124話
目が覚めた発彦が見たのは、神社を襲撃してきた男、そして自分をこんな境遇にした張本人でもある牛倉一馬。そしてそいつの舌によって縛られて吊るされているのは他ならない天空であった。
「本当はお前を暴走させて仲間割れさせるつもりだったんだが……案外こいつら呆気なくてな。お前無しでも片付けられそうだ」
そうして奴は親指で後ろを指す。そこには傷だらけの刀真と任三郎が石畳の上で転がっていた。既にほかの2人もボロボロになっている。
しかし一番酷い状態なのは天空であり、体中から大量に血を流し、足を伝って水滴のように垂れその下に血の池を作っていた。
「それにしても、いくら2人の足手まといがいたからといって、こうも簡単にこいつが倒せるとは思ってなかったぜ」
そう言って牛倉は舌を動かし吊るされている天空を手前まで引き寄せ、何度も殴りつけた。意識はまだある、そのせいで何度も苦痛を浴びせられていた。
何が酷いというのか、それを発彦によく見えるようにやっていることであった。何度も出血し体に青い痣がどんどん付けられていく。
「先生も海代天空には気を付けろとは言ってたが……これじゃあ期待して損だったな」
まさか天空がやられるとは思ってなかったという驚きも確かにあった。しかし今の発彦に湧きあがろうとしているのは、よくも天空さんや刀真先輩と勇義さんをという、怒りの感情であった。。
しかしある程度興奮したことで逆に冷静になり、慌ててその感情を奥底に沈める。何度も深呼吸をして速くなる鼓動を何とか治めた。
(落ち着け……俺を怒らせるための挑発だ。今ここで暴走すれば奴の思うつぼ!)
「ん、中にまだパネルが残っているのに……大分冷静だなッ!」
「天空さんッ!」
すると牛倉は今まで拘束していた天空を放り投げ発彦の足元まで転がす。血だらけの天空がその足元で虫の息となっていた。急いで発彦は屈み天空の容態を見る。
「は、発彦……起きたのか」
「大丈夫ですか!?」
こんなボロボロの天空を見るのは初めてで、ましてや自分を実の息子のように可愛がってくれた人がこう瀕死になっていると衝撃も隠せない。
今まで自分の中で一番の実力、つまり最強と思っていたがこんな状態にまで陥っていた。驚くなというのが無理だ。
「お前は……戦うな、まだ体の中に……パネルが……!」
すると傷だらけの体を無理やり起こし、発彦の肩を掴んで戦わないよう必死に訴えてきた。今ここで戦わせたら不味いと思っているのは風成だけじゃない、刀真と任三郎だって同じだ。後ろの方で発彦の方に手を伸ばしていた。
「――後は俺に任せてください!」
「ま、待て……!」
そう言って発彦は天空の静止を無視し、グローブを両手に嵌めて戦闘態勢に入った。燃え上がる激怒を無理やり抑えつけながら牛倉と対峙する。
「やっぱり、お前を怒らせるには……お前自身を痛めつける方が早いかッ!!」
「やってみろやぁあああああああああッ!!!!」
発彦の怒号を合図に、火蓋は斬り落とされる。瞬間牛倉は鯨から伸びる舌を振りかぶり地面に叩きつけようとするが、発彦はそれを両手で受け止める。
その後すぐに手を放し、そのまま奴の元まで走り出して懐に潜り込んだ。
「でりゃあああああああッ!!!」
そしてその鯨の頭部を思い切り蹴り上げ、その次に肘を上から打ち下ろす。次々とそこに打撃を与えていく。
すると舌による足払いが迫ってきたので跳んでそれを避け、バク転しながら後ろへ下がる。やがて牛倉は3本の舌を全て伸ばし、一斉にこちらへ差し向けてくる。舌による鞭の連打だろう。
それなら「八方美人」の自動回避で対処しよう、そう思ってその四字熟語を取り出し、使おうとするも――
「八方美――!?」
その瞬間、かつてない程の不快感と苦しさが脳と胸に襲い掛かる。あまりの気持ち悪さに膝を付いてしまうぐらいだ。
これは自分に植え付けられたパネルによるものじゃない、そう直感で察した発彦だが、それでも苦しめられた。すると牛倉がその様子を見てカッカと笑っている。
「おいおい、パネル使いの基本だろ?2つの四字熟語を同時に使っちゃいけないのは」
「ど、同時だと……?」
そう、四字熟語を2つ同時に使うと体が耐えられなくなるので、それはパネル使いにとってのタブーである。孤島の時鷹目から教わったのを覚えている。同じように虎鉄さんは「死ぬ程きつい」と言っていたらしいが、ここまで苦しいとは思っても無かった。
しかし発彦は「八方美人」を使っただけで、それ以外の四字熟語は使用していない。なのでこんなに苦しくなるはずがなかった。しかし、その理由がすぐに分かった。
「俺の中のパネル……それが原因か!」
「その通り!いくら能力を使わずともパネルが体の中に入っていることには変わりない。そんな状態で四字熟語なんか使ってみろ、実質2つの四字熟語を抱えているようなものだ!」
「そ、それは……お前も……だろ!」
やがてどんどん意識が薄れていく。流石に危険だ!と判断した発彦は急いで八方美人の使用を止める。すると少しは楽になったがまだ体内にあるパネルの苦しさは残っていた。
そもそもこんな苦しさの中で戦えているのが奇跡に近いというのに、それに加え更なる苦痛まで追加されるなんてのは流石に無理だった。つまりどういうことか?
