133話
一方夜景が一望できるヘリポートでは、任三郎と特異怪字に変身した応治与作との戦いが行われていた。しかし戦いとは呼べるかどうか分からない程それは一方的であった。
「ひ、ひぃい!!お助けぇ!!」
「このッ!逃げてばっかりで!!」
「儂も戦ってやる」と息を巻いて挑んだ来た癖に、さっきから勇義に銃口を向けられる度に弱腰になって逃げてばっかりである。地味にすばしっこいので銃弾も当たらなく、任三郎も次第に苛ついてきた。
しかし今応治は毒を全身に浴びているため十手で直接叩くにはリスクが多いのだ。なのでさっきから拳銃だけで攻めている。
それに加え、敵は応治与作1人じゃない。
「おっと!」
彼方から弾丸が飛んで来たので咄嗟に後ろに避ける、弾はそのまま足元近くに命中し転がった。
エイムの手先である狙撃手もどこからか任三郎を狙っており、実質この戦いは2対1と任三郎にとって不利なものであった。
しかし応治の方は逃げ回っており警戒すべきはその狙撃手のみ、狙撃も銃弾が来る方向とその向きから狙撃手がどこにいるかも大体予想がついている。
(この狙撃、同じ方向からじゃなく右回りで四方八方から撃たれている……まさか狙撃手はこのビルの周囲を飛び回っているのか?)
任三郎は先ほど狙撃手の能力を飛行能力と仮定したがそれは間違っておらず、オージ製薬本社ビルから大分離れた場所の上空にて、何か人型のものがその背中から生えている両翼で羽ばたきながら狙撃銃を構えていた。
人間の女性のようなスリムな体つきで、頭部は大きな鷹の顔の口の中に人間の顔が入っているようで不気味なものだった。そして宙ぶらりんになっているその両足はまさしく鳥のような形状となっており爪が鋭く伸びていた。そして羽根がスカートのように連結しており脚を隠している。腰回りは一丁の拳銃を入れたホルスター。
そして肝心なのはその狙撃の姿勢、足場があるわけでもなくその特異怪字を空中に留まらせているのは両翼の羽ばたきのみ、なので銃がぶれることはあるはずだがそれでも狙った場所を確実に撃ち抜いている。
更にその場所はスコープ越しとはいえ狙撃するにはあまりにも遠く離れすぎており、以下のことからこの特異怪字――長壁はかなりの狙撃術と視力が上がる四字熟語を持っていることが分かる。
ヘリポートからでは全然姿が見えずなので任三郎も狙撃手に対し何もできないのであった。ただ来るであろう銃弾を予測し避けるだけ。
「い、今だぁああ!!」
するとさっきまで逃げ回っていた応治ががむしゃらにこちらへ突撃してくる。戦闘慣れしていないせいか何の考えも無く走り出していることが動きで分かった。
応治が手のひらを上に向けるとそこから毒の塊が形成され、奴はそのまま任三郎へと投げつけてくる。
「危なッ!!」
咄嗟にそれを避ける任三郎、毒玉はそのまま泥のように分散し四方に広がっていく。すると応治は毒玉を形成し続け何度も投げ飛ばしてきた。
投擲の速度はそこまで速いわけではないので避けるのは大差ないが下に落ちるたびに弾け飛んで行く。気づけば辺りは毒の水溜りが幾つもできていた。
(こりゃ靴裏で踏むのも危険だな……糞ッ!動きを封じてきやがった!)
