私たち不知火家は、賢者蒼頡の子孫としてその償いの為に怪字退治の仕事を行っていました……今の不知火家――私の子孫もパネル使いになっていると思ってましたが……最近その名前を聞かないような』
どうやら蒼頡が犯した罪を自分たちのことのように感じた不知火家は、刀真先輩の宝塚家のように代々怪字退治を行っていたという。別に呪いのパネルを作ったのは蒼頡であって彼女たちではない、責任を感じる必要はないのに命懸けで戦っていたのだ。
その結果不知火さんは「不老不死」の怪字を身を犠牲にして封じ込め、不死身の体になってしまった。死ねないという苦痛に身を焦がしながらも、人々を守るために数百年間「不老不死」を体内で抑えこんでいるのだ。
どうやって「不老不死」を体内で抑え込んでいるのかというと、それができるのは皮肉ながら先祖である蒼頡の力を、その遺伝子と共に引き継いでいるからであった。
蒼頡と力というのは、呪いのパネルに宿っている呪力を封じ込める力。パネルを創造主である賢者の子孫だからこそ受け継がれてきた能力だが、それをもってしても「不老不死」を完全には封じ込められていない。
なので不知火さんは、不死身の自分を「不老不死」ごと殺す方法を凄まじい時の流れの中で模索してきた。不死身を殺す、それは矛盾を確立させることに等しいもので、現に彼女は数百年彷徨い続けたわけだ。
そしてその方法を見出したのが良くも悪くもあのエイムであり、奴らはその方法で不知火さんの「不老不死」を我が物にしようとしている。不知火さんは自分が死ぬことを望んでいるが、そのせいで「不老不死」が悪用されてしまうことは本望じゃない。そのため奴らから逃げてきたのだ。
(それにしても呪力を抑える力か……何か引っかかるんだよなぁ)
不知火さんの不死身の体、蒼頡の子孫、あらゆる衝撃的な情報を一週間かけてようやく整理したところで俺はあることに何か既視感を抱いていた。既視感と言えば、かつて行ったことのあるパーキングエリアで一度不知火さんを見かけたことがあったので、1週間前に出会った時もそれを感じていたが今思っている感覚とは違う。彼女の蒼頡の力というのに、何か思い出せそうな気がしているのだ。
兎に角、これでやることが増えた。俺たちは今までの目標通りエイムをぶっ潰し奴らの「不死身を殺す手段」を奪いそれを不知火さんに使わせてあげることだ。数百年生き続けその間にも他人のことを想っているその優しさは、俺たちも共感した。だから少しでも彼女の役に立ちたいのだ。
そのためにも勇義さんが捕まえた刺客が、奴らのアジトの場所を吐いてくれるまで待たなければ。
「ん?お客さんかな?」
のんびり部屋でリョウちゃんと戯れていると、誰かが戸を叩いて尋ねてきた。今日は刀真先輩と遊ぶ約束も無い、勇義さんはこっちの近況を見に来たのか?
「すまん発彦、今手を離せない!出てくれないか?」
「分かりましたー」
もう1週間住んでいるとはいえ、一応客人である不知火さんに出迎えさせるわけにはいかない。天空さんにそう命じられ俺が出ることになった。
廊下を小走りで渡り一体誰かと扉を開けるとそこには、俺の恋人の顔があった。
「風な――駆稲!どうしたの?」
「あ、発彦君、ごめんね急に」
未だに前の癖で彼女を苗字で呼びそうになってしまうが、この名前呼びは駆稲自身が望んでいることなので早めに直さなければならない。
クリスマスの告白が成功し付き合うことになった駆稲、そんな彼女が前触れも無くやってきた。その両手には重そうな段ボールが抱えられており、彼女自身も持つのに疲れているのを見て、すかさずその段ボールを受け取った。
「これ、お祖母ちゃんが送ってくれたミカンなんだけど、ちょっと多く貰いすぎたからお裾分け」
「いいの!?ここまで持ってくるのに大変だっただろうに……ありがとね!」
彼女曰くお父さんの方の祖母はミカン畑を営んでおり、毎年この季節になると向こうから送られてくるという。ミカンは好きなのでこれはありがたい。
「じゃあ私はこれで……」
「あッ待て駆稲!!」
するとそのまま帰ろうとする駆稲を勢いよく引き留めた俺、大きな声を出してしまったため彼女も驚いて目を丸くしていた。
このまま見送ろうと思ってたが、ここであることを思い出す。
「あのさ、冬休みももう終わるし……学校始まる前にどこかに行かない?」
「え!?あ、うんそうだね!」
この間勇義さんにも言われたが俺たちは付き合うことになってから一度もデートの1つも行ったことが無い。こちらから誘う勇気が無かったが流石に1つの長期休暇に1回もデートをしないのはまずい。そのことを思い出し彼女を誘ってみた。
どこに行くかはまだ決まっていない、だがデートするという部分が重要であった。後五日もあることだし何かできるだろう。
「どこに行こうかなー」
「……発彦君、あの人誰?」
「え――あ、不知火さん!」
すると家の中を見れば不知火さんが部屋から顔を出してこっちを見ていた。恐らくさっきの俺の大声で何事かと気になったのだろう。
しかし問題はそこではない、さっきまで愛おしかった駆稲の顔が、疑念に満ちた視線をこちらに突き刺してくる。思わずそれにビクッとしてしまい、彼女の顔色を伺った。
何か気を損ねることでもしてしまっただろうか?