「だから、お前は今四字熟語が使えないんだよ!」
「……ッ!」
「パネル使いからパネルを取ったら何が残るか?何も残らないよなぁ?」
実際牛倉の言う通りで、今まで発彦が怪字と渡り合えたのは勿論鍛えたからもあるが、やはり四字熟語の能力を使っていたところに理由がある。しかし今はそれが無理だという訳だ。
じゃあどうやって牛倉と戦うのか?己の力しか頼れるものが無い。
「まぁ使えるっちゃ使えるがお勧めはしない。無駄に寿命を減らすだけだッ!」
すると牛倉は舌の連打を再開、素早い動きでどんどん発彦の体に打ち付けていく。「八方美人」でそれらを躱し続けるなどとてもじゃないが無理であった。
「ぐはッ!!」
あまりの連打に発彦は撥ねられて上に吹っ飛んでしまう。そこへ牛倉は舌を伸ばしその腰回りに巻き付かせ、何度も何度も地面に叩きつけていった。
「だがッ!?ぶげがッ!!どがはぁあ!!」
「おら怒れ!!さっさと怒れよ!!」
振り回すのにも飽きたのか発彦を地面に落とし、今度はその顔を足で踏みつけていく。ジリジリと足裏を擦りつけ、何度も踏んでいく。
攻撃を受けるたびに心の奥で怒りの感情が高まっていくも、発彦は必死にそれを抑えつける。唇を噛み手を握りしめ、心の高ぶりを無理やり宥めようとする。
こんなのは「疾風迅雷」で逃げたり「一触即発」でカウンターをかましたりと、どうにかする方法はいくらでもある。しかしパネルは今使えない、それを分かっていて分かりやすい挑発を含めて攻撃の仕方を牛倉はしているのだ。
「これでもかぁ!?」
「うがぁああッ!!」
すると牛倉は発彦を腹から思い切り蹴り上げて宙に飛ばした後、今度は鯨の舌を振り下ろし地面に力強く叩きつける。石畳の地面は衝撃などまったく吸収してくれず、寧ろダメージを増やしていた。
包帯を巻かれまくっているその体に、どんどん酷い仕打ちをされていく。血で包帯が滲み、最早痛々しい見た目となる発彦。
(耐えろ……ここで怒ったら暴走してしまう……それだけは阻止しなければ!)