恐らく意図的にやったものではなく偶々このような結果になっただけだろう、しかし安全な足場が少なくなっているのは事実で応治与作のことをなめ腐っていた任三郎も戦慄する。
その効果はまだ分かっていない、しかしその毒が危険じゃないという保障も無かった。
「のわッ!?」
そこからまた狙撃され今度は頭を狙われたが十手で何とか防ぐ。狙撃手への対策としては常に動き回り続けることによって狙いを付きにくくするものだったが、こう足場を封じられるとそれもやり辛くなる。
「ひひひ……どうだ!手も足も出まい!!」
「この……さっきまで逃げまくっていた癖に!」
応治与作が調子よく指さして馬鹿にしてきた。あんなに弱々しくなっていたくせになんて手のひら返しが速いんだろうか、初老の男性の性格とは思えない程子供じみている。
「調子に飲んじゃねぇぞ!!」
あまりにもムカついたので持っていた拳銃を発砲、突然撃ったので鼠のようにすばしっこい奴でも対応できず、そのまま浄化弾が奴の体に命中した。
「いっ……たぁあああ!!!」
それによって応治は絶叫し着弾した部分を抑えながら見苦しくその場を転がりながら悶絶する。それを見て任三郎は確信した。応治与作は戦い慣れていないことを。
普通の怪字なら浄化弾を1発受けただけじゃ倒れず堪えるだろう。しかしこいつは今初めてダメージを受けたような様子で、こう悶え苦しんでいる様子を見ていると普通に銃弾を受けた人間のように見えてしまう。
特異怪字になれると四字熟語を持っていると言ってもあの毒薬を作るだけに使っていたのかもしれない、兎に角奴は戦闘においてはからっきしだ。今の内もう1発撃ち込もうとしたその時、再び拳銃を狙撃され手放してしまう。
「しまっ……!」
任三郎が危うく毒沼の中に入りそうになった拳銃をギリギリ拾い取ると、遠くの空から鳥人間のような生き物がこちらへ飛行してくる。狙撃銃、つまり長壁であった。
任三郎も彼女が持っていた狙撃銃も見て狙撃手と判断、身構えて銃を向けるが長壁もホルスターから拳銃を抜き突きつける。撃ってくる気配はない、銃口でこちらを牽制しながら長壁は応治の元まで歩み寄る。そして襟元を掴み持ち上げた。
「貴方、自分から戦うって行った癖に何やられてんのよ。死んだら困るんだから弱いくせに出しゃばらないで」
「お、おお長壁、早く私を逃がしてくれ!」
すると応治は情けなく長壁の鳥の足にしがみつく。彼女はそれを鬱陶しく思い顔をしかめているがそのまま背中の両翼で低空飛行を始めた。
(ヘリじゃなくそいつに乗って逃げる気かよ!?逃がすか!!)
何とヘリなどの乗り物ではなく鳥の特異怪字である長壁の足に掴まって逃走を図るつもりらしい、予想外の逃走方法に戸惑いを隠しきれない任三郎だったがここで逃がすわけにはいかないと拳銃を向ける。
そして引き金に引こうとした瞬間、突如として任三郎と長壁たちの間の下から何かが飛び出してきた。
地面を崩しまるで打ち上げられるかのように現れたその鉄塊、それが先ほど出くわした鎧だと分かるのに時間は掛からなかった。発彦のプロンプトブレイクを受けその威力でここまで吹っ飛ばされてきたのだ。
「ぐっ――ここまでの威力とは……!!」
鎧はそのまま着地し長壁たちを任三郎から庇うように立ちはだかる。その巨体で彼女たちはすっかり隠れてしまった。「銅頭鉄額」の前では浄化弾も弾かれてしまうだろう。
「鎧、来てくれたのは助かるけどその両腕は何?」
「触渡発彦にやられた。どうやら奴は俺たちが思っているよりも厄介な存在みたいだ」
長壁の言う通り鎧の両腕はもう見る影が無い程ズタズタになっていた。硬いはずの装甲はその部分だけ亀裂が全体に走っており、いつ崩れてもおかしくない状態である。