(まさか……俺と不知火さんが浮気してるんじゃないか疑っているのか!?)
そう言えば数日過ごしたせいで忘れかけていたが不知火さんは絶世と言っても過言じゃない程の美女だ。そんな人と一緒に住んでいることを知って俺が浮気していると駆稲は睨んでいるのだろう。
「……発彦君?」
「あ、うんあの人は……」
すると見る見るうちに彼女の顔が不機嫌そのものに近づいていっている。これ以上沈黙を続けると取り返しのつかないことになりかねない、ここは説明が面倒だが不知火さんのことを一から話さねば――そう思ったが……
果たして不知火さんの事情を何も関係のない駆稲に話しても良いのだろうか?不老不死の人間という不知火さんをもしかしたら気味悪がるかもしれないし、そもそもこんな突拍子も無い話を信じてもらえるかどうか分からない。
それに今の所「不老不死」というのは敵組織も求めている者、悪戯に不知火さんの情報を口に出せばどこからかエイムの奴らがすっ飛んでくる可能性もあった。そうなった場合駆稲も厄介ごとに巻き込む可能性がある。
付き合ってからもう自分を隠さないし嘘をつかない――そう決めていたが、流石にこれは誤魔化した方が良いだろう。
「て、天空さんの知り合い。ちょっとパネル関係でね……」
少しだけ真実を織り交ぜながらその嘘を彼女に言う。駆稲自身も俺に迷惑はかけないと言っていたのでパネル関係と言えば引き下がってくれるかもしれない。そんな彼女の優しい想いを嘘の材料にするのは気が引けるが、これも俺の優しさという奴だ。
「……嘘、発彦君って嘘つくの下手くそだよね」
「その……いやあの……」
しかしそんな嘘もすぐにバレてしまった。瞬間駆稲は俺の両肩を掴んでこれでもかと震わせ、怒涛の勢いで彼女のことを問いただしてきた。
「その人とどういう関係なの!?嘘をつくってことは何かやましい理由でもあるの!!」
「いやそういうわけじゃなくて……」
「発彦君がこんなことする人だとは思ってもなかったよ!!」
そこで散々に言われていると俺もついイラッときてしまう。そして珍しく怒りが抑えられなくなり、少しばかりの敵意を駆稲に対し向けてしまった。
「まだ浮気だって決まったわけじゃないだろ!!あの人と俺はそんな仲じゃない!」
「じゃあ何で嘘ついたの!?それにそうやってイライラしているってことはやっぱりそういうことじゃないの!?」
売り言葉に買い言葉、そのままギャーギャーと神社前で喧嘩を始めてしまい不知火さんと天空さんも加え騒動を聞きつけて玄関近くへとやってきた。
この時はすっかり興奮に体を乗っ取られ、思ってもないことを口にしてしまう。やがてその口喧嘩にも終わりが見えてきた。
「もう知らない!私帰るね!!」
「は!?ちょっと待てよ!!」
すると駆稲は俺の呼び止めにも応えずそのまま石階段を降りこの場から立ち去ってしまう。
冷たい風が頬を撫で、僅かな沈黙が辺りに漂った。そんな俺は、まるでその風に吹かれたかのように倒れてしまう。
「触渡さん!?」
「ああ……やっちまった」
普段怒りを抑えられる癖に、よりによって今それができなくなってしまった。つい彼女に疑われていると思うと気が高まりいつもより怒りやすくなったのだ。
終わった……自分から望んだ仲だというのにその自分の手と嘘で関係を最悪にしてしまう。
「あの……ごめんなさい触渡さん、私がいたばっかりに……」
「いえ……これは全部俺が悪いんです」
しかしだからといって不知火さんに八つ当たりする程俺も馬鹿じゃない。言葉の通り俺が何とか誤魔化そうと浅い考えで嘘をついたのが原因だ。
でもだからといって馬鹿正直に話せば何が起きるか分かったもんじゃない、一体どうすればよかったんだ……
落胆する中、俺を慰めるためそれとも嘲笑うためか、風がもう一吹きして俺を包み込んだ。