しかし発彦も今まで何度も怒りを抑え宥めてきた男だ。高まる感情を抑制するのは慣れており、こんなことじゃ決して怒らんという強い意志を持っていた。
だけど牛倉は彼を怒らせたい、そのためにもっと痛めつけようとすると、誰かがその足を掴んで邪魔をする。
「――あ?」
「さ、させるかよ……!!」
「触渡、今のうちに早く逃げろ……!!」
それはボロボロにされたはずの刀真と任三郎であった。傷だらけになりながらも必死に奴の足へしがみつき抗いを続ける。
「……やっぱり、お仲間を痛めつけた方が効くかなぁ!?」
「うがぁ!?」
「先輩……勇義さん……!!」
すると牛倉は発彦を怒らせるためにもう一度2人と攻撃しだす。床にひれ伏している刀真たちに何度も舌で連打し、死なない程度にどんどん攻撃していく。
急いで発彦が助けに行こうとするも、苦しさのせいで上手く立てない。ただ2人が痛めつけられるのを黙って見るしかなかった。
「こ、このぉお……ッ!!!!」
奮い立つ憤怒をどうにしか抑えようとするも、流石に仲間が甚振られているのを見せられて怒らないというのは困難を極める。
それでも発彦は必死に耐えた。ここで暴走したら2人の努力が全て水の泡になるからだ。
「ちっ――これでも駄目か……だったら、天空ならどうだ!?」
「ッ!!!!」
その名前を聞いて薄れかけていた発彦の意識は起こされるように目覚める。一番恐れていたことだ、天空はこの中で一番大切な人だからだ。もしそんな人を目の前で何かされたら、耐える自信は無い。
しかしそんなのを牛倉が知るはずも無く、ゆっくりと天空に近づく。それだけは絶対に阻止せねば、そう思っていると、1人の女性が牛倉の前に出る。
「風成さん!?」
「何だ嬢ちゃん?」
何と風成が天空を庇うために咄嗟に飛び出してきたのだ。当然牛倉は彼女の顔を見たことも無いので突然の登場に少しだけ困惑する。
「この人に手は出させない!ここから出ていってください!」
「……思い出した、確か触渡君が大事にしてるクラスメイトだったなぁ?」
するとその顔は今まで以上にいやらしいものへと変貌する。それを見た瞬間発彦はゾッと鳥肌と立て、さっき自分が想定したことより更に嫌な事を想像した。
「風成さん逃げ――!!」
そう叫ぶも既に遅かった。パシンという音が鳴ったと思うと既に奴の舌が動いており、それによって叩かれた風成の姿が、発彦の瞳が捉えた。
風成は悲鳴を上げる瞬間も見せず、そのまま倒れそうになるも、瀕死の天空が何とかそれを受け止めた。
「なんて無茶を……!!」
「天空さん……私、役に……立てましたかね?」
今まで玄関の奥で隠れて見ていた風成だったが、天空が牛倉に狙われそうになるのを見て飛び出したという訳だ。彼女なりに発彦や他の皆の役に立とうとし、その結果天空の命を救ったに等しいが、それが逆に発彦の怒りのスイッチになるとは皮肉である。
「よ、よくも……よくも!風成さんをッ!!!!」
瞬間、今まで抑えられていた怒りが一気に開放、今ので完全に吹っ切れてしまった発彦は、苦しみなど忘れて牛倉に向かって突撃する。
「うおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオガァアアアア!!!!』
その途中でどんどん姿を変えていき、狼男のような毛深い特異怪字にへと変貌してしまった。その毛は全て逆立っており、筋肉質な体をしている姿であった。
「ついに目覚めたか――ってのわぁ!?」
『グオガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!』
発彦はそうしてそのまま牛倉を殴りつけ、そのまま横に薙ぎ払う。いくら脂肪で打撃を吸収してもその勢いは消せず、大きく吹っ飛んでしまった。
すると発彦は完全に理性を失い、辺りを手当たり次第に壊していく。その光景を見て風成は圧巻した。
「あ、あれが……触渡君……?」
「しまった……遂に暴走してしまったか……!」
発彦は更に牛倉へ追撃し、問答無用で拳を振り下ろしていく。あまりのパワーに流石の牛倉も参り、少しながらの後退をした。
「たく……お前の相手は俺じゃない、そこにいる天空だ!!」
すると一番近くにいた天空と風成に反応、雄たけびを上げながら走り出し拳を振り降ろす。
天空は咄嗟に彼女を突き出し自分もそのパンチを回避するも、その勢いで大きく吹っ飛び彼女から離れてしまう。すると運悪くも、発彦が次に狙い始めたのは自分が好意を向けている風成であった。
「ひっ……!」
怪物となり果てたクラスメイトを前に風成はすっかり腰を抜かしてしまい、その場でへたり込んでしまう。発彦は彼女のことなどすっかり忘れ、ゆっくりと近づく。
知性が無い特異怪字などただの怪字、怪字は本能がままに人を襲う怪物。なのでこの場合一番反応するのは近くにいた風成という訳だ。
「こいつはぁいい!そのまま自分の友を殴り殺してしまえ!」
そうしてそのまま彼女に向かって拳が振り下ろされる。風成はその瞬間目を閉じて来たる衝撃を覚悟した。
しかしいつまで経っても痛みも衝動も来ない、何かおかしいことに気づいた風成がゆっくりと目を開けると……
「……触渡君?」
『グガッ……!?』
拳が当たる直前で、発彦が動きを止めている。プルプルと震えており、まるで彼女に襲い掛かろうとする自分を必死に止めているようであった。口もただ開けているだけで何も吠えず、視線もあらぬ方向へ向いている。
「何だ?何が起きてる?」
牛倉も異変に気づいたらしく、吹っ飛ばされた天空も不思議そうにその場を見ていた。今まであんなに暴れていた発彦怪字態が、何も叫ばずただ彼女の前で静止しているだけだった。
(まさか……!)