任三郎はその傷を見てすぐに発彦がやったものだと理解、そして鎧が発彦のブレイクを受けてその拳圧でここまで上がってきたとも推理した。
「お前たちは先に逃げていろ、俺はもう少し相手をしたら行く」
「分かったわ。ほら逃がしてあげるから毒流すの止めなさい」
「た、助かる……!」
そう言って長壁は両足で応治の肩を掴み、そのまま持ち上げて空遠くへ飛び去ってしまう。任三郎はすぐにそれを撃ち落とそうとするも鎧に蹴り上げられて邪魔された。
「ぐああッ!!」
任三郎が吹っ飛ばされている間にも長壁たちはあっという間に空の彼方へ消えてしまう。蹴られた衝撃で危うく応治がバラまいた毒に触れそうになるも何とか踏みとどまった。
「応治与作め……こんなに毒を撒き散らしよって……」
鎧自身もその毒トラップを鬱陶しそうに感じながらもゆっくりと任三郎の方へ歩み寄り、またもや蹴り上げる。今度は足場を抉る程の威力であった。
「どああああああああああ!?」
大きく蹴られた任三郎はそのまま吹っ飛びヘリポート外まで飛ばされてしまう。そのまま屋上から下まで落ちそうになった。
何か掴めるものもない。下には足場も無いので地上に真っ逆さま、落ちればミンチは確実。このまま落とされることを覚悟した瞬間――
「疾風迅雷ッ!!」
突如鎧が飛ばされてきた穴から再び何かが飛び出し、彼の横を凄まじい速度で通過した後落ちている任三郎の手を掴んだ。
もう少し遅ければ任三郎は落ちてペチャンコになっていただろう。掴んだ手の持ち主――発彦に助けられた。
「ギリギリセーフ!!」
「は、発彦!」
まだ怒髪衝天態である発彦は自慢の力で簡単に任三郎を引き上げ助け出す。すると鎧が2人に向かって襲い掛かってきた。
「神出鬼没ッ!!」
そこで同じく現れた刀真先輩が瞬間移動で2人を保護、そのまま再び「神出鬼没」を使用し今度は鎧の真後ろへとテレポートした。もう少しで発彦ごと殴り飛ばされて2人とも落ちるところであった。
「もう追いついてきたか……触渡発彦に宝塚刀真!」
「来い!リョウちゃん!!」
「行け!トラテン!!」
屋外なら遠慮なく行ける、そう思った2人は今まで服の中に潜めていた式神に命令し「画竜点睛」のリョウちゃんと「為虎添翼」のトラテンの2匹を巨大化させ鎧と対峙させる。
巨大な竜と虎が、ヘリポートにて降臨する。これが今の所の全戦力だ。「怒髪衝天」に加え式神もいれば負けることもないだろう。それに加え鎧の方は両腕に傷がある、発彦側の有利は一目瞭然であった。
「――どうやら、俺の方にもそんな余裕は無いらしい。俺たちの任務は応治与作の護衛、あいつを逃がした時点でもう引くべきだったか」
「このまま逃がすと思っているのか?その腕みたいに全身をボコボコにしてやるよ!」
「今回はお前に勝利を譲ろう触渡発彦、俺もまだまだ『銅頭鉄額』を使いこなせていなかったらしい――今度は、俺が勝たせてもらう!」
すると鎧はゆっくりと下がり、何とそのまま背中から倒れ崩れるように身を投げた。発彦たちが止める時間も無くその甲冑は下へと落ちていく。
そこで空を飛べるリョウちゃんとトラテンが奴を回収しようとするも、夜とはいえ地上には人がたくさんいる。ただでさえこんな都心で式神を出すのは目撃される可能性があるので危険であった。
「……捕まらないための自殺か?」
「いや、『銅頭鉄額』の硬さならこの高さから落ちても無事でしょう。あの四字熟語だからこそできる逃走方法ですね」
すぐにその後を追いたかったが、鎧のようにビルの屋上から飛び出して無事でいる方法は発彦たちには無い。式神に乗ればいい話だが人目についてしまう。
とどのつまり、逃げられてしまったのだ。
こうして警察の強行捜査の裏で行われたパネル使いとエイムの争いは、呆気なく幕を閉じることになる。