ここで風成が気づいた。発彦は完全に我を忘れてしまったわけじゃない。だとしたら一回なった後に人間として活動で来ているのがおかしいからだ。
あの怪字の体の中で、触渡発彦という人間は抗っている。
そう分かった瞬間、彼女はそっと抱き付く。
「思い出して!自分が誰なのかを!何で戦っているのかを!」
俺は今、夢を見ている。
子供の体に戻り、意気揚々と山道を登っていっている。夢幻と分かっているのにこうも現実味があるのは、一度体験したことだからだ。
なんでこうも楽しいのか、俺の後ろに2人の幼馴染がいるからだ。
いっちゃん……つーちゃん……
学校でもよく遊び、こうして一緒に山に遊びに行く日もあった。昔からの親友だった。
そうそう、よくこうしてつまらない理由でいっちゃんと喧嘩して、それをつーちゃんが宥めてくれたんだよな。互いに怒って許せなくなり……俺は……
――何で俺は、いっちゃんの首を、絞めてるんだ?
やめろ、いくら子供の力でも……いや子供に自分と同じ大きさの子を持ち上げる力なんかあるわけない。俺はどうなっているんだ?
とにかく首を絞めるなんて喧嘩なんてものを超えている。やめろ、やめろ。やめろって言ってるだろ、やめろやめて、これだといっちゃんが……
いっちゃんが、崖に落ちて死んだ。俺が、殺した。
何で、何で何で何で何で何で。何で俺はいっちゃんを殺した?何もそこまでしなくたって……おい、まさかつーちゃんもか?
やめろよ、つーちゃんは女の子だぞ。首なんか締めるなよおい――おい、おい!!
つーちゃんも、俺が落として殺した。
あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!
俺が殺した、俺が殺した、2人を崖から落として殺した。何で?何で落とした?何で殺した?あんなに仲が良かったのに何で?何で殺した?
俺が……怒っちゃったから?
怒んなかったら殺さなかった?今も生きていた。たまに遊んでいたかもしれない。親にだって捨てられなかったはずだ。何で怒っただけであそこまでしたんだ?
……そうだ、思い出した。これは夢なんかじゃない。
呪いのパネルに、操られているんだ。
決して夢なんかという心地の良いものじゃない。自分が自分でない感覚、自分の体が乗っ取られている感覚、自分がどこにいるかも分からない宙吊りのような感覚。何も考えてなくても良いと思えてしまう程、安らげる空間なのに、不安と恐怖が体中を包み込んでいる。
嫌だ。またこんな感覚を味わうなんて嫌だ!助けて!誰か俺を助けて、お願いだから!何でもするから!
「思い出して!自分が誰なのかを!」
……思い出す?自分が誰なのかを?
俺は、触渡発彦。父は政治家、だから見限られて捨てられた。怒っただけで人を殺してしまう屑だ。それ以外は何も思い出せない。
「何で戦っているのかを!」
戦う理由?俺は戦っているのか?何で?何と戦っているんだ?
というか、この声は誰だろう。誰もいない、自分以外は不安しか無い世界の筈なのに……俺は今、抱擁されている。
温かい、いっちゃんもつーちゃんと一緒にいた時も、こんな風に温かかった。
じゃあ今俺に抱き着いているのも、大切な人なのかな?誰だっけ?そんな人いたっけ?
……優しくて思いやりも会って、例え同じようにパネルに操られてもその時の罪を自分の罪と認識するような綺麗な人。陸上部に入っていて、綺麗な顔立ちをしていて、そして……マフラーを編んでくれるって約束した人。
……風成さんだ!風成駆稲さんだ!俺はその人のことが好きだったんだ!
そうだ俺は、海代天空さんに拾われて、修行をつけてもらって、怪字っていうパネルから生み出される怪物と戦っているんだ。確か宝塚刀真っていう先輩や勇義任三郎っていう刑事さんもいた。
……じゃあ何で戦っているのか?俺は、怪字やパネルで人生を壊された。
だから、パネルのせいで悲しむ人の顔は見たくないからだ!!
「そうだ……だから俺は戦っていたんだ」
「触渡……君?」
風成が腰回りに抱き着いていると、それに応えるように発彦もその剛腕をゆっくり広げ、囲むように彼女を抱き返した。野獣のような雄たけびはもう上げていない、さっきまであんなに暴れまわっていたのにこうして落ち着き、人の言葉を話した。
やがてその体がボロボロと崩れていき、中の発彦だけが残った。風成と抱き合っている形になり、目と瞑りながら彼女を囲むように抱えている。すると発彦の胸から植え付けられた四字熟語が排出された。
「ば、馬鹿な!?たかが2回しか使ってない奴が、自分の意志でパネルを出すなんて……」
さっきまで余裕の表情で発彦の暴走を傍観していた牛倉は、信じられないものを見たような顔で驚愕している。牛倉の見解では、発彦は自分の意志でパネルを体から取り出せないと思っていたのだ。
「それだけじゃない!理性を失っていたのにどうやって人間に戻れた!?」
「パネルは、人の感情の高ぶりに反応する」
発彦は風成の前に立ち、地面に落ちたその四字熟語を拾い上げて独り言のような喋り方で牛倉に話しかける。ゆっくりと歩き奴と対峙した。
「昔っからやってたよ。怒りを抑えるのには慣れてるんだ」
そう、発彦は幼馴染の件から怒ることが嫌になり、そのため怒りの感情を落ち着かせるのは昔からやっていたこと。さっきは風成が襲われて思わず暴走しただけで、発彦にとって些細なことに等しいわけだ。
すると倒れていた天空や刀真、任三郎も何とか立ち上がり、発彦の方に行く。普段ならそれも見逃さない牛倉だが、今だけは驚きに気を取られている。
「発彦……お前」
「天空さん、それに刀真先輩と勇義さん、お待たせしました。触渡発彦、完全復活です!」
牛倉に付けられた傷も忘れ、意気揚々と復活を宣言する発彦。もう異物感や不快感は無い、パネルと共に消えていった。
すると発彦は風成の方に向き直り、彼女の手をそっと握る。
「だけど俺が元に戻れたのは風成さんのおかげだよ、そしてすまない。危険な目に遭わせて……」
「良いんだよ……別に……」
そうやって風成を3人に任せて、発彦は単身で牛倉に向かっていく。牛倉もそのただならぬ気配を感じ取ったのか、思わず後ろに引いてしまう。
そして感じ取った、発彦が尋常じゃないぐらい憤怒していることに。顔つきも言葉遣いも怪字態のように荒くないはずなのに、それよりも怒っているように見えた。
「人間に戻ったからといってこの状況がどうにかなると思うか!?」
「できるさ、お前がくれたこれがあるから」
「お、お前まさか……!」
発彦が牛倉に見せたのは、奴が彼に植え付けた四字熟語。浄化もまだしていないがリクターが装着されているので普通に使えるから大丈夫だ。
そう言えば牛倉は言っていた。特異怪字への変身が、パネルの本来の使い方であると。
「見せてやるよ、本当のパネルの使い方を。正直お前よりかは俺の方が経験がある!!」
そうして四字熟語を前に突き出し、片手で握りしめながらそれを見せつける。
今こそ、怒りを解放しよう。
天空さんを傷つけられた怒りを!刀真先輩を痛めつけた怒りを!勇義さんをボロボロにした怒りを!風成さんに手を出した怒りを!カケルさんを殺された怒りを!俺を特異怪字にさせた怒りを!俺に風成さんを傷つけさせようとした怒りを!
「今こそ、怒りを解き放つ!!」
「笑わせるなぁあ!!」
牛倉はそれを阻止しようと走り出し、舌を伸ばしながら腕で叩きつけようとするも遅く、先に発彦が四字熟語を使った。
「怒髪衝天ッ!!!」
瞬間、まるで火山の噴火のような高温度の突風があたりに巻き起こる。その中心にいるのは他ならない発彦自身で、彼がこの風を起こしていた。
しかもこれは風じゃない、闘気だ。赤色のオーラが炎のように揺らめき、新たな姿へと変身した発彦を包み込んでいる。
黒い目は猫のような黄色へと変色し、一番変化があったのはその髪型であった。まるでワックスでつけたかのように逆立っており、オーラと共に燃え上がってる。
すると巻いていた包帯がその闘気に煽られ、そのまま吹き飛んでしまう。いつもはあまり目立たない発彦が、赤く燃えている程の変貌だった。
その姿に牛倉も天空たちも言葉が出ずにただそれを見ているだけ、まさに「怒髪衝天」の姿であった。
「さぁ、始めようか!」
怒髪衝天……激しく怒る様子、髪が逆立つほど怒っているという例え、「衝天」はその髪が天に向かって突き上げるという意